印刷業のありようという変な言葉を使いました。体質といってもいいかも
知れません。いや、もっとシリアスに本質といってもいいと思います。
なぜか、私は「受注産業」であるからにはクライアント第一という印刷産
業の経営体質はもういい加減に改まってもいいと思うのですが、2011年
現在まだ、ほとんど変わっているとは思えません。
実はこの体質をつくりあげた根源が円本や文庫、あるいは大衆雑誌の大量
印刷、1920年代の終わりの時期にあると見ています。
大量に印刷して、低価格で売るという出版社の企画に、おりしも不況にあ
えいでいた印刷会社が唯々諾々と乗ってしまって、自ら設備投資をして、低
賃金で人集めして協力してしまったのです。
少なくとも明治の印刷業の揺籃期は発注者と対等でした。官員さんが馬車
を仕立てて原稿持参で「恐れ入りますが、お頼の申します」といった光景す
ら見られたというではありませんか。
それが、出版社は自社設備はなにもしなくて、印刷会社にリスク負担をさ
せて本を出すようなことができるようになったのは、この円本ブーム以来だ
といえます。
「印刷会社はハードのみ」というようなことが不文律になって、発注者上
位の構造がいつの間にか定着してしまったのです。
徳永 直の『太陽の無い町』は生まれべくして生まれたのです。
知れません。いや、もっとシリアスに本質といってもいいと思います。
なぜか、私は「受注産業」であるからにはクライアント第一という印刷産
業の経営体質はもういい加減に改まってもいいと思うのですが、2011年
現在まだ、ほとんど変わっているとは思えません。
実はこの体質をつくりあげた根源が円本や文庫、あるいは大衆雑誌の大量
印刷、1920年代の終わりの時期にあると見ています。
大量に印刷して、低価格で売るという出版社の企画に、おりしも不況にあ
えいでいた印刷会社が唯々諾々と乗ってしまって、自ら設備投資をして、低
賃金で人集めして協力してしまったのです。
少なくとも明治の印刷業の揺籃期は発注者と対等でした。官員さんが馬車
を仕立てて原稿持参で「恐れ入りますが、お頼の申します」といった光景す
ら見られたというではありませんか。
それが、出版社は自社設備はなにもしなくて、印刷会社にリスク負担をさ
せて本を出すようなことができるようになったのは、この円本ブーム以来だ
といえます。
「印刷会社はハードのみ」というようなことが不文律になって、発注者上
位の構造がいつの間にか定着してしまったのです。
徳永 直の『太陽の無い町』は生まれべくして生まれたのです。