活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

キリシタン版印刷機運搬の謎

2011-08-12 16:48:01 | 活版印刷のふるさと紀行
 これは島原半島の加津佐の海岸です。
 うしろの小高い山が前にも紹介しましたが、日本ではじめて金属活字で
活版印刷が行われたと思われる「天辺の丘」です。

 前回、海続きでこの加津佐の隣、口之津の資料館で白石館長に私の不勉
強を笑われた失敗談を書きました。

 世の中には不思議な縁でつながっていることがあります。その白石館長の
ご子息にまた、私がいろいろ教えを受けることになろうとは夢にも思いませ
んでした。ご養子にいかれて姓こそ二羽とおっしゃる館長のご子息と偶然お
知り合いになったのです。

 そして、いろいろ教えていただいたのですが、その一つを披露しましょう。
 最後の寄港地マカオからジャンクに積んだキリシタン版の印刷機や諸材料は
長崎に着き、それからいったん有馬に運ばれました。
 そして有馬から小舟で加津佐にはこばれ、浜からセミナリヨの生徒たちの
肩に背負われて「天辺の丘」に担ぎ上げられたと想像したのです。

 ある日、二羽先生のクルマで長崎空港から口之津経由で加津佐に向かったと
き、「この付近には渦潮があって潮流が激しいので、印刷機を積んでそれを乗
り切るの当時の小舟では難しかったと思います」先生が海面を見ながら、つぶ
やくようにおっしゃったではありませんか。

 目の前の波打ち際ににアコウの樹が数本あるところでした。その奇怪な根っこ
を見ながら私はたじろぐ思いでした。
 かなり、調べて書いてはいるつもりですが、思わぬところに「落とし穴」が
あるものです。

 はたして400年前、どのようにして印刷機は天辺の丘に持ち込まれたのでし
ょうか。まだ、考え付かない私です。


 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする