加賀温泉駅発行 福井・金沢まで 特定特急券

昭和56年7月に北陸本線加賀温泉駅で発行された、福井および金沢までの特定特急券です。


   


桃色こくてつ地紋のA型矢印式券で、名古屋印刷場で調製されたものです。


同駅で発行されていました特定特急券は独特な様式で、矢印式の特急券というのは、あまり他に例がなかったのではないかと思われます。

いつの時代から発行されていた様式なのかわかりませんが、料金表示の活字が細かった時代の券もありましたから、もしかすると作見駅から改称された昭和45年当時から存在した様式かもしれません。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

富士急行 ハイランド駅から90円区間ゆき乗車券

前回エントリーで富士急行線富士急ハイランド駅発行の金額式券をご紹介いたしましたが、同駅が改称される前のハイランド駅時代の券がございましたので、御紹介いたしましょう。


   


昭和55年2月にハイランド駅で発行された、90円区間ゆきの片道乗車券です。

青色富士急行自社地紋のB型大人・小児用券です。前回エントリーの富士急ハイランド駅の券と同じ印刷場ですが、前者は同社の末期に設備された硬券で、小児断片の「」の活字が一回り大きく、今回ご紹介の旧様式券は小さ目の活字となっています。

ハイランド駅は昭和36年に同社が運営するレジャー施設である富士急ハイランドに隣接する駅として開業しましたが、この券が発行された約11か月後の昭和56年1月に富士急ハイランド駅に改称されています。

JRに西仙台ハイランド駅(廃駅)という駅が存在しましたが、同駅は昭和62年に開業しておりますので、富士急ハイランド駅の改称には関係はなさそうです。


コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )

富士急行 富士急ハイランド駅から1000円区間ゆき乗車券

平成4年1月に富士急行線富士急ハイランド駅で発行された、1000円区間ゆきの片道乗車券です。


   


青色富士急行自社地紋のB型金額式大人・小児用券です。印刷場がわからないのですが、富士急行や岳南鉄道等の同社系列会社で使用されていた印刷場の様式です。

同社独自の様式ではありますが、国鉄東京印刷場で調製された金額式券と基本的なレイアウトは似ていますが、同社の硬券乗車券は東武鉄道の足利印刷製のものよりも活字の印刷圧が均等でないために起こる印字の濃淡が激しく、この券で言うと「売当日限り有効」の文言が顕著に現れています。


発駅名は「富士急ハイランド」と8文字であるために5文字分しかないスペースには入りきらないため、特活を使用するのではなく、活字を組み合わせて2行に分けて表記されています。

地方の金額式乗車券を採用する私鉄としては比較的高額な金額式券であり、2行に跨った駅名表記と相まって、少々狭苦しい印象を受ける券です。

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )

草軽交通 北軽井沢から東京電環ゆき連絡乗車券

廃札券ですが、草軽交通北軽井沢から東京電環ゆきの連絡乗車券です。


   


JPRてつどう地紋のA型一般式券で、山口証券印刷で調製されたものと思われます。

軽井沢駅にある草軽交通のバスターミナルにあるお土産店で同社の廃札硬券をお土産品として販売しており、そこで1枚買い求めたところ、少し離れたところにある同社の本社車庫に他にも廃札券があり、希望者に販売しているようだというお話を聞き、その足で本社車庫を訪問し、入手したものです。

乗車経路は北軽井沢から軽井沢駅前までが自社バス路線を利用し、軽井沢駅で国鉄信越本線に乗り換えて高崎経由で東京電環(現・東京山手線内)までの経路となっています。

いつごろまで使用されていたものなのか、はっきりとしたことは不明とのことですが、券面から推測すると昭和44年のモノクラス化以降昭和47年の東京電環から東京山手線内への改称までの4年間の間に印刷されたものと思われ、同社が国鉄との連絡運輸をいつまで行っていたかによっては、それ以前に廃札となった可能性があります。


草軽交通は草軽電気鉄道という軽便鉄道を始祖とする事業者で、昭和37年に鉄道線を廃止してバスやタクシーを核とする事業者となり、鉄道線廃止後の昭和41年に草軽交通に社名が変更されています。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

新橋駅発行 初乗り区間用地図式券

昭和46年9月に新橋駅で発行された、30円区間ゆきの地図式乗車券です。


   


桃色こくてつ地紋のB型地図式大人専用券で、東京印刷場で調製されたものです。


昭和46年の国鉄運賃は昭和44年5月の改定の1~5キロ帯の30円区間で「初乗り」区間となります。その後の昭和49年の改定で、初乗り区間は1~3キロ帯および4~5キロ帯に分かれていますので、初乗り区間ながら遠くまで行けたものだと感じられます。

新橋から横浜方面は品川までで、東京方東北方面へは御徒町まで、中央方面は御茶ノ水、総武方面は浅草橋となっていました。まだ総武快速線はありませんので、地図上にはありません。


   


次は同じ新橋からの初乗り区間の券売機券で、まだ初乗り運賃が20円であったころのものです。桃色特殊用こくてつKOKUTETSU地紋のA型券となっています。
運賃帯は30円の時と変わりませんので乗車できる区間は同じですが、版面の関係でしょうか、秋葉原から直線に伸びた先に浅草橋があり、乗車可能区間を示す地図としては間違いないものの、一瞬違和感を覚えます。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

逗子駅発行 スカ色電車運転40周年記念入場券(113系)

前回に引き続き、逗子駅発行のスカ色電車運転40周年記念入場券の話題です。

シリーズの最後は当時としては現役で最終形である113系電車バージョンです。


   


白色無地紋の縦型D型券で、やはり東京印刷場で調製されたものです。


イラストに描かれている113系は横須賀線と総武線快速電車が直通運転をする際、東京地下駅に乗り入れをするため、当時の運輸省A-A基準対応の1000番台車のクハ111型電車が描かれています。


以上3回に亘ってご紹介させていただきましたが、これらの券はたまたま逗子駅を利用した際に見つけたもので、発見次第即3種類コンプリートしたものです。

当時は横須賀線を走っていた電車は42系から始まって70系と113系だけでしたが、もし今発売されているものであれば、第4弾としてE217系電車の券も発売されていたかもしれません。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

逗子駅発行 スカ色電車運転40周年記念入場券(70系)

前回エントリーに引き続き、42系の入場券と同時に逗子駅で購入した、70系バージョンです。


   


白色無地紋の縦型D型券で、東京印刷場で調製されたものです。図示いたしませんが、裏面は42系のものと全く同一ですが、セット売りではありませんでしたので券番は異なります。


イラストは70系のクハ76型電車で、列車番号表示窓が四角く、裾部にタイフォーンのない基本番台車で、全面窓がHゴム仕様となった姿の車両が描かれています。クハ76型電車にはほかに全金属車の300番台も存在しましたが、列車番号表示窓やタイフォーン部分が基本番台とは異なります。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

逗子駅発行 スカ色電車運転40周年記念入場券(42系)

平成3年1月に逗子駅で発行された、横須賀線スカ色電車運転40周年記念の入場券です。


   


白色無地紋の縦型D型券で、東京印刷場で調製されたものです。


これは横須賀線のスカ色電車運転40周年を記念して発売されたものらしいのですが、セット売りではなく、ばら売りで発売されていました。確か「電車シリーズ入場券発売中」という貼り紙が窓口にあったような記憶があります。

この券はシリーズの第1弾で、昭和25年から昭和39年の111系電車に置き換えられるまで走っていたモハ42系のクモハ43もしくは42・53型電車のイラストとなっておりますが、横須賀線で活躍した頃の姿ではなく、晩年の飯田線で活躍していた姿となっています。

現在の記念入場券のように予め有効期間を定めて発売されたものではなく、発売期間中に発券の都度日付を入れて発売されたもので、北海道の観光入場券のような方法で発売されました。


   


裏面です。

券番と発行駅名が印刷されていますが、発行駅名までが縦型に合わせた配置となっておりちょっと変わった様式です。

赤チェックがつけられていますが、上の券番のところに付けられておりますように、硬券ホルダーに入れられていたのではなく、輪ゴムで束ねて出札窓口の引出しに収納されていました。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

鉄道荷札

実家の屋根裏部屋を漁っていたところ、面白いものを発見しました。


   


鉄道荷札というもので、昔鉄道小荷物があった時代に荷物に括り付けた荷札です。別に通常の白い荷札でも差支えなかったのですが、敢えてこのようなものが売られていました。

鉄道小荷物では必ず荷物には紐を縛るようになっており、その紐にこのような鉄道荷札もしくは荷札をつけて発送しました。


   


昭和54年の夏に飯田線を走破した際に豊橋駅で撮影した、クハユニ56型電車の小荷物荷役風景です。紐で縛られた小荷物が紐に手鍵を引っかけられて、「ポイッ」とホームに投げ落とされていることがお分かりになるでしょうか?


   


宙に浮いたミカン箱のような段ボールがまさに投げ出されているところです。そして、各小荷物の紐には鉄道荷札もしくは白い荷札が付けられています。


当時の鉄道小荷物には「荷を大切に扱う」という観念はなく、「輸送に十分耐えられ得る荷造りをすること」があたりまえで、万一破損したら荷造りが不十分であったということになりました。


   


こちらも昭和54年の夏ですが、身延線富士駅でのクモハユニ44型電車の小荷物荷役風景です。
手前に立たれている帽子を斜に被っている国鉄職員は荷物を扱う専門の車掌職で「車掌(荷扱)」という車掌さんと思われます。荷物列車や荷物車を併結した列車に乗務しており、各駅での荷物の積卸の立ち合いや走行中の車内での仕分をして途中停車駅での荷卸しの準備などを担当しており、部内では「ニレチ」と呼ばれていました。

コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )

小田急電鉄 特殊補充券(出札用)

小田急電鉄の某駅で発行された、160円区間ゆきの乗車券です。


   


PJR若草色地紋の券で、ノンカーボン紙ではない軟券です。同駅では青色カーボンが使用されていました。様式としてはごく一般的な様式ですが、発行箇所および「(入鋏・途中下車印)」以外の文字はゴシック体となっている特徴があります。

同社は補充券の発券については管理が厳しいようで、常用として使用されている元箱根の案内所以外では発券する正当な理由がない限りほぼ断られてしまいますが、某駅でダメ元で隣駅まで乗車券をお願いしてみましたところ、特に断られることもなく快く発券してくださいました。

この駅には窓口にある引出ラックに「補充券」というトレーがあり、そこには出札用特殊補充券のほかに改札用の特殊補充券もありました。改札用のものも見せていただきましたが、現在では再収受証明を改札端末で発券するようになっているため、平成12年以来発券された形跡はなく、発行できる理由が限られてしまうことから難しいということで、こちらは発券できないということでした。


出札用の特殊補充券については控えをパラパラと見せて頂きましたが、JR東海連絡の乗車券や障害者用の連絡乗車券等での発券実績が殆どで、さすがに自社完結の乗車券の発券実績はありませんでした。


補充券の発行は通常の業務ではなく、発行の可否は会社や駅の方針もしくは係員氏の裁量に拠るところが多く、必ずしも発売していただけるものではありませんので、HP等で補充券の発行を容認することを公開している社局である場合を除き、発行箇所名を伏せさせていただいております。

コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ