私的図書館

本好き人の365日

「善き生を追求する」

2010-06-13 22:18:00 | 本と日常
他人というものは難しいものですね。

会社の休憩時間。

本人がすぐそばに居るとも知らず、私のことを話しだした社員さんがいたんです。

2年ほど前。
労働条件を巡って個人的に会社と交渉したことがあったのですが、話題はそのこと。

詳しく聞く気にもならなかったのですが、どうやら会社の法律違反を指摘した私の行為を「空気の読めないバカな奴」といっているみたい。

2年前のことなんてよく憶えてるなぁ…

その社員さんには、一度、お客さんからクレームがついた時に、やっていない検査をやっていたことにして欲しいと頼まれ、きっぱり断ったという過去があります。

そのことがよほど気に障ったのか、「正義感の強いやっかいな奴」という話を前の部署でも言いふらされました。

ごくろう様なことです。

きっと自分と倫理観の違う人間を許しておけないんでしょうね。

ほっといてくれたらいいのに。

その場で文句を言ってもよかったのですが、そんなことより私はあることを考えていました。

こういう人はこれまでもたくさんいたけれど、世の中は本当にこんな人ばかりなんだろうか?

NHK教育で放送されている番組「ハーバード白熱教室」では、アメリカの名門ハーバード大学で最も人気のある授業、政治哲学を教えるサンデル教授の「JUSTICE(正義)」が紹介されています。

その授業の中でこんなテーマが取り上げられていました。

「友達がカンニングしているのを見てしまった。あなたはどうする?」

多くの学生が、不正を正すことよりも友情を選ぶと答えます。
つまり、見て見ないふりをするというのです。

それはコミュニティの構成員であることや、連帯から生じる義務、忠誠心だとサンデル教授は指摘します。

しかし一方で、一部の生徒は異を唱えます。

それは自分の中の良心に反する行為であり、普遍的な正義というものがあるはずだ。

ナチス時代にユダヤ人を迫害することはその時代のドイツ人にとって忠誠心の表れでした。

南北戦争時、黒人を奴隷として扱うことも、またその時代のアメリカ人にしてみればみんながやっていることでした。

きっと、「空気の読める人たち」は戦争が起こったら言われるままに銃を手に取り人を殺すのでしょう。

私は友達がカンニングをしていたら注意します。

学校に通報はしません。

家族が犯罪を犯したら、自首を促します。
従わなければ通報するでしょう。

友達も、カンニングをやめなければもう付き合いません。

ただ、そう思っていても自分が嫌われたくないという気持ちが強くて自分の良心に従うことが出来なかったり(その可能性は十分あります)、自分の身の安全のために自分自身をごまかすようなことがあったら一生後悔し続けるでしょう。

カンニングや犯罪をかばったり見て見ぬふりをすることが決していいことだとは思えません。

きっとこういう「空気の読めない人間」は迫害されて早死にするんでしょうね。

それとも、今まで生きてこられたんだからこの世界は少しはいい方向に向っているのかな?

サンデル教授の授業では、こうした時代や慣習による限定的な集団の価値観には本当に価値がないのか?
我々の言う正義とはいかにして成り立っているのか?
ということを掘り下げていきます。

このシリーズもいよいよ来週で最終回。
タイトルは「善き生を追求する」

私のことを話していた社員さんは、幸い影響力のほとんどない人なので仕事への支障はまったくありませんが、思わぬところで人間について考えさせてもらいました。

反感を買わずに相手を説得できないようじゃ、自分の言動も反省しなくては。

他人ってなかなか難しいですね。

勉強します。



 ―なんどひとに騙されようとも、なんど痛い目をみようとも、結局は人間を信用しなければなにもできないではないか。

        ―ロバート・A・ハインライン「夏への扉」―