anicca vata sankhara
uppada-vaya-dhammino
uppajjitva nirujjhanti
tesam vupasamo sukho
(Pali Digha-Nikaya Mahaparinibbana-suttaパーリ長部経典第16大般涅槃経)
諸行無常
是生滅法
生滅滅已
寂滅為楽
(漢訳)
すべてのものは無常にして、
生じては滅する性質なり、
再生してはまた滅していく。
それが静まり止むことこそ安楽なり。
(邦訳)
色は匂えど散りぬるを
我が世誰ぞ常ならむ
有為の奥山今日越えて
浅き夢見じ酔ひもせず
(この無常偈をかなにしたいろは歌)
ここに挙げたのは所謂無常偈といわれる偈文であるが、これは、お釈迦様がクシナガラで入滅されたそのとき、帝釈天が唱えた詩であるとされている。パーリ長部経典におさめられた大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)に、その時の様子が詳しく記されている。その経典には、お釈迦様が息を引き取られたとき、身の毛もよだつ大地震が起こり雷鳴がとどろいたとある。
と同時に、梵天が
「この世において生けるものはすべて身体を捨てねばならぬ、
この世において無比の人、力をそなえた正覚者、
かくの如き師、如来さえ入滅されたことゆえに」と唱え、
そして、同時に、神々の王である帝釈天がこの無常偈を
「諸行は実に無常なり、生じ滅する性質のもの、
生じてはまた滅しゆく、その寂静は安楽なり」と唱えられたという。
そして、またこれも同時に尊者アヌルッダとアーナンダも次のような詩を唱えたという。「貪りのない牟尼にして、寂静により去り逝ける、心安定のかかるお方に、
もはや呼吸は生起せず、動じることなき心をもって、感受に忍び耐えられた、
灯火が消滅するように、心の解脱が生起せり」
「そのとき恐怖のことがあり、その時身の毛のよだちあり、
あらゆる勝れた相のある、覚者が入滅されたとき」と。そして、愛着を離れていない比丘や神々の泣く声がこだまし、その場に倒れ、転げ、のたうち回ったとその時周りにあった者たちのあまりにも早く入滅されたお釈迦様への思いをそう書き記している。
私たちは、この無常偈を前に、単にこの無常偈だけの字面を追うことなく、この時の正に私たち仏教徒にとって、最も記憶に留めておくべきこのときの情景から解すべきなのであろう。お釈迦様というこの世のすべてのことに精通され、転生輪廻の呪縛から自ら解き放たれ、その真理への道を生涯有縁の者たちに説き聞かせ多くの弟子らを阿羅漢という悟りの極みに導いた聖者の最後を、その有様をまざまざと思い浮かべつつ、この偈文を読み味わう必要があるのではないかと思う。
そして、ここにあげた入滅直後の四つの偈を一つに解してはいかがであろうか。なぜならば入滅時にそれらが各々二人の神と二人の仏弟子から同時に唱えられたとしているのであるから。
つまり、「諸行は実に無常なり、生じては滅する性質なり」というのは、正にこの比ぶべき者のない無上の力あるお方であられるお釈迦様でさえ入滅し、恐ろしいばかりに地がふるえ雷が鳴り響いて奇瑞が起こり、無常のことわりに従われたのであるから、一切の衆生も誰一人としてこのことわりから逃れることなどできない、みな生じたるものは身体を捨て、滅するときが来るのである、と。
そして、「生じてはまた滅しゆく、その寂静は安楽なり」とは、お釈迦様は正に灯火が消え入るかのように生存の因を消し去られ、転生輪廻の束縛から解脱なされたお方であり、肉体という過去の業の報果をも離れた完全な無苦安穏の涅槃にお入りになられたのであるから、このお釈迦様の般涅槃parinibbana無余涅槃こそが最上の理想の安らぎなのである、と解釈したい。
そして今もって、スリランカ、タイ、ミャンマー、インドなどの南方上座部の国々では、仏教徒が亡くなると、葬送の儀礼にはこの偈文がパーリ語で唱えられ、火葬される。この偈文とともにお釈迦様の入滅を思い、お釈迦様の教えを奉じた者としてそのお徳を改めて思い起こし、来世にあっても、また仏教にまみえ、さらに心の浄化に励むべく、そのはなむけの言葉として唱えられるのである。
この無常偈をわが国にいろは歌として伝えられたお方が弘法大師空海、お大師様であると言われる。勿論この説には色々な説があるようではあるが。撰者が誰かはともかく、いろは歌はこの無常偈をわが国のかな文字で記した名句であろう。
いろは歌は、この世の移り変わる様の哀れを情感たっぷりに嘆き悲しみ、しかしその行き着く先の安らぎを思うという日本的情緒をかき立てる。がしかし、無常偈は本来もっと理性的に私たちの生きるということの際限を見つめる営みではないかと思う。
自らお悟りになり、多くの人々を教え導いて悟らせ、完全なる悟りに入られたお釈迦様を慕い、決してそのお釈迦様にすがるなどという安易な態度ではなく、その聖者たちの流れに付き随うべしという仏教徒としての厳然たる姿勢を差し示した誠に厳しい教えとして受け取るべきではないかと思う。であるが故にこそ、2550年もの間大切に唱えられ、護り伝えられているのではないかと思えるのである。
(文中「」にて記した部分は、中山書房仏書林刊原始仏教第8巻片山一良訳より)
uppada-vaya-dhammino
uppajjitva nirujjhanti
tesam vupasamo sukho
(Pali Digha-Nikaya Mahaparinibbana-suttaパーリ長部経典第16大般涅槃経)
諸行無常
是生滅法
生滅滅已
寂滅為楽
(漢訳)
すべてのものは無常にして、
生じては滅する性質なり、
再生してはまた滅していく。
それが静まり止むことこそ安楽なり。
(邦訳)
色は匂えど散りぬるを
我が世誰ぞ常ならむ
有為の奥山今日越えて
浅き夢見じ酔ひもせず
(この無常偈をかなにしたいろは歌)
ここに挙げたのは所謂無常偈といわれる偈文であるが、これは、お釈迦様がクシナガラで入滅されたそのとき、帝釈天が唱えた詩であるとされている。パーリ長部経典におさめられた大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)に、その時の様子が詳しく記されている。その経典には、お釈迦様が息を引き取られたとき、身の毛もよだつ大地震が起こり雷鳴がとどろいたとある。
と同時に、梵天が
「この世において生けるものはすべて身体を捨てねばならぬ、
この世において無比の人、力をそなえた正覚者、
かくの如き師、如来さえ入滅されたことゆえに」と唱え、
そして、同時に、神々の王である帝釈天がこの無常偈を
「諸行は実に無常なり、生じ滅する性質のもの、
生じてはまた滅しゆく、その寂静は安楽なり」と唱えられたという。
そして、またこれも同時に尊者アヌルッダとアーナンダも次のような詩を唱えたという。「貪りのない牟尼にして、寂静により去り逝ける、心安定のかかるお方に、
もはや呼吸は生起せず、動じることなき心をもって、感受に忍び耐えられた、
灯火が消滅するように、心の解脱が生起せり」
「そのとき恐怖のことがあり、その時身の毛のよだちあり、
あらゆる勝れた相のある、覚者が入滅されたとき」と。そして、愛着を離れていない比丘や神々の泣く声がこだまし、その場に倒れ、転げ、のたうち回ったとその時周りにあった者たちのあまりにも早く入滅されたお釈迦様への思いをそう書き記している。
私たちは、この無常偈を前に、単にこの無常偈だけの字面を追うことなく、この時の正に私たち仏教徒にとって、最も記憶に留めておくべきこのときの情景から解すべきなのであろう。お釈迦様というこの世のすべてのことに精通され、転生輪廻の呪縛から自ら解き放たれ、その真理への道を生涯有縁の者たちに説き聞かせ多くの弟子らを阿羅漢という悟りの極みに導いた聖者の最後を、その有様をまざまざと思い浮かべつつ、この偈文を読み味わう必要があるのではないかと思う。
そして、ここにあげた入滅直後の四つの偈を一つに解してはいかがであろうか。なぜならば入滅時にそれらが各々二人の神と二人の仏弟子から同時に唱えられたとしているのであるから。
つまり、「諸行は実に無常なり、生じては滅する性質なり」というのは、正にこの比ぶべき者のない無上の力あるお方であられるお釈迦様でさえ入滅し、恐ろしいばかりに地がふるえ雷が鳴り響いて奇瑞が起こり、無常のことわりに従われたのであるから、一切の衆生も誰一人としてこのことわりから逃れることなどできない、みな生じたるものは身体を捨て、滅するときが来るのである、と。
そして、「生じてはまた滅しゆく、その寂静は安楽なり」とは、お釈迦様は正に灯火が消え入るかのように生存の因を消し去られ、転生輪廻の束縛から解脱なされたお方であり、肉体という過去の業の報果をも離れた完全な無苦安穏の涅槃にお入りになられたのであるから、このお釈迦様の般涅槃parinibbana無余涅槃こそが最上の理想の安らぎなのである、と解釈したい。
そして今もって、スリランカ、タイ、ミャンマー、インドなどの南方上座部の国々では、仏教徒が亡くなると、葬送の儀礼にはこの偈文がパーリ語で唱えられ、火葬される。この偈文とともにお釈迦様の入滅を思い、お釈迦様の教えを奉じた者としてそのお徳を改めて思い起こし、来世にあっても、また仏教にまみえ、さらに心の浄化に励むべく、そのはなむけの言葉として唱えられるのである。
この無常偈をわが国にいろは歌として伝えられたお方が弘法大師空海、お大師様であると言われる。勿論この説には色々な説があるようではあるが。撰者が誰かはともかく、いろは歌はこの無常偈をわが国のかな文字で記した名句であろう。
いろは歌は、この世の移り変わる様の哀れを情感たっぷりに嘆き悲しみ、しかしその行き着く先の安らぎを思うという日本的情緒をかき立てる。がしかし、無常偈は本来もっと理性的に私たちの生きるということの際限を見つめる営みではないかと思う。
自らお悟りになり、多くの人々を教え導いて悟らせ、完全なる悟りに入られたお釈迦様を慕い、決してそのお釈迦様にすがるなどという安易な態度ではなく、その聖者たちの流れに付き随うべしという仏教徒としての厳然たる姿勢を差し示した誠に厳しい教えとして受け取るべきではないかと思う。であるが故にこそ、2550年もの間大切に唱えられ、護り伝えられているのではないかと思えるのである。
(文中「」にて記した部分は、中山書房仏書林刊原始仏教第8巻片山一良訳より)