カモメはかっぱえびせんを食べるそうです。
ネットで調べたら載っていました。
何でも食べますね~(笑)
さて、そんなことはどうでもいいかも知れないので、さっさと本の紹介に移りたいと思います。
今回ご紹介するのは、アメリカの飛行機乗り、リチャード・バックが1970年に発表し、やがてベストセラーとなった世界一有名なカモメの物語。
五木寛之訳の『かもめのジョナサン』です☆
私の持っている文庫本でも、平成14年の段階で版を重ねること六十一刷。
これだけ長く読み継がれ、今なお人気があるというのはスゴイことです。
物語は、パート1、パート2、パート3に分かれています。
ところどころにカモメの写真がはさまった作りで、とっても短いお話なので、一日もあれば読めてしまいます。
私が好きなのはパート1のところ*(ハート3つ)*
食べるために生き、飛ぶことはそのための手段にすぎない。
普通のかもめにとって、かもめとはそういう存在でした。
当たり前のように、漁船が魚を集めるためにまくエサを頂戴し、空から海面の下を泳ぐ魚の影を探す。
海岸で仲間たちとギャアギャア騒ぎ、パートナーを見つけて子供を育てる。
「飛ぶ」ということについて、そもそも自分たちについてさえ、考える必要なんてなかった。
食べ物のことだけ心配していればいい。
だってかもめとはそういうものだから。
そんな群れから一人離れ、かもめのジョナサンだけは今日も練習に没頭していました。
どうしたら失速しないでゆっくり飛べるのか。
逆にどうやったら速く飛ぶことができるのか。
その時に方向転換はどうやったらスムーズか。
飛ぶことの好きなジョナサンの求めるものはそのことばかり。
エサも食べないで飛び方の研究ばかりしている息子に、ジョナサンの両親は困惑顔。
「なぜあんたは群れの皆さんと同じように振舞えないの?」
心配する母親の言うことを聞いて、一度は群れに戻るジョナサンでしたが、魚やパンくずを仲間と争う生活にはどうしても馴染めません。
『こんなことが一体なにになるというんだ』
再び飛ぶことの練習を始めたジョナサンは、やがてコツをつかんで、限界速度を突破し、様々な曲芸飛行をも身につけます。
しかし、どこででも異端者は迫害されるもの。
スピードの限界突破を成功させた夜、ジョナサンに群れのみんなが突き付けた決定は、「思慮を欠いた無責任な行為により、かもめ一族の尊厳と伝統を汚した」ということで〈遙かなる崖〉への追放…
たった一人になったジョナサンは、それでも飛ぶことを極めたいと思い、来る日も来る日も飛び続けます。
そしてやがて…
こんな紹介の仕方だと、「群れ」で生きるより「自分の生き方」を貫いた一羽のかもめの感動の物語、みたいな感じに受け取られてしまうかも知れませんが、この物語は全然そんな物語ではありません。(すみません、私の紹介の仕方が悪いんです*(涙)*)
白く輝くかもめに連れられ、ジョナサンは次のステージへと登り、そこで悟りを開いたかのような師や仲間と出会い、この世界が自分の目にうつるような世界ではなく、魂さえ自由に解き放てば、時間や空間でさえ飛び越えることができるということを学びます(笑)
この本が好きな人、ゴメンナサイ。
物語の後半の展開には、実は疑問符がたくさん浮かびました。
ジョナサンはイエス・キリストの役回りなの?
それともキリスト教に対するアンチテーゼ?
翼の折れた(らしい)かもめが飛べるようになったり、死んだはずのかもめが生き返ったり。
いろいろな解釈ができて、ひとそれぞれにこの物語から学ぶところも多いと思います。
そういう意味では、オススメです。
でも、正直この本がベストセラーなのは困ったなと思いました。
訳者の五木寛之さんのあとがきが、この本を絶賛しているのではなかったので、ちょっと安心したくらいです。
その場所を想い描いただけで、その場所に瞬間移動できるようになってしまうジョナサンより、試行錯誤しながら海に落っこちているジョナサンの方が好きです*(音符)*
また、俗世間の営みを否定し、喜びと自由と本当の愛を知るために自分を鍛えることを奨励するようなメッセージにも、ちょっと抵抗。
俗世間とひとくくりにされてしまうほど、かもめ達の、そして私達の生活はそんなに捨てたものじゃないと思うから。
作者自身も、その後の作品を見るとかなり変化が見られるらしいので、そんなに偏狭な人でもないみたいです(^_^)
紹介しておいて、ヒドイ言いようですが、これも一つの見方にすぎません。
学ぶということは、自分で考える、ということだと思うので、必ずしも本の中身をそのまま受け入れるのではなく、そこから自分の考えを抽出していけばいいのではないでしょうか。
いろいろ受け止め方がある、という本も私の中ではオススメなのです☆
だって、面白いでしょ*(はてな)*
リチャード・バック 著
五木 寛之 訳
ラッセル・マルソン 写真
新潮文庫
ネットで調べたら載っていました。
何でも食べますね~(笑)
さて、そんなことはどうでもいいかも知れないので、さっさと本の紹介に移りたいと思います。
今回ご紹介するのは、アメリカの飛行機乗り、リチャード・バックが1970年に発表し、やがてベストセラーとなった世界一有名なカモメの物語。
五木寛之訳の『かもめのジョナサン』です☆
私の持っている文庫本でも、平成14年の段階で版を重ねること六十一刷。
これだけ長く読み継がれ、今なお人気があるというのはスゴイことです。
物語は、パート1、パート2、パート3に分かれています。
ところどころにカモメの写真がはさまった作りで、とっても短いお話なので、一日もあれば読めてしまいます。
私が好きなのはパート1のところ*(ハート3つ)*
食べるために生き、飛ぶことはそのための手段にすぎない。
普通のかもめにとって、かもめとはそういう存在でした。
当たり前のように、漁船が魚を集めるためにまくエサを頂戴し、空から海面の下を泳ぐ魚の影を探す。
海岸で仲間たちとギャアギャア騒ぎ、パートナーを見つけて子供を育てる。
「飛ぶ」ということについて、そもそも自分たちについてさえ、考える必要なんてなかった。
食べ物のことだけ心配していればいい。
だってかもめとはそういうものだから。
そんな群れから一人離れ、かもめのジョナサンだけは今日も練習に没頭していました。
どうしたら失速しないでゆっくり飛べるのか。
逆にどうやったら速く飛ぶことができるのか。
その時に方向転換はどうやったらスムーズか。
飛ぶことの好きなジョナサンの求めるものはそのことばかり。
エサも食べないで飛び方の研究ばかりしている息子に、ジョナサンの両親は困惑顔。
「なぜあんたは群れの皆さんと同じように振舞えないの?」
心配する母親の言うことを聞いて、一度は群れに戻るジョナサンでしたが、魚やパンくずを仲間と争う生活にはどうしても馴染めません。
『こんなことが一体なにになるというんだ』
再び飛ぶことの練習を始めたジョナサンは、やがてコツをつかんで、限界速度を突破し、様々な曲芸飛行をも身につけます。
しかし、どこででも異端者は迫害されるもの。
スピードの限界突破を成功させた夜、ジョナサンに群れのみんなが突き付けた決定は、「思慮を欠いた無責任な行為により、かもめ一族の尊厳と伝統を汚した」ということで〈遙かなる崖〉への追放…
たった一人になったジョナサンは、それでも飛ぶことを極めたいと思い、来る日も来る日も飛び続けます。
そしてやがて…
こんな紹介の仕方だと、「群れ」で生きるより「自分の生き方」を貫いた一羽のかもめの感動の物語、みたいな感じに受け取られてしまうかも知れませんが、この物語は全然そんな物語ではありません。(すみません、私の紹介の仕方が悪いんです*(涙)*)
白く輝くかもめに連れられ、ジョナサンは次のステージへと登り、そこで悟りを開いたかのような師や仲間と出会い、この世界が自分の目にうつるような世界ではなく、魂さえ自由に解き放てば、時間や空間でさえ飛び越えることができるということを学びます(笑)
この本が好きな人、ゴメンナサイ。
物語の後半の展開には、実は疑問符がたくさん浮かびました。
ジョナサンはイエス・キリストの役回りなの?
それともキリスト教に対するアンチテーゼ?
翼の折れた(らしい)かもめが飛べるようになったり、死んだはずのかもめが生き返ったり。
いろいろな解釈ができて、ひとそれぞれにこの物語から学ぶところも多いと思います。
そういう意味では、オススメです。
でも、正直この本がベストセラーなのは困ったなと思いました。
訳者の五木寛之さんのあとがきが、この本を絶賛しているのではなかったので、ちょっと安心したくらいです。
その場所を想い描いただけで、その場所に瞬間移動できるようになってしまうジョナサンより、試行錯誤しながら海に落っこちているジョナサンの方が好きです*(音符)*
また、俗世間の営みを否定し、喜びと自由と本当の愛を知るために自分を鍛えることを奨励するようなメッセージにも、ちょっと抵抗。
俗世間とひとくくりにされてしまうほど、かもめ達の、そして私達の生活はそんなに捨てたものじゃないと思うから。
作者自身も、その後の作品を見るとかなり変化が見られるらしいので、そんなに偏狭な人でもないみたいです(^_^)
紹介しておいて、ヒドイ言いようですが、これも一つの見方にすぎません。
学ぶということは、自分で考える、ということだと思うので、必ずしも本の中身をそのまま受け入れるのではなく、そこから自分の考えを抽出していけばいいのではないでしょうか。
いろいろ受け止め方がある、という本も私の中ではオススメなのです☆
だって、面白いでしょ*(はてな)*
リチャード・バック 著
五木 寛之 訳
ラッセル・マルソン 写真
新潮文庫