カレーなる日々 / शानदार दिन

インドの日常を中心に日々を綴っています。

インド建国の父「S.C.ボース」その②。

2019年05月31日 21時59分59秒 | インド / INDIA
1947年のインド独立に際して重要な役割を果たしたのが、
ガンディーであり、ボースであり、ネルーや独立運動に参加した、
政治家やたくさんのインドの民衆であった事は当然である。

また、日本の協力も大きかったと思う。

ボースとインパール作戦を調べてみて私が感じた事だが、
もしもボースがミャンマーで・・・・
ビルマ方面軍司令官の河辺中将に会わなければ・・・・
インパール作戦は行われなかったかもしれない。

インパール作戦は1943年3月に昇進した牟田口中将が、
強固に主張した作戦で、河辺中将は一部賛成していたが、
情勢は極めて不利であり、作戦は中止すべきであった。

ボースがミャンマーで河辺中将に会ったのは1944年1月である。
河辺中将はインド独立に架けるボースの気持ちに打たれ、
全面的な協力をしようと言う気持ちになったのではないか。

あの日、あの時、あの場所で・・・
河辺中将がボースに会わなければ・・・
インパール作戦は中止になっていたかもしれない。

インパール作戦は9万人もの尊い命が失われ(戦死、病死、餓死)、
失敗に終わり無謀な作戦の代名詞になっているが、
弾も尽き、補給もなく、病気に苦しみ、食料も尽きたにもかかわらず、
向かってくる日本兵にイギリス軍は恐れをなし、
戦いには勝ったが祝勝会も行わなかった。
東京裁判にインド人のパール判事を送り込んだのは、
敵ながらあっぱれと敬意を表したのだと考えられる。

インパールを越えて―F機関とチャンドラ・ボースの夢
国塚 一乗
講談社


1945年8月18日、ボースは台湾から中国の大連に向かう時に、
離陸時の飛行機事故によって瀕死の重傷を負い、
台北市の病院に収容されたがインド独立を見ずに死去した。

「インド独立の最後を見ずにして死ぬことは残念であるが、
 インドの独立は目睫の間に迫っている。それ故、自分は安心して死ぬ。
 自分の一生涯をインドの独立に捧げたことに対しては
 少しも遺憾がないのみではなく、非常にいいことをしたと満足して死ぬ。」

「私はまもなく死ぬだろう。私は生涯を祖国の自由のために戦い続けてきた。
 私は祖国の自由のために死のうとしている。祖国に行き、
 祖国の人々にインドの自由のために戦い続けるよう伝えてくれ。
 インドは自由になるだろう。そして永遠に自由だ。」と告げた。

当番兵がボースに「何か食べたいものがあるか?」と聞くと、
「カレー。」と聞こえたため、当番兵がカレーライスを作り、
スプーンで食べさせると、ボースは「グッド。」と答えた。
しかし2・3口食べると、ボースはそれきり動かなくなった。

夏期である上に火傷による損傷が激しかったため、
荼毘に付され、台北市内の西本願寺で法要が営まれた。

9月5日にボースの遺骨は日本に運ばれ、
東京都杉並区の日蓮宗蓮光寺の住職望月教栄が葬儀を引き受け、
9月18日にボースの葬儀が行われた。

インド独立連盟東京代表のラマムルティ氏は遺骨を蓮光寺に託した。
遺骨の一部はラマムルティ氏の弟から、
2006年にボースの兄の孫に返還された。



東京メトロの東高円寺駅の近くに連光寺はある。
日蓮宗の小さなお寺である。



入口の正面に1975年に設置されたボースの胸像がある。

 

胸像の裏側にプレートが埋められており、1957年にネルー首相、
1958年にラジェンドラ・プラサード大統領、
1969年にインディラ・ガンジー首相、
2001年にバジペイ首相が訪れた記録があった。

遺骨は本堂の向かって右の特別の祭壇に納められている。
白い布に包まれた骨壺を納めた木箱があるそうだ。

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インド建国の父「S.C.ボース」その①。

2019年05月30日 22時15分59秒 | インド / INDIA
革命家チャンドラ・ボース―祖国解放に燃えた英雄の生涯 (光人社NF文庫)
稲垣 武
潮書房光人新社


インド独立の父としては「ガンディー」が有名だが、
ガンディーが非暴力を訴えたのと対象に
武力をもってしても独立を勝ち取るべきと訴えたのが、
スバス・チャンドラ・ボースである。

1897年に西ベンガル州カタック(現在はオリッサ州)に生まれ、
弁護士であった父親に影響を受けて育ちカルカッタ大学で学士号を取得。
1919年に両親の希望でイギリスのケンブリッジ大学の大学院に留学した。

1920年頃からインドの独立運動に参加しはじめ、
翌年ガンディー指導の反英非協力運動に身を投じた。

ボース自身は非暴力での独立は現実的ではないと考え、
イギリスの武力支配に対抗するには武力をもって独立するしかない、
との信念を抱いており非暴力主義には強く反対していた。

イタリアのファシズムに傾倒し、1926年には、
「ファシズムと共産主義の新たな総合をインドは実現する」べき、
であると主張しイギリスからマークされた。

インド独立―逆光の中のチャンドラ・ボース
長崎 暢子
朝日新聞社


その後も即時独立を求めるインド国民会議派の左派、急進派として活躍し、
勢力を伸ばし、1938年度の国民会議派議長に推薦された。
ボースはインドを解放できる国はソ連だけだと考えており、
社会主義的思想の点からも親近感を持っていたため、
ソ連に向かおうとしたが入国できなかったため、
1941年ドイツに入国した。

しかし、ドイツやイタリアと同盟を結べなかったため、
日本に協力を求めようと考え、1943年日本に入国した。

日本で活動していたビハーリー・ボースやA.M.ナイルと合流し、
ビハーリー・ボースの後継者としてインド独立連盟総裁と
インド国民軍最高司令官に就任した。
当時の首相であった東條英機は最初は相手にしていなかったが、
次第に人柄に魅せられていった。

1944年ミャンマーで河辺中将に会った事から、
インパール作戦が決行されていくのであった。

1945年終戦後・・・ボースは中国にインド仮政府を置く事を計画し、
台湾より満州国へ向かうが、飛行機が離陸時に事故を起こし死亡。
インドの独立(1947年)を見る事はなかった。

今でもインドの公立の施設や学校には、
ガンディーやネルー(インド初代首相)の写真と共に、
ボースの写真が飾られている所も多い。

インド独立にかけたチャンドラ・ボースの生涯 (1971年)
新樹社,アレクサンダー・ヴェルト
新樹社


インパール作戦とボースの墓については後日、別途記載する。

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インド建国の父「M.K.ガンディー」その②。

2019年05月29日 22時03分59秒 | インド / INDIA
1915年、46歳の時にインドへ帰国したガンディーだが、
イギリス軍によるアムリトサルの大虐殺(1919年)から、
「イギリスへの協力は独立へとつながらない」と思うようになった。

第一次世界大戦(1914~18年)後、不服従運動を展開し、
イギリス製品の不買運動を行い、
インドの綿製品(カーディ)を着用することを呼びかた。
綿を紡ぐチャルカ(糸車)を回すガンディー。



1930年にはイギリスによる塩の専売に反対し、
グジャラート州アーメダーバードからダーンディー海岸まで
約386Kmを抗議の為に行進した「塩の行進」は有名である。



ガンディーは非暴力でインド独立を勝ち取ろうとし、
たびたび断食をして訴えた。宗教やカーストに関係なく、
インドに住んでいるインド人はみな同じインド人であると言う理念から、
イスラム教徒を含めヒンドゥスタンとして独立を望んだが、
結局はインドとパキスタンは1947年、分離独立した。

 

そして1948年1月30日、ガンディーは、
ヒンドゥー至上主義者によって暗殺されてしまう。
ヒンドゥー教徒でありながらイスラム教徒に肩入れしたと言う理由で。

ガンディー 魂の言葉
浅井 幹雄
太田出版


マハトマーとは、ヒンディー語で「偉大なる魂」と言う意である。
これは詩聖ラビンドラナート・タゴールが名付けたのだが、
ガンディー自身は「バブー(お父さん)」と呼ばれる事を好んだそうだ。

私の友人でアーメダバードのガンディーの大学で7年学んだ、
変人(尊敬の念を込めて、あえてこう呼ぶが)がいるが、
彼女曰く、ガンディーはただの偏屈で頑固な爺さん、だそうだ。

今年の10月2日には最大な誕生祭が行われるかもしれない。
ちょっと楽しみである。

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インド建国の父「M.K.ガンディー」その①。

2019年05月28日 21時32分59秒 | インド / INDIA
世界で最も知られているインド人であろう。
今年はガンディー生誕150周年である。

ガンジー自伝 (中公文庫BIBLIO20世紀)
蝋山 芳郎
中央公論新社


モーハンダース・カラムチャンド・ガーンディーは、
1869年10月2日グジャラート州の海岸にある
ポールバンダルと言う町で生まれた。
父はポールバンダル藩王国の宰相であった。

小学校の時に父親の仕事の関係でラージコットに引っ越したが、
成績は悪く肉食をしたり煙草代を工面するために、
召使いのお金をくすねたりしていたそうだ。



ラージコットでガンディーが暮らしていた家は、
商店街の中にあったがひときわ大きな屋敷だった。
現在は記念館になっており写真などが展示してある。



12歳で上の写真のアルフレッドハイスクールに入学したが、
当時の習慣で13歳の時にカストゥルバと結婚したため、
学業よりも奥さんが気になって仕方なかったと自伝にも書いてある。
17歳の時に父親を亡くした時にも奥さんと一緒にいたため、
死に目に会えなかった。それが後に禁欲的生活につながって行く。
現在、学校は閉鎖されており中には入れない。

18歳の時、弁護士になるために妻子を残してロンドンに留学。
そこでバガヴァット・ギーターや新約聖書などを読み、
インド哲学や文化、ヒンドゥー教の精神も勉強した。

これはガンディーの研究者である立教大学の竹中教授の話であるが、
意気揚々と帰国したガンディーであったが、
この時分のインドでは弁護士としての仕事はなかったとの事である。

仕方なく24歳の時に南アフリカに渡ったガンディーは、
白人優位の人種差別を肌で感じ、インド人の為に弁護をし、
そこからインド独立運動へ進み始める。
南アフリカのダーバン近郊で共同農園を創設し、
禁欲、断食、清貧、純潔を実践していく。
1915年、46歳の時にインドへ帰国。(続く。)

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今日の機内食(ヴィスタラ)

2019年05月27日 21時43分59秒 | 東インド / EAST INDIA
ヴィスタラ航空の機内食は評判が良い。
評判がいいのは機内食だけではないのだが、
飛行機の設備、サービス、制服(笑)も・・・
特に男性客にはポイントが高い。

さて、機内食である。ちゃんとノンベジもある。
まぁお酒はないけれど。



ライスの左側がチキンカレー、右側はサーグカレーである。
旨しっ!

左上はミルクに乗ったグラブジャムンであるが、
砂糖のシロップじゃないので甘さが薄まって良い。

いつも思うのだが・・・・パンって・・・
どうしてカレー弁当にパンなのであろうか?
いらないな~と思っている。



食後のコーヒーはスターバックスらしい。

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今日のカレー(No.382) ~6ボーリーグンセ・パレスー~(コルカタ)

2019年05月26日 21時55分59秒 | カレー / CURRY
コルカタのベンガル料理のレストランを検索した時にヒットした店で、
タクシーの運転手にも勧められた店。

イギリス統治下の宮殿であった所に2003年に開店し、
2015年に現在の姿になった3階建ての大きな高級レストラン。
国内のバンガロールとアッサム州のグワハティの他、
ロンドンとマンハッタンにもあるらしい。



入口の片隅にこのような人形も飾られているが、
1階部分はベンガルの家の雰囲気を出すために大きな空間に、
チーク材の椅子、ビクトリア朝のコーナーテーブルがある。



           

住 所:6, Ballygunge Place, Ballygunge,
     Kolkata, West Bengal, India
電 話:91-24603922
予 算:300Rs~

<食したメニュー>



ダール・カレー 105Rs(約165円)、
イッリッシュ・パトゥリー 625(約985円)、
ライス 170Rs(約270円)、水 19Rs(約30円)、
ベイクド・サンデッシュ 105Rs(約165円)、
バーパ・ドーイ 90Rs(約140円)、税金別途5%

意外にそれほど高くないのであった。

<店内の雰囲気>

お皿も椅子もデザインが良く惹かれる・・・。



インド人の家族やカップルが落ち着いて食事を楽しんでいる。



私達が案内されたチェス盤をモチーフにした部屋以外に、
4つの芸術的なインテリアの部屋があるらしい。

<感想と評価>

 
            
優しい味のムング豆のカレーとライス。


            
イッリッシュ・パトゥリーと言う骨なし魚の
マスタードカレー。


            
魚と豆のカレーがあればそれで十分である。
ベンガル料理は数々あれど基本はこれかな。


            
デザートはヨーグルト(左)とベイクド・サンデッシュ(右)。
ヨーグルトはバーパ・ドーイと言う名前だった。
よく見かけるミスティー・ドーイが黒糖風味だとすると、
これは黒糖風味ではない甘いまったりとしたヨーグルト。 

違った2種類のデザートが頂けて幸せ。


            
マウス・フレッシュ。白いのはインド全土でよくある、
砂糖でコーティングされたフェンネルで、
茶色い方はパーン(噛み煙草)の中身であった。

 評価は◎(行くべし!)
      (3段階、◎:おすすめ ○:まぁまぁ ●:う~ん)

■お断り■
 味に関しては、間違いなく主観でしかありません。(100%!)
 同意見・反対意見など、あると思いますが、
 あくまでも、私の味覚に合うかどうかなので、
 気にしないでください。あしからず。

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コルカタ市内の乗物。

2019年05月25日 22時01分59秒 | 東インド / EAST INDIA
コルカタ市内の乗物としてはメトロの他に、
トラム(路面電車)がある。その他は電車、タクシーとバス、
オートリクシャ、サイクルリクシャ、人力車である。

トラムと呼ばれるこの路面電車はアジア最古の物で、
1902年から電化された。
インドでは唯一のトラムで27路線あるが、
実は乗った事がない・・・乗り方解んないんだもん。
2両編成で女性車両もあり4Rs(約7円)ほどで乗れる。
一部は柵があったりするが普通に車も走っている。

 

これは電車。



これがタクシー。相変わらすのアンバサダー。



バスはかなりボロイ。エアコンもない。

 

人力車は1997年からなくなると言う話があったが、
未だに走っている。
日本の浅草や京都などの古都にある観光用の物ではなく、
裸足の人力車夫もおり、一様に貧しく弱々しい男たちが引いているので、
乗るのに気が引けて未だに乗った事はない。

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【インドの空港】 ~ ネタジ・スバス・チャンドラ・ボース国際空港 ~(コルカタ)

2019年05月24日 21時51分59秒 | 東インド / EAST INDIA
正式名称は「ネタジ・スバス・チャンドラ・ボース国際空港」である。
インド独立の指導者であった、
スバス・チャンドラ・ボースの名前がついている。
ネタジとは指導者と言う意味である。
ボースについては後日改めて記事にしたい。

インド国内のほとんどの空港が新しくなっており、
コルカタの空港も綺麗になっていた。
到着ロビー辺りもこの通り。



これは出発ロビーにあった柱。



ちょっとした食事の自動販売機があったり。
でも使い方が解らないのでスタッフがついている所は、
メトロの自動券売機みたいで、さすがインドと言う感じ。



到着した飛行機から空港の建物へは、
徒歩移動だったりするところは地方の空港だなと思う。



後は、空港から市内までメトロで移動できるようになれば、
言う事がないのである。

インドで初めてメトロが開通した都市はコルカタである。
1997年当時もあった。しかしその後、後続のデリーや、
チェンナイ、バンガロールなど多くの都市でメトロが開通し、
路線も拡大しているにも関わらず、コルカタはそのままである。
頑張れ!コルカタ!!

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ボタニカル・ガーデン(コルカタ)。

2019年05月23日 21時22分59秒 | 東インド / EAST INDIA
コルカタの観光場所は少ない。
今回は植物園に行ってみた。
1997年10月に初めて訪れた時には、
あまりの広さに出口が解らなくなって困ったものだ。
その時は言葉も通じなかったし・・・・。

20年以上ぶりに行った所、
入口から50Rsで乗れる電動の乗物があった。
それに結構な観光客がいた。こんなふうに・・・
いちゃいちゃしているカップルはどこにでもいるものだ。



さて、この植物園はコルカタの南西部にある。
歴史は古く1787年に東インド会社により設立され、
その後、茶の木の栽培などが行われた。

2009年にインドの科学者である
ジャグディシュ・チャンドラ・ボースの名前を冠して
アーチャルヤ・ジャガディッシュ・チャンドラ・ボース植物園になった。
(アーチャルヤはヒンディー語で教授とか学術に秀でた人の事。)



この植物園の名物は・・・・
世界一大きなバニヤンの樹(ベンガル菩提樹)である。

念のため入口で係員に場所を聞いたら、
まっずぐ行けと・・・・・
こんなススキのような草原を超えて・・・



こんな花を見ながらマイナスイオンを浴びながら進む。

 

こんな碑の先に・・・・



いよいよ・・・・



グレート・バニヤン・ツリーへの道は開けた。



道の突き当りには森があった。いや森ではない。
樹齢240年の一本の木である。
高さは約25m、周囲は400mを超える。
陸上競技場のトラックが400mだとすると、
まぁそれより大きいと言う事になる。



昔は木の中央まで近づけたが、
今は柵に囲まれており近づけない。
この小道の突き当りが元の幹であろう。

バニヤンの樹は一本の幹から枝が伸び、
その枝から気根が垂れ下がり地面に到達する。
その数は2800本以上で、どんどん増えている。
(一部人工的な支柱で支えている。)

バニヤンの樹の前には池もあり、
草の上に座ってのんびりとするのもいいだろう。



植物や樹木が好きな人は楽しいと思う。
名も知らぬいろんな木や草、花がある。

 

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今日のカレー(No.381) ~カストゥーリー~(コルカタ)

2019年05月22日 22時08分59秒 | カレー / CURRY
デリーならいざ知らず、コルカタは勝手が違う。
ベンガル料理のレストランを何軒かピックアップしていたが、
タクシーの運転手に聞いてみたところ、
この店を勧められた。チェーン店で市内に何軒かある。

ベンガル人は魚を良く食べる。
ベジタリアンとだと堂々と主張する人でさえ、
魚を食べる・・・まぁこれはチリ人も同じだったけど。
肉を食べない人の事をベジタリアンと言うらしい。
日本人からしてみれば・・・どんなベジタリアンやねん!
となるのだが。

           

住 所:13/1B, Anil Moitra Road, Kolkata,
     West Bengal, India
電 話:91-8334922225,8334888851
予 算:200Rs~

<食したメニュー>

単品で魚、蟹、海老、チキンなどのメニューもあったが、
フィッシュ・ターリーを選択。

フィッシュ・ターリー 400Rs(約630円)、
ミスティ・ドーイ 40Rs(約65円)

<店内の雰囲気>

道路に面している1階では1個25Rsのロールも売っている。
2階がレストランになっている。

<感想と評価>

 
            
まずは青唐辛子が・・・いらんけどね。
その後は玉ねぎとキュウリ。


            
そしてこのお盆の中から好きな物を選ぶ。
全部は無理っ!
と言う訳で・・・・いくつか気になった物を選択した。

 
            
魚と小エビ、ゴーヤなどを選択。
普通に魚が食べられるっていいね。
ベンガル料理は日本人にとってありがたい。


            
まだ来る~。これも全部は無理っ。


            
包み隠された物が気になるのは当然。
ベンガル料理で一般的な魚と言えばベクティとヒルサ。
どちらも白身の淡白な味わいのある魚である。
マスタードのカレーで頂くのだ。これが絶品。


            
シメはやはりベンガルの名物ヨーグルト。
甘いヨーグルトと言う、そのまんまの名前。
黒糖のような甘さとまったりとした舌触り。
これを食べずにベンガル料理を語れるか!
 
 評価は◎
      (3段階、◎:おすすめ ○:まぁまぁ ●:う~ん)

■お断り■
 味に関しては、間違いなく主観でしかありません。(100%!)
 同意見・反対意見など、あると思いますが、
 あくまでも、私の味覚に合うかどうかなので、
 気にしないでください。あしからず。

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【インドの宿泊施設】 ~ホテル・リラックス~(コルカタ)

2019年05月21日 21時51分59秒 | 東インド / EAST INDIA
アゴダで予約したコルカタのホテルである。
コルカタの安宿と言えばサダル・ストリートが有名で、
以前コルカタに宿泊した時にはそこで宿を取った。
今回は他のエリアを勉強するために、
あえて知らないエリアをあたった。

メトロのセントラル駅とMGロード駅の間で、
MGロードの近くであったが、
土地勘があるわけではなかったので、
周囲が便利なのかどうかは解らなかった。
まぁコルカタなので、どうにかなるかと・・・思ったのだが。

まずチェックインでつまづいた。
予約サイトで支払いが済んでいても安心してはいけない。
それはジャイプルでも経験済だった。

このホテルでアゴダのバウチャーを提示したのだが、
なんと! 1月でアゴダとの契約は終わっているとの事。
なに言ってくれちゃってるの、支払い完了だし。
今さら契約ないと言われても困るんだけど。

慌ててもしかたないので部屋があるのかと聞けばあると言う。
では現金で支払えば泊まれるのか?と聞けば大丈夫との事。
その場でインドのアゴダに電話したが繋がらず(想定内)、
後でクレームを付けるとして部屋に案内してもらった。

 

部屋は広くAC(エアクーラー)とTVがあり、
デスクと椅子、テーブルとソファもあり、
タオルと石鹸もあった。バスルームであるが、
なんと引き戸であったので閉じ込められる心配もなし。



まぁ狭かったがお湯は出た。
1500Rsで税金は別途12%だった。

ホテルの周辺は学校街と商店街であったが、
まともなレストランはなく・・・
ホテルの前に2軒ほど露店の食堂があるだけだった。

なお、アゴダの対応であるが、メールには翌日に返信が来て、
調査中であると書かれている。
まぁあまり期待していなかったのだが、その後、
数日して支払ったお金は返金すると言う連絡が来た、

そしてホテルで支払った証拠に領収書を添付して、
連絡した所、その分も返金してくれるとの事だった。
期待以上の対応であった。めでたし、めでたし。

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【インドの宿泊施設】 ~フロート・エコ・ホテル~(コルカタ)

2019年05月20日 22時00分59秒 | 東インド / EAST INDIA
コルカタは3回目・・・と思い調べたら4回目で、
1997年、2005年、2010年に来ていた。
2010年は、ほぼ通過で24時間も滞在しなかったので、
全く記憶になかった。(歳は取りたくないものだと思った・・・。)

コルカタの名所と言って思い付くのは・・・・
マザーテレサの居た修道院、ビクトリア記念堂、
ハウラー橋、博物館、植物園、カーリー寺院、ビルラー寺院、
ドッキネッショル寺院、パレシュナート寺院あたりかな?

これらの場所に行きやすい場所で3つ星程度のホテルを探した所、
以外にもコルカタのホテルは安くない事が解った。
で、見つけたホテルがここだった。
なんと名前の通りフーグリー河に浮かんでいるホテルである。

道路からは線路を渡って入る。

 

フロントは陸地にあるのだが客室へはこのタラップを渡り、
河に停泊している船に行く。この時は引潮だったので、
陸地より船は低いのだが、満潮になると平行位の高さになる。

 

船室である。

 

部屋はツインベッドで結構な広さがあり、
窓からは河が見える。

 

バスルームは少し古い感じがするがアメニティもあった。



船の最上階にはレストランがあり、
フーグリー河に架かるハウラー橋や街が見える。



なお、宿泊した方の話では・・・・
けっこう揺れたらしい。船に弱い人は泊まれない。

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今日のカレー(No.380) ~アル・クレシュ~(ニザムディン)

2019年05月19日 21時41分59秒 | カレー / CURRY
ニザムディンと言えばカリム・ホテルである。
世界遺産であるフマユーン廟の向いにあるので、
観光のついでに利用しやすい。が!やってなかった。

月曜日は定休日なのであるが、月曜日ではなかった。
おかしい・・・・通りがかりのムスリムに聞いてみたが、
解らないと言う。どうしたものか・・・
そこで近隣のレストランを紹介してもらったのだが、
ちょっと先に行った右側にあるアル・クレシである。

いつも思うのだがニザムディン地区はオールドデリーとは違い、
本当にローカルな場所なので、イスラム教徒しかいないが、
みな穏やかで親切な人達である。

           

住 所:224, Near Markaz Market, Nizamuddin, New Delhi. India
電 話:91-9268305211, 91-11-69508343
予 算:250Rs~

<食したメニュー>


 
バター・チキン・カレー骨なし(ハーフ) 200Rs(約315円)、
チキン・ビリヤーニ(ハーフ) 180Rs(約280円)、
バターナン 40Rs(約60円)

<店内の雰囲気>



イスラム地区なので店内はイスラム帽を被った男性ばかり。
外国人は私達2名のみ、しかも女性は完全に浮いた存在。

<感想と評価>


            
付け合わせはミント&コリアンダーチャツネとスライスした玉ねぎ。


            
バターチキン。辛さはそれほどでもなかった。


            
普通であればビリヤーニはマトンを選択するのであるが、
同行者の意向でチキンを選択。
ワイルドにぶつ切りにされた骨付きの肉が入っていた。

カリムホテルは外国人も訪れるし、
どちらかと言えば同じオールドデリーの本店に比べると、
店内の雰囲気も料理も上品である。
この店は地元民向けの飾らない店だと思うが、
観光客にとってはローカルすぎるかもしれない。

店を出たらちょうど礼拝の時間だったらしく、
地面に絨毯を引いてメッカの方向に向かい祈りを捧げる人で、
歩けなかった・・・仕方なく靴を脱いで、
彼らの絨毯の上を歩いて立ち去った。



なお、カリム・ホテルであるが13時からの営業だった。
開店時間にはくれぐれも気を付けよう。
 
 評価は○
      (3段階、◎:おすすめ ○:まぁまぁ ●:う~ん)

■お断り■
 味に関しては、間違いなく主観でしかありません。(100%!)
 同意見・反対意見など、あると思いますが、
 あくまでも、私の味覚に合うかどうかなので、
 気にしないでください。あしからず。

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キルティプルのタイ寺院。

2019年05月18日 21時09分59秒 | ネパール / NEPAL


キルティプルのバス停の所の門を入った左手にあるタイ寺院。
正式名称はナガラマンダパ・スリキリティ・ビハラと言う。

1992年にタイ国際空港の事故があり、
それを慰霊するために建てられたらしい・・・と言う説と
1985年にタイの王様の導師がこの地を気に入り、
タイ人技術者などを連れて来て建立したと言う説がある。

入口が解らなかったので入れなかった。
そして道路から見えたのはこれだけである。



全てが金ピカだと言う記事もあったが、
2019年の年頭は金ピカではなかった。

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キルティプルのストゥーパ。

2019年05月17日 21時59分59秒 | ネパール / NEPAL
キルティプには東西に丘があるが、
東側の丘の上にあるのがチランチョ・ビハール・ストゥーパである。

西側の丘の寺院から向かって行ったら仏像を
立てている現場に遭遇した。



地震で倒れたのかな?とも思ったが、
2015年だしな・・・。

そしてその近くにストゥーパがあったのだが・・・・
こんな小さいはずがない。



と思ってさらに先へ歩いて行くと看板があった。



ウェーイッ!! そうじゃなきゃね。
なにやら民家の中を進んで行くと、見えた!



こちらが正面のようだ。金剛杵もある。

 

正面の向い側にはネワール建築の建物もあった。



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