09.12/17 593回
三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(8)
落葉宮は、夕霧のお気持を今までまったくお気づきにならなかった訳ではありませんでしたが、急にこのようにお言葉に出して恨み事をおっしゃられても、ご返事のしようもないと困っておられるご様子に、夕霧は、ひどくため息をついてはお心の中で、
「またかかる折ありなむや」
――こんな良い機会がまたとあろうか――
と、たとえ思いやりのない軽率な男よと、蔑まされようと仕方が無い、長い間想い続けてきたことだけでもお知らせしようとお思いになって、お供の右近の将監(うこんのぞう)を側に呼び寄せて、
「この律師に必ず言ふべき事のあるを、護身などに暇なげなめる、唯今はうち休むらむ。今宵このわたりに泊まりて、初夜の時はてむ程に、かの居たる方にものせむ。(……)かやうの旅寝は、軽々しきやうに、人もとりなすべし」
――こちらの律師に是非とも話があるのだが、御息所の御守りのために御暇がなさそうで、しかし間もなく休息されるだろう。今夜はこのあたりに泊まって、初夜の勤行(そやのごんぎょう=夕がた六時)が終わるころに律師の所へ行こう。(主だった家来の誰かれを、此処に居させなさい。そのほかの者は来栖野の荘園が近いから、そこで馬に飼い葉などさせて、ここには大勢居ないようにせよ)こうした旅泊は、軽々しい忍び歩きのように人が誤解するであろうから――
そのように手配しておいてから夕霧は、
「道いとたどたどしければ、このわたりに宿借り侍る。同じうは、この御簾のもとにゆるされあらなむ。阿闇梨のおる程までなむ」
――帰り道が霧でおぼつかないので、このあたりで宿らせていただきます。同じ事ならば、この御簾の側を拝借させてください。阿闇梨が勤行を終わられる頃までここに居りましょう――
と、何気ない風に装っておっしゃる。落葉宮はお心の中で、
「例はかやうに長居して、あざればみたる気色も見え給はぬを、うたてもあるかな」
――いつもなら、夕霧はこのように長居をなさって、浮いた様子をお見せになったことはありませんでしたのに、困ったことですこと――
◆あざればむ=戯ればむ=ふざけた様子
ではまた。
三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(8)
落葉宮は、夕霧のお気持を今までまったくお気づきにならなかった訳ではありませんでしたが、急にこのようにお言葉に出して恨み事をおっしゃられても、ご返事のしようもないと困っておられるご様子に、夕霧は、ひどくため息をついてはお心の中で、
「またかかる折ありなむや」
――こんな良い機会がまたとあろうか――
と、たとえ思いやりのない軽率な男よと、蔑まされようと仕方が無い、長い間想い続けてきたことだけでもお知らせしようとお思いになって、お供の右近の将監(うこんのぞう)を側に呼び寄せて、
「この律師に必ず言ふべき事のあるを、護身などに暇なげなめる、唯今はうち休むらむ。今宵このわたりに泊まりて、初夜の時はてむ程に、かの居たる方にものせむ。(……)かやうの旅寝は、軽々しきやうに、人もとりなすべし」
――こちらの律師に是非とも話があるのだが、御息所の御守りのために御暇がなさそうで、しかし間もなく休息されるだろう。今夜はこのあたりに泊まって、初夜の勤行(そやのごんぎょう=夕がた六時)が終わるころに律師の所へ行こう。(主だった家来の誰かれを、此処に居させなさい。そのほかの者は来栖野の荘園が近いから、そこで馬に飼い葉などさせて、ここには大勢居ないようにせよ)こうした旅泊は、軽々しい忍び歩きのように人が誤解するであろうから――
そのように手配しておいてから夕霧は、
「道いとたどたどしければ、このわたりに宿借り侍る。同じうは、この御簾のもとにゆるされあらなむ。阿闇梨のおる程までなむ」
――帰り道が霧でおぼつかないので、このあたりで宿らせていただきます。同じ事ならば、この御簾の側を拝借させてください。阿闇梨が勤行を終わられる頃までここに居りましょう――
と、何気ない風に装っておっしゃる。落葉宮はお心の中で、
「例はかやうに長居して、あざればみたる気色も見え給はぬを、うたてもあるかな」
――いつもなら、夕霧はこのように長居をなさって、浮いた様子をお見せになったことはありませんでしたのに、困ったことですこと――
◆あざればむ=戯ればむ=ふざけた様子
ではまた。