活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

円本から文庫へ、そのとき印刷界は 2

2011-08-04 17:17:45 | 活版印刷のふるさと紀行
 この円本ブームのとき出版界も印刷界も不景気に見舞われて青息吐息でした。
金融恐慌、昭和恐慌と呼ばれた不況の渦中ですから当然といえば当然ですが、
不思議なことに、印刷界では「大量印刷時代」が華々しく幕を開けていたのです。

 行先の遠近を問わず運賃1円のタクシー「円タク」からのネーミングといわれ
る円本は大正15年から昭和4年末までに全部で300点ぐらいの企画がたてら
れたといいます。
 
 書物の大衆化などといえば聞こえがいいのですが、実際には当時の読書人口を
はるかにオーバーしていましたから昭和5年に至って円本ブームの火は消えます。
 しかし、文庫本ブームがそれに続いたのです。
 それだけではありません、『週刊朝日』や『サンデー毎日』の創刊が大正11年、
14年には鳴り物入りで講談社から『キング』が登場します。雑誌の大量印刷も
始まったのです。

 キングの創刊号は75万部、昭和3年11月の増刊号は150万部の売れ行き
部数はいまであっても驚くべき数字です

 こうした大量印刷に対応するために印刷会社も大規模な設備投資をしなくては
なりませんでした。
 秀英舎(大日本印刷)は活版輪転印刷機を内外の印刷機メーカーから調達した
のを皮切りに生産能力のアップに努め(大日本印刷百三十年史)
博文館印刷と精美堂印刷の合併で一躍業界トップに躍り出た共同印刷、
オフセットや紙器に力を入れ、その共同印刷を抜き返した凸版印刷というような
形で印刷会社も熾烈な競争を展開しました。

 おそらく、この円本・文庫本に加えて雑誌の大量印刷がつくりだしたのが、
日本である意味での印刷業のありようを決定づけたといってよいといえます。
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円本から文庫へ、そのとき印刷界は 1

2011-08-04 11:09:59 | 活版印刷のふるさと紀行
 この4日ばかり涼しい日が続きましたので、ゆっくり遊べました。
うんと勉強できましたというのならわかりますが、情けない話です。

 唯一、書店めぐりは何店かまとめて出来ました。
 私の場合、文藝書の新刊コーナーの次に見て回るのは文庫本と新書
の棚です。とくに作家別や分野別ではなく、あらゆる分野の本が渾然
一体、無造作に」並べてある棚を見て回るのが好きです。

 さて、その文庫本ですが、日本の文庫の元祖みたいに思われている
『岩波文庫』が1927年(昭和2)で、『新潮文庫』が翌年の
1928年、『改造文庫』が翌1929年と三年続きで誕生しております。

 短期間に多品種を出版しなくてはならない文庫本の印刷を引き受け
なくてはならない印刷会社もさぞや大変だったろうと思うのですが、
印刷史の上では、文庫本ではなく「円本」について書き込んである本
が圧倒的です。

 岩波文庫の誕生のキッカケを大正末期から昭和初期の円本ブームに
あるという意見がたくさんあります。円本企画に乗り遅れた岩波書店
が起死回生の出版企画として打ち出したのが『岩波文庫』だというの
です。

 たしかに、改造社の全38巻の『現代日本文学全集』にはじまり、
新潮社の『世界文学全集』、平凡社の『現代大衆文学全集』と、いず
れも40万部とか50万部の予約でスタートしたという円本ブームは
印刷界にとって大変な改革をもたらしたといえそうです。






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