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活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

ドン・ミゲルが実の親とは

2011-08-22 09:35:43 | 活版印刷のふるさと紀行
 はじめて原城址をたずねたとき私がいちばん興味ぶかく見たのは
本丸跡の脇にあった空堀でした。
 おそらく乱後に女、子供もふくむ何百、何千という死体が投げ込まれ、
積み上げられたに違いない穴の一部でありましょう。そばに、幾体かの
地蔵尊がまつられていて、ススキの穂が風に揺れていました。

 キリシタンとお地蔵さんの取り合わせは不思議ではありましたが、そ
こはかとなく無常観がただよっているような雰囲気でした。
 ここでごと籠城して殺されていった一揆の人たちは何を考え、ど
のようにして死んで行ったのでしょうか。

 関ヶ原から40年、世の中は戦国時代とは打って変わって落ち着いて
いたはずではありますが、島原・天草の領民たちは松倉重政・勝家親子
二代の悪政に加えて飢饉や凶作で誰しも生きる望みを失って、死ぬか、
一揆に加わるか選択をせまられて立ち上がざるを得なかった。だから、
ただただ腹いっぱい食べたいと願い、棄教した農民たちは立ち返れば
(再度の入信をはたせば)救われるのではと思い続けているだけでは
なかったでしょうか。

 『幻日』は虚構を虚構と感じさせずに読者を引っ張っていきます。
天草四郎が千々石ミゲルとポルトガル人の娼婦イザベルの間に長崎で生
まれ、小西行長の家臣、大矢野島の益田甚兵衛に養子に入ったとし、
天草全島民の統領として天草四郎を名乗ることになった経緯も明らかに
されています。
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天草切支丹会館のこと

2011-08-22 05:19:00 | 活版印刷のふるさと紀行
 天草四郎の銅像はあちこちにあります。
島原の乱の原城址はもちろんのこと、四郎の生地とされている大矢野
町に2基、松島町パールセンター、それに鬼池港のフェリー乗り場にも
あります。
 
 写真の四郎像は本渡市にある天草切支丹会館にあります。原城の白っ
ぽい像はヤサオトコふう過ぎる気がしますので、凛々しさの点でで私は
こちらの方が好きです。

 さて、この天草切支丹会館は「殉教公園」の高台にありますが、天草
ととくに縁の深いルイス・アルメイダの記念像を見て緑の中を登って行
きますと、真っ白い十字架に赤い屋根の姿を見せてくれます。

 島原の乱や天草四郎に興味のある方にはぜひ足を運んでいただきた
いと思います。乱ゆかりの「天草四郎陣中旗」や血痕の残る聖旗、慶長
年代のマリヤ像のメダイ、十字架、ロザリオ、切支丹脇差などの展示で
往時が想像できます。

 また、ビデオコナーなどでキリシタンの歴史を視覚的にも理解しやい
し、館入り口で参考図書などの購入もできます。たしか、熊本空港から
直行バスもありました。
 神田川大曲塾の研修旅行もここをスタート地点にしてつぎに原城を訪
ねました。
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