住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

はじめて比丘になった人-釋興然和上顕彰1

2006年04月23日 09時31分06秒 | 日本仏教史、インド中国仏教史、真言宗の歴史など
 比丘(びく)とは、梵語のbhiksu、パーリ語のbhikkhuの音訳で、乞食者のことである。わが国で僧侶を比丘とは言わないが、お釈迦様直伝のパーリ経典を所依とする南方上座部の仏教国では尊敬を込めて比丘と呼ぶ。それは行乞に値する人。何の引き替えとしてではなく食を与えられるべき人ということであろう。

黄色い袈裟をまとい、持鉢をもってその日の食を乞い、その他の時間はただ仏陀の教説を学び、実践するだけの人たち。それ以外のことから解放された人たちでもある。お経を上げたり、説法をしたり、儀礼を行うから僧侶なのではなく、ただ自らの生涯を仏陀に捧げた人たちだからこそ尊い。

勿論自らの悟りにだけ専心しているわけではない。決して小さな乗り物などではない。そのはじめには慈悲の心があり、だからこそ施しを受け人々に功徳を分け与える。また教えを語りお釈迦様相承の瞑想実践を授ける。

その存在そのものがありがたい比丘たちに食や袈裟など修行に要する品々を差し上げることこそが自らのなにものにも替えがたい功徳なのだと思える人々とともに支え合う、この清浄なる関係こそが本来の仏教なのであった。

明治時代に欧州経由で近代仏教学がわが国に紹介され、それまでの中国経由の宗派仏教から梵語やパーリ語の仏教研究が喧伝された。戦前には南方上座部所伝の重要なパーリ典籍が南伝大蔵経65巻として邦訳され、原始仏教、初期仏教、根本仏教という名を冠して研究も盛んであった。しかしその後その教えが広く人々に浸透したとは言い難い。

そしてやっと戦後50年を経て、今日スリランカ、タイ、ミャンマーなど様々な仏教国から僧侶が来日し、長期に滞在して教えを説き、実践法を宣布している。またタイ、ミャンマー、インドなどには日本人で現地のサンガにおいて僧侶として修行に励む人も少なくない時代となった。いま正に上座仏教がより平易に、しかしその実践と教えを兼ね備えた教えとして広まる機運が醸成されつつある。

こうしたわが国の仏教の現状を最もよろこんでおられるのが今は亡き釋興然和上ではないかと私は思う。この人こそが知る人ぞ知るわが国で初めて南方上座部の伝統ある比丘になられた方であり、今から一世紀も前の明治という時代にわが国に南方仏教の僧団を移植せんと試みた方であるから。
コメント (2)
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