永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(606)

2009年12月30日 | Weblog
09.12/30   606回

十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(21)

 小少将は、ご病気の御息所に、何もあのようにはっきりと申し上げずとも、と後悔して、「襖は固く鍵を鎖しておられました」と、ご安心のいくように取り繕って申し上げますが、御息所は、

「とてもかくても、然ばかりに、何の用意もなく、軽るらかに、人に見え給ひけむこそ、いといみじけれ。内々の御心清うおはすとも、かくまで言ひつる法師ばら、よからぬ童べなどは、まさに言ひ残してむや。人には、いかに言ひあらがひ、然もあらぬ事と言ふべきにかあらむ。すべて心幼き限りしも、ここに侍ひて」
――何にしても、それほど不用意に軽々しく夕霧にあわれた事は、申しようもないことです。内々では潔白でいらっしゃると分かっていても、夕霧大将がここから出て行かれたなどと、はっきり言ってのけた法師たちや、口さがない童などが、どう言葉を慎むでしょうか。世間の人にどう言い訳ができますか。そうでないという証拠を立てることができましょうか。まったく気の利かない者たちばかりが此処に居て――

 と、余りの悲しさに最後までお話になれません。ご病気の上にご心配と驚きが重なりましたので、いっそうお辛そうでいらっしゃる。御息所は落葉宮を、いつまでも内親王らしく上品にもり立てようとしておられましたのに、男との関係で浮名が立ちそうなのを、ひとかたならず歎いていらっしゃる。それから、落葉宮にこちらのお部屋に来るようにと、涙を浮かべながら小少将にお言いつけになりました。

「渡り給はむとて、御額髪の濡れまろがれたる、ひき繕ひ、単衣の御衣ほころびたる、着かへなどし給ひても、とみにもえ動い給はず。(……)」
――(落葉宮は)母君のところへお出でになろうとして、御額髪が涙にぬれて固まってしまわれたのを直し、単衣のお召し物の、昨夜のたるんでいますのを着替えなどなさっても、急にはお立ちになれません。(侍女たちはどう思っているかしら。母君も昨夜のことを聞かれたのなら、私が何も申し上げないことに何と思われていることか。ああそれにしても大変恥ずかしい)――

 そのまま、又臥せっておしまいになります。そして侍女たちに、

「心地のいみじうなやましきかな。やがて治らぬさまにもなりなば、いとめやすかりぬべくこそ。脚の気の上りたる心地す」
――気分がひどく悪いこと。このまま治らずになればどんなに良いでしょう。脚気の熱が頭にまで上ってきたようです――

 と、小少将に脚をさすり下ろさせなさる。宮はいろいろ物思いなさると、のぼせる性質でした。

◆脚の気(あしのけ)=足の病気、主に脚気。ビタミンB1欠乏による栄養失調。脚がむくみだるい。平安の貴族は生鮮食料品摂取が少なく、その上、白米を食していた。B1は胚芽などに含まれているので、庶民の玄米食の方が健康的であった。

ではまた。


源氏物語を読んできて(僧の社会④)

2009年12月30日 | Weblog
僧の社会(4)
 
 源信のような学僧ではないが、正規の寺院を離れて遍歴したり、一人で谷に庵を結んだりして勤行する僧を「聖(ひじり)」と呼んだ。長い修業のうちに、病気治癒の霊験を得たとされる者が多く、若紫の巻の北山の聖のように、わざわざ光源氏が尋ねて行ったり、柏木の病床に招かれたりする者もある。

 これらの人々は、多く孤立して隠棲していたが、ときには集団をなすこともある。比叡山の麓の大原などは「別所」といって、後には法然らを育てた。当時の実在の聖としては、紫式部の一時代前に「市の聖」と呼ばれた空也上人が著名である。    
 比叡山延暦寺の統括者を座主(ざす)、山の座主(やまのざす)といった。朝廷と比叡山の関係が深まる中で、座主も次第に貴族の子弟が占めるようになり、紫式部の頃には、摂関家の子弟が選ばれ、宗門と権門の密着は極まった感があり、源信や聖が輩出する条件は十分熟していた。   参考:源氏物語手鏡


◆写真:僧侶素絹五條袈裟姿
 素絹は僧侶の国家の祭祀の為に参内時等、仏教本来の壊色(えじき)を排として清浄の衣とし、平安時代に創案されたもの。その形は天皇の御斎衣と近く、そのちがいは御斎衣が円領となり、素絹は垂領となっている。  風俗博物館より