活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

『レクラム文庫』からの連想

2011-08-07 11:37:27 | 活版印刷のふるさと紀行
 『レクラム文庫』を創刊したとき、アントン・フィリップ・レクラムは60
歳でした。彼は若い時から低価格で多人数の読書人にこたえる優れた出版物を
出すための経営体質づくりを追い求めておりました。

 32歳の1839年にはライプッヒの印刷所を買収して自社の出版物はすべ
てここで印刷すると決めました、。さらに文庫発刊5年前、1862年には出版
と印刷両部門の入る建物を用意して、「これで企画と販売の一貫体制と自社で
の大量印刷の素地ができた」と喜んだといいます。
 
レクラム文庫の売れ行きはすごいものでした。日本でも丸善が輸入販売した
といいますが、愛読者として森鴎外、新村出、柳田國男、木下杢太郎らが知ら
れておりますし、戦前の旧制高校生に引っ張りだこでした。
 レクラム文庫の好売れ行きとともに、レクラム社の社屋や印刷設備は次々に
拡大され、大出版社の名をほしいままにしました。


 岩波文庫の場合、精興社のような協力会社もあって順調に発展しましたが、
自社印刷の経営は今日に至るも見られておりません。講談社も小学館も集英社
もハードは自社以外に求めているのが現状です。

 しかし、このソフトとハードが別々にという形がいつまでつづくでしょうか。
出版物が輪転機で大量に印刷される時代には設備投資は印刷会社が負担してで
よかったでしょう。けれども印刷工場がプラントみたいな様相を呈している時
代はそう長くは続きません。
 電子出版時代もとなると、ソフトもハードも渾然一体型になり、出版業と印
刷業の線引きもなくなるのではないでしょうか。情報加工業として一体化する
のが自然です。 出版印刷で残るのは「製本」の部門だけ。そんな風になるの
ではないかというのが私の連想です。

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出版は出版社、印刷は印刷会社の日本

2011-08-07 10:23:54 | 活版印刷のふるさと紀行
 日本の場合出版社は出版社、印刷会社は印刷会社、ソフトとハードが確然と
わかれております。もっといえば、印刷会社は出版社の出版活動のハード面を
引き受けており、いわば、縁の下の力持ち、下請けでしかありません。

 外国の場合はどうでしょうか。私が見学したフランスやドイツ、イギリスな
どでは、たいてい「大きな出版社は大きな印刷会社」、「大きな印刷会社は大
きな出版社」でした。

 さらに、印刷部門は日本の大手印刷会社のようにフル稼働ではなく、印刷機
が停止して工場内がガランとしている時間が持てているようでした。また、製
版数が日本に比べてうんと少ないことにも驚かされました。

 それはそれとして、日本の新書や文庫には先輩がいます。『ペンギンブックス』
であったり、『エブリマンズ・ライブラリー』であったり、『レクラム文庫』で
あったりします。

 1914年(大正3)に日本で創刊された『アカギ叢書』はみずから「日本の
レクラム」をうたっていたといいますが、1927年(昭和2)創刊の『岩波文
庫』の元祖がレクラムだということの方がはるかに知られております。

 その元祖、『レクラム百科文庫』は1867年、日本でいえば江戸時代最後の
慶応3年にアントン・フィリップ・レクラムによって創刊されています。たしか、
出版社主としては父親のあとを継いだ2代目だったはずです。

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