江ノ島電鉄 鎌倉から130円区間ゆき片道乗車券

昭和59年9月に江ノ島電鉄鎌倉駅で発行された、130円区間ゆきの片道乗車券です。


   


緑色PJRてつどう地紋のB型大人用金額式券で、山口証券印刷で調製されたものと思われます。
発行駅名が「〇南 〇D 鎌倉駅発行」となっているように、この券は西口にある江ノ島電鉄の窓口で発売されたものではなく、東口の国鉄窓口で発行されたものとなります。「〇南」は東京南鉄道管理局を、「〇D」はD番窓口で発行されたことを示します。

鎌倉駅東口は大正5年に完成した三角屋根の時計塔のある洋風の駅舎でしたが、この券が発売された約1か月後の昭和59年10月に現在の駅舎が完成しています。


平成29年も本日で終わりです。明日からは平成30年が始まります。鎌倉駅周辺には鶴岡八幡宮を始めとするたくさんの初詣スポットがありますので、正月三が日は大変混雑することが予想されます。


本年も拙ブログ「古紙蒐集雑記帖」に御訪問いただきましてありがとうございました。今年の更新は本エントリーで終了し、明日「元日」より更新をして参りますので本年同様よろしくお願い致します。
それでは良いお年をお迎えくださいませ。
                          古紙蒐集雑記帖 管理人:isaburou_shinpei

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西武鉄道 立正佼成会団体往復計数券

頂き物のために発行年が不明ですが、西武鉄道が発行した、立正佼成会団体往復計数券です。


   


緑色せいぶてつどう自社地紋のB型券となっています。図示いたしませんが、裏面には券番しかなく、発行箇所名の表記はありません。
西武新宿を起点とし、拝島線玉川上水駅までの往復券となっており、券面注意事項に拠れば、往路では途中下車は出来ず、復路では区間内であればどこでも下車することができますが、下車前途無効となるようです。


立正佼成会は庭野日敬(にわの・にっきょう)開祖が、人に尽くすことを喜びとし、祖父・重太郎や、「なるべく暇がなくて、給料の安い、骨の折れる所へ奉公するように」と諭す父・重吉らの教えを受け、恩師である新井助信師や長沼政(のちの長沼妙佼脇祖)との出会いを経て、日蓮系で法華経に帰依し、慈悲の実践に徹する教えの宗派で、本部は東京都杉並区にあります。


玉川上水駅近くには付属の霊園である佼成霊園があり、この券は同会が西武鉄道と往復運賃分の団体契約を結び、関係者が本部と霊園間を個別に行き来するために設備されているものと思われます。

「計数券」とは、団体乗車券を1枚ずつ分割したもので、JRにある「団体旅客乗車票」とは意味合いが異なって団体旅行の全行程を旅客毎に分割するもので、会社によっては「数取券」という名称となっている所もあるようです。

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西日本ジェイアールバス 〇自金沢駅発行 武蔵ヶ辻から香林坊ゆき片道乗車券

平成28年9月に、西日本ジェイアールバス 〇自金沢駅で発行された、名金線武蔵ヶ辻から香林坊ゆきの片道乗車券です。武蔵ヶ辻から香林坊ゆきの片道乗車券です。


   


青色JRW地紋の補片(補充片道乗車券)で、発駅も記入する必要のある「記補片」です。
様式としては国鉄時代から継承されたままで、鉄道用の補片が使用されています。

本家のJR西日本管内では、様式は残っているかも知れませんが、基本的に乗車券は補片の他に出札補充券で事足りてしまうので、様式としては絶滅危惧種であると思われます。


   


裏面です。
ご案内文は国鉄民営化直後の補充券に記載されているような内容ですが、現在では鉄道線との普通旅客の連絡運輸は廃止されてしまっているため、意味を成すものではなくなってしまっています。

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錦川鉄道 錦町から小児90円区間ゆき片道乗車券

平成29年8月に、錦川鉄道錦町駅で発行された、小児用90円区間ゆきの片道乗車券です。


   


桃色の食券などで使用されている汎用地紋のA型金額式券で、駅に設備されている食券型の券売機で発売されたものです。

様式的には私鉄で使用されているような金額式券となっており、拙ブログ2017年10月31日エントリーの「JR西日本 岩国駅発行錦川鉄道230円区間ゆき連絡乗車券」で御紹介いたしましたJR発の連絡乗車券が「錦川会社線」となっているのに対し、今回御紹介の券は「錦川清流線」となっています。


一般的に金額式乗車券というものは「〇〇〇円区間」というのは大人運賃で「『〇〇〇円』で乗車できる区間」という意味になるので大人用の金額を記載して小児用のマークを入れ、「小児〇〇円」という小児用発売額を併記するのが一般的ですが、この券の場合、小児運賃(90円)が記載されており、大人運賃(170円)の記載がありません。

このような例は京浜急行電鉄の県立大学駅で発行された金額式硬券乗車券等一部の例があるだけで、比較的珍しい部類ではないかと思われます。

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東京駅発行 新幹線経由新横浜ゆき片道乗車券

昭和59年4月に、東京駅の62番窓口(現在の地下中央口のみどりの窓口付近)で発行された、新幹線経由、新横浜ゆきの片道乗車券です。


   


桃色こくてつ地紋のB型相互式大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。
この券は実際に新横浜駅まで乗車していますが、たまたま新横浜まで行くときに窓口を覗いたところ、券箱に「新横浜」という口座のホルダーを見つけ、新横浜で回収される恐れがあったものの購入した次第です。


当時の国鉄は着札の管理が大変厳しく、たとえ自分が使用したものであれ、使用済のきっぷは「有価証券だから」とか「審査に回すからきっぷはあげられない」とか言われて回収されてしまうことが大抵でした。しかし、改札掛によっては「他の人にここで貰ったって言わないでよ」と言ってナイショでもらえたこともありました。
この券はナイショでもらえたものですが、現在では「乗車記念」印などというものが改札口に有るくらい、使用済のきっぷを手元に残すことが容易になっており、着札に対する考え方が変わって来ていることに驚きます。

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JR東日本 岩館駅発行 普通入場券

前回および前々回で御紹介いたしました、JR東日本の「発売日共1回限り有効」という誤植のある普通入場券を御紹介いたしましたが、今度は少し離れた秋田県にありますJR五能線岩館駅で発行された券を御紹介致しましょう。


   


平成元年3月に五能線岩館駅で発行された普通入場券です。今まで御紹介させていただいたものと同様、白色無地紋のB型大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。
この券も「発売当日1回限り有効」となるべきところ、「発売日共1回限り有効」とされてしまったミス券となっています。

今まで群馬県・栃木県・秋田県と3つの県にある駅で発行された例を御紹介いたしましたが、ほぼ同じ時期にこれだけ同じミスを犯した券が出回っているということは、駅名だけを変更してその他部分はそのまま流用して印刷してしまったことが原因と思われ、他にも例があるものと推測されます。


「この程度」と言っては何ですが、見つけようとしなければ見つけられない程度のミスでは、駅側もこのようなミスがあるという認識がありませんから、意外と気づかれないまま発売されてしまうのでしょうね。

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JR東日本 足利駅発行 普通入場券

前回エントリーにて吾妻線長野原(現・長野原草津口)駅で発行された、「発売日共1回限り有効」という文言が印刷されている誤植がある普通入場券を御紹介いたしましたが、同じミスは同時期の東京印刷場で調製された普通入場券に多発していたと思われ、他駅発行の券にも同じ事象の券がございましたので御紹介致しましょう。


今回は、平成元年4月にJR東日本両毛線の足利駅で発行された普通入場券です。


   


白色無地紋のB型大人・小児用券で、東京印刷場で調整されたものです。
この券も長野原駅のものと同じく「発売当日1回限り有効」となるべきところ、「発売日共1回限り有効」という文言になってしまっているミス券となっています。

前回の長野原駅が群馬県内の駅であるのに対し、今回の足利駅は栃木県内の駅であり、支社も異なっていることから、たまたま請求に対してミス券が送られてしまったものと思われます。

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JR東日本 長野原駅発行 普通入場券

平成元年2月に、JR東日本吾妻線の長野原(現・長野原草津口)駅で発行された普通入場券です。


   


B型白色無地紋の大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。
東京印刷場の普通入場券には発行会社名を示す「ロ東」の符号が付けられていませんので国鉄時代のものと様式上の変化はありませんが、国鉄時代の残券であるかどうかの判断ができないものの、発売日からJRとなってからの券であることが理解できます。
この券は一番下の行の「発売当日1回限り有効」の文言が「発売日共1回限り有効」となってしまったミス券となっており、「発売当日」と「発売日共」、「1回限り有効」の活字はそれそれ独立したものを組んで組版していることが分かります。


長野原駅は戦時中の昭和20年に渋川駅で上越線から分岐した長野原線という貨物線の駅として開業し、戦後の昭和21年から旅客営業を開始しています。
昭和46年に長野原線が大前駅まで延伸された際に吾妻線に路線名が改称され、以後、吾妻線の駅となっています。

JRとなった後の平成3年12月に長野原草津口駅に改称されていますので、JRとして長野原駅を名乗ったのは、昭和62年4月の国鉄民営化から4年8か月間であったことになります。

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京王帝都電鉄 吉祥寺駅発行 西永福ゆき片道乗車券 ~その2

前回エントリーで、京王帝都電鉄吉祥寺駅で発行された西永福ゆき片道乗車券を御紹介いたしましたが、それより発行日が5か月ほど古い券がありましたので御紹介いたしましょう。


   


昭和30年9月に京王帝都電鉄吉祥寺駅で発行された、西永福ゆき片道乗車券です。

前回エントリーの券同様、桃色PJRてつどう地紋のB型一般式大人・小児用券で、井口印刷で調製されたのではないかと思われます。こちらの券は旧字体から新字体への過渡期のようで、旧字体と新字体の活字が混ざりあっています。


発駅や発行箇所名の前に「〇東」の符号がありませんので、この券は南口にあった京王帝都の窓口で発売されたものと思われます。この窓口はガードの下の、今のキラリナの入口あたりにあったようです。

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京王帝都電鉄 吉祥寺駅発行 西永福ゆき片道乗車券

昭和31年2月に京王帝都電鉄(現・京王電鉄)吉祥寺駅で発行された、西永福ゆきの片道乗車券です。

   


桃色PJRてつどう地紋のB型一般式大人・小児用券で、山口証券印刷で調製されたものと思われます。
この当時の京王帝都電鉄の乗車券は汎用のPJRてつどう地紋が使用されていましたが、昭和30年代中頃に自社地紋が制定され、変更されているようです。


発駅である吉祥寺駅の発駅の前(左側)に「〇東〇B」の符号があり、発行箇所名の左側にも「〇B」の符号があることから、この券は国鉄中央本線の吉祥寺駅にあります国鉄の「〇B」窓口で発行されたものと推測されます。

当時の吉祥寺駅は今のように高架駅とはなっておらず、北口方面から乗車する旅客は国鉄窓口で京王井の頭線の乗車券を購入し、国鉄の改札を通って乗場に行くようになっていましたので、間違いないと思います。


「〇東」は国鉄東京鉄道管理局の符号で、同局は晩年、東京南・東京北・東京西の3局に分割されています。

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