住職のひとりごと

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幅広く仏教について考える

『大アジア思想活劇』を読んで

2009年05月31日 16時44分46秒 | 仏教書探訪
明治時代、それは日本仏教にとって未曾有の衝撃に襲われた時代である。皇室の保護、国家の体制に護られ、また各時代の為政者に師事されてきた仏教、そして江戸時代には国教と言える地位にあった仏教が、天地逆転して賊教にまで貶められたと言っては言いすぎであろうか。明治初年の神仏分離令から肉食妻帯解禁の布告が出るまでの五年間ほどは各地で寺院が廃合され、僧侶が還俗させられたり、仏像経巻も焼却廃棄された。こぞって僧職が還俗して神官になり、神社に遣えた大寺もあった。そういう時代である。

『大アジア思想活劇―仏教が結んだ、もうひとつの近代史』(平成20年9月サンガ刊)は、その激動の明治仏教から戦後までの近代の仏教について、アジアの多くの国が経験した植民地支配を仏教の復興によって国民に仏教徒としての誇りを取り戻すことによって独立運動へと志気を高めていったスリランカという誇り高き仏教国との交渉から紐解いていく。そしてその交渉史によって、あたかも今日の日本仏教に興っている一つの大きな変革がその流れの中にあることを示唆しているかの展開となっているように思えるのは私だけであろうか。

もちろん、そのことにまだ多くの人は気づいていないだろう。しかし、現在日本で、にわかに興りつつあるこの大きなうねりは、つまりこの大乗仏教の国にいま正に上座仏教直伝のお釈迦様の教えがかなり本格的に浸透しつつあるという、大げさに言えば一つの思想啓蒙運動は、それは一人のスリランカ僧の来日から30年という時間をかけて醸成されたものではあるが、それがかなりはっきりとした兆しを見せ始めている現在、スリランカと日本仏教の関係が昨日今日始まったわけではないというこの歴史の必然性を学ぶ意味でも、この大著を読んでおくことは決して無駄なことではないだろう。

本書は、日本テーラワーダ仏教協会事務局長の佐藤哲郎氏の大学の卒論に、その後もたゆまぬ研究心を燃やし続け、更なる研鑽の末に実現した600ページにも及ぶ労作である。インターネットでは既にその全貌を数年前から読むことができた。私もかなりの部分をネットで拝見していたが、やはりズッシリと重い本を持って読んだ実感はかなり重厚なものがあった。毎日少しずつ読み進んだのではあったが、思ったよりもわけなく読み終えることができたのは、著者の軽快な文体や冒頭に取り上げた野口復堂というその黎明期にインドに出かけて行き深く関係を結んだ教談家のそのコミカルな人柄に幸いしたのであろうか。

それにしても明治初期に英語を軽快に扱い、明治26年のシカゴの万国宗教会議の前から単身アメリカに仏教布教行脚しその会議では、キリスト教批判の演説までしたという仏教者平井金三などの先駆については初めて知るところとなるなど、学ぶところが多かった。また神智学協会と英国の植民地であったスリランカの仏教徒との関係についてもわかりやすく解説されている。特にその前過程としてのハイライトであるパーナドゥラでの仏教とキリスト教の論争による仏教徒の勝利からスリランカの人々が自信を取り戻し国民運動と化していく過程が一人の革新的な仏教徒で、後にインドの仏蹟復興に乗り出すシンハラ仏教徒ダルマパーラ居士の生涯を詳細に記すことで理解されるように構成されている。

神智学協会の創設者の一人で仏教に帰依した米国人オルコット大佐が明治22年来日し大歓迎されるのだが、当時の疲弊した日本仏教徒を鼓舞せんがための来訪と単純に受け取った当時の仏教関係者の無邪気な歓迎ぶりも目に見えるようであるが、それだけ当時の日本仏教の窮状はひどいものであったと窺い知ることができる。単なる親善のためではなく、日本仏教への注文、特に戒律に無頓着である点に関する批難、多岐に分かれる宗派の統一、また南北仏教の統一にまで触れていたことはあまり伝えられていないであろう。

またダルマパーラと日本人仏教徒との関係から、釈雲照、釈興然、釈宗演、土宜法龍、鈴木大拙、河口慧海の明治仏教界の重要人物各師も登場し、それぞれの知られざるエピソードなどを様々な文献を渉猟されて引用し、解説される。ちなみに釈雲照は江戸後期の慈雲尊者の後継者であり、明治の元勲らに師と仰ぎ拝された明治を代表する傑僧である。

その甥、興然は単身スリランカに渡り日本人として初めて伝統ある上座仏教の戒律を受け本式の比丘・仏弟子となった人である。彼はダルマパーラと共に釈尊成道の聖地ブッダガヤの大菩提寺の土地をヒンドゥー教徒から買い戻す運動を企てた人としても知られている。帰国後も黄色いスリランカの袈裟を纏って終生脱ぐことなく亡くなった、私の尊敬する、釈尊一人をこよなく崇敬された純朴な人であった。

また釈宗演は慶應義塾卒後臨済宗から興然修行のスリランカの寺で研鑽を積み、35歳で円覚寺管長となり、シカゴ万国宗教会議に招かれた。今日世界に知られた禅を海外に布教した先駆者であり、弟子の鈴木大拙に米国での活動を促したのも彼であった。その彼とシカゴ万国宗教会議に出席した真言宗の土宜法龍は、その後ヨーロッパに渡り各地で講演をなし仏教を布教した。河口慧海は、黄檗宗から出て正確な仏典を求めてチベットに潜入する前に興然にインド事情を学んでいた。様々な登場人物たちの繋がりが分かりやすく楽しく読み進むことができた。

初転法輪の地サールナートでのダルマパーラの晩年を語る中に、大の日本称賛者であったダルマパーラがムルガンダ・クティ・ビハーラの壁画・釈尊一代記を描かせるのは、日本人画家の他にないとこだわり、その地に至った画家野生司香雪との印相一つの言い争いやその完成に至るまでの苦労話など、全く知られざる逸話もよく調べ上げてあった。願わくば私は、この本を読んでからサールナートに滞在すべきであったと思った次第である。

さらには戦後の日本が戦禍の中で復興をしていくその基点として、昭和25年(1950)のコロンボでの世界仏教徒連盟の創設があり、そこで図らずも称賛されつつアジアの仏教徒の一員としての位置を占め、翌年のサンフランシスコ講和会議でのセイロン代表からの演説に結びついた。つまり世界から疎まれ主権さえも制限されようとしていたその会議で、仏教という絆によってアジアが同じ仏教徒としての日本を見捨てられないという趣旨の演説によって日本は救われたのであった。

唯一の国際社会復帰のよりどころとして仏教があったというこの忘れ去られた事実を掘り起こしてくれている。そして1952年には、第二回世界仏教徒連盟会議が日本で開催されるが、それは戦後間もない占領下の日本にとって国際社会に復帰する原点となり、スリランカ代表によってもたらされた貴重なルンビニ出土の仏舎利が原爆投下の広島にもたらされ広島市に平和塔を建立して奉安されることも決議されたということもあまり知られていない。

スリランカという仏教世界の盟主が、明治期からのダルマパーラの日本称賛を引き継ぎ戦後日本にも多大な精神的支援者であったことを改めて知るところとなった。特にその会議に際して毎日新聞に掲載された世界仏教徒連盟総裁マララセケーラ博士の手記は現代日本にも当てはまる痛烈な批判を込めた日本国民に向けた激励であり指南であろう。

仏教よりも価値の低い理想を求めたが為に悲惨な結果を生んだ、単なる物質の繁栄では人々は幸せにはなれない、世界からも尊敬されない。何よりも精神的なバックボーンとしてかつてそうであったように仏教を位置づけて世界の指導者たる資格を得よと迫っている。そして、そのためには仏教教育の幼児期からの必要性を説き、さらには自国の利益を求めてすり寄る見せかけの友人たちではなく仏教国と交際し共に前進せよと指摘する。そのまま今の私たちに向けた言葉として受け取るべき至言であろう。

以上のように本書の内容は、近代におけるアジアの中の日本仏教史ではあるが、それによって、いまの日本という国にとってもどれだけ仏教が必要か、意味あるものかを知らしめてくれている。そしてそれが近代においてはスリランカというアジアの同じ小島の仏教国との友好によって提示されてきたものであることを教えてくれている。(欧州経由の近代仏教も元を正せばスリランカで教育された欧州の研究者によるものと考えられよう)

中国朝鮮からの仏教しか知らなかった日本人が、おおもとのお釈迦様の仏教に触れ、そのインドの香り高い仏教によって、近代仏教が形成された。明治大正戦後間もなくまでアジアの仏教徒との交流も盛んであったが、戦後の高度成長期を経て疲弊していた日本の姿が経済大国に変貌し、その自信の回復と共に仏教も忘れ去られ、仏教そのものも宗派仏教に逆戻りしてしまった。

しかしバブル経済とその崩壊を経験しなお今世界同時の大不況によって寺院離れが都会から一層顕著になる中で、著者が事務局長を務める日本テーラワーダ仏教協会の精舎や講演地は増え続けている現実は、日本仏教にとって大きな変革期が突然口を開け訪れたとは言えまいか。中心となるスリランカ・シャム派日本大僧伽主任長老であるスマナサーラ師のご活躍は正に明治期のダルマパーラの世界に向けた影響力を彷彿とさせるものではないか。現在に通じる近代仏教の流れを学ぶ意味で本書は欠かせない必読書であると言えよう。

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8 コメント

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Unknown (ejnews)
2009-05-31 20:13:56
 何時も興味深いお話ありがとうございます。私がコメントすると変なコメントが入る様ですからコメントは暫くは控えていました。
 処で、スリランカと日本仏教の関係については全く知りませんでした。其れだけ日本に協力してくれた国が現在少数民族虐殺で世界的な非難を浴びているのは非常に悲しい状況ですね。
 セイロンの仏教は小乗仏教だと思いますが、本等で読むほど大乗仏教と小乗仏教の違いは無いのでしょうね?私は仏教について、趣味で広く浅く読んでいる程の知識ですから両者ともに余り違いは無く、同じ物を右から見ているのか左から見ている物かの違い位だと思っているのですが...............。
 それともう一つ“即非”ですか?禅仏教等で言われる言葉だと聞きましたが、金剛般若波羅蜜経から来ている概念なのでしょうか?其れと、金剛般若波羅蜜経は英語でThe Diamond Sutraザ ダイヤモンド ストラ(The Vajra Prajna Paramita Sutra)と言われる御経と同一の物でしょうか?そして、此の御経は小乗仏教には存在しない御経でしょうか?
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書評感謝 (naagita)
2009-06-01 01:40:02
全雄様

拙著の書評ありがとうございます。たいへん刺激になりました。

スリランカ内戦が終わり、LTTE(タミル系過激派)による他民族を標的にした無差別テロ(イスラム教徒や多数派シンハラ人仏教徒に対する民族浄化)がなくなったことは喜ぶべきことです。

LTTEがどれだけの虐殺行為を行い、同胞であるはずのタミル人の有能な人材をテロで葬ってきたか、欧米のマスメディアは頬かむりしてきました。

LTTEの幹部はキリスト教徒であったため、「少数派のキリスト教徒が多数派の異教徒(仏教徒)にいじめられている」というステレオタイプを垂れ流してきたのです。しかし、事実はまったくのさかさまでした。

スリランカ政府がLTTEを徹底的に掃討したおかげで、すべてのスリランカ国民が無差別テロの恐怖から解放されたのです。

キリスト教をバックにした欧米マスコミやNGOによるスリランカ政府へのネガティブキャンペーンは激しさを増しています。スリランカは、多様性と共存の教えである仏教が、数百年にわたる欧米キリスト教諸国の侵略と干渉に抗して徒手空拳の戦いを続けてきた最前線です。

同じ仏教国の住民としては外国の「マスゴミ」に惑わされることなく、しっかり事実を見極めていきたいものです。
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ejnewsさま (全雄)
2009-06-01 06:59:50
お久しぶりです。私の方こそなかなかお邪魔できず、拝見してもじっくりと味わうこともできないで失礼しています。人種差別、イチゴの話など刺激的な興味深い内容に敬服します。

ところで、スリランカのこの度のLTTE組織一掃についてはnaagita氏が書かれているのが正確なまた冷静な見方ではないでしょうか。911の事実が隠されているのと同じようにすべて報道は何事かの意図を持っていると考えた方がよいかと思います。このへんはejnewsさんの方がよくご存知のことですね。

また仏教についてですが、今では小乗仏教という貶称は使わないことになっています。上座仏教と言います。上座仏教はお釈迦様の仏教が後世様々な部派に分岐する最初の上座部大衆部に分岐した際の上座部仏教の流れをひく仏教と解しています。

両者の違いについては、僧侶が、仏の側から大衆に面するのか、大衆の側から仏に面するのかの違いがあると思っています。上座部では、僧は仏と同様の礼拝の対象である点が分かりやすい相違点ではないかと思います。

金剛般若経についてはあまり知識がありません。が、おそらくダイヤモンドスートラと言われるものと同じものだと思います。



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naagita様 (全雄)
2009-06-01 07:40:03
中外日報等での様々な貴協会関連のニュースを拝見しております。興然師同様の、愚直なとまで言えませんが、お釈迦様第一主義者としては誠に喜ばしいことだと思っています。

後世この時代の訪れをどう日本仏教史は表現するでしょうか。台湾の上座仏教がどのような経緯で定着したものか存じませんが、並び称されるほどに発展なされましたら日本の国にも変化が現れるのではないでしょうか。

仏教はそれほどまでに大きな意味あるものであるはずだと思います。
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Unknown (ejnews)
2009-06-01 19:42:38
全雄様、早速御答えて頂いてありがとうございます。日本で言われる小乗は差別用語だとは知っていたのですが英語でTheravadaセラヴァダと言われているのが日本でも使われているのかどうか良く分からなかった無かった物ですから取り合えず小乗仏教を使いました。
 アメリカで伝えられているタミル問題は、長い話を本当に短くすると----------元々植民地時代イギリスの“分け隔て征服支配する”政策でタミル少数民族を植民地現地政府に雇用し多数民族のSinhaleseシンハリーズを支配していた事がセイロン独立後の民族問題に発展し、アフリカのベルギーによる植民地支配政策でルワンダのツッチー対フッツーの民族問題と同じヨーロッパ帝国主義の植民地政策が原因していると言う話で、セイロン独立後にセイロンの多数民族シンハリーズの言語をセイロン国語に決定した事が次の大きな民族間の紛争の原因となり(其の後改正され2つの言語が国語となったようですが)1983年LTTEによるスリランカ陸軍襲撃の仕返しにシンハリーズがタミル少数民族の虐殺を行い、この後80万人と言われるタミル人の海外への大移住がありこの事件はBlack July(暗黒の7月)として記憶されている----------------と言う事です。
 本当の話は当事者にしか分からないのですが、兎に角、御互いに長期間殺し合わなければならないと言う事は悲しい話ですね。
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テーラワーダ (全雄)
2009-06-02 17:49:37
ejnews様、何度もお越し下さり恐縮です。いろいろとご教示下さりありがとうございます。

theravadaは、インドの言葉で、それをアルファベットに表記しているので、カタカナでは、テーラヴァーダもしくは、テーラワーダと表記しているようです。

スリランカの近代の外交史についてはあまり知識がありません。片方の立場からしか書かれることのない歴史というものはいつの時代のどの国のものであっても、本当の真実を探り出すのはきわめて難しいものだと思うばかりです。

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「闘う仏教」について (小金昭)
2009-06-25 08:21:20
こんにちは、ご住職様。いつも貴ブログ拝読しております。ところで、佐藤哲郎氏のサイトをご覧になっているとすると、先日まで佐々井秀嶺師が一時帰国されていたのはご存知かと存じます。各地で講演され、特に東京の護国寺の講演は、約600人の聴衆を集め、翌日からたくさんの方がブログで感想を述べられるなど大きな反響を呼びました。ご住職は佐々井さんの「闘う仏教」についてどのようにお感じになっておられますか。あるいは佐々井師が尊崇するアンベードカルの仏教及びその著書『ブッダとそのダンマ』についてどのようにお考えになられますか。
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アジテーター (全雄)
2009-06-25 12:54:06
小金昭様、はじめまして。佐々井師に関するお問い合わせですが、私はお会いしたこともなく、よく存じ上げないというのが本当のところです。

インドにおりました際に、ブッダガヤの大菩提寺の領有権問題でデモ行進をされたということを現地の新聞で読んだことがありますが、そこにはアジターターシュライササイと書かれてあったことを記憶しております。

またインドにおりますと、様々な仏教徒に会うわけですが、残念ながら新仏教徒の僧侶方にはあまりいい記憶がありません。仏教を政治闘争の道具にされているというのは言い過ぎかと思いますが、もう少し真摯に仏法を学び実践するという方向からの改革を目指されることの方が世間との摩擦を回避できるのではないかと思っております。

新仏教徒の他に伝統派の仏教徒もおり、インド社会に同化している仏教徒も沢山います。それらの人々も同じ戦闘的な人たちと見なされてしまう事もあろうかと思います。

アンベートカル氏は偉大な才能と研究心によって新仏教徒を生み出す礎となられたことはすばらしいことではありますが、その個人をあまりにもたたえ崇拝しては単なる新興宗教と何も変わらないことになるのではないかと思います。

インドにはヴィパッサナー瞑想で世界的に有名なゴエンカ師が、刑務所などでの瞑想会などを通じて仏教徒ばかりが多くのインドの人たちに仏教の平和な教えを浸透させています。私はそのような活動こそ人々を変革していく仏教の本当のあり方ではないかと思っております。
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