09.12/18 594回
三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(9)
落葉宮としては、わざとらしく急に奥にお入りになるのも、見苦しいような気もなさるので、ただ音も立てずにおいでになりますと、夕霧は、
「とかく聞こえよりて、御消息聞こえつたへに居ざりいる人の影につきて入り給ひぬ」
――何かとお話掛けになりながら、お取り次ぎにいざり入る女房の後ろについて、御簾の中に入っていまわれました――
「まだ夕暮れの霧にとぢられて、内は暗くなりにたる程なり。あさましうて見返りたるに、宮はいとむくつけうなり給ひて、北の御障子の外にゐざり出でさせ給ふを、いとようたどりて、ひきとどめ奉りつ」
――まだ夕暮れながら霧が立ち込めて、お部屋の内は暗くなり始めた頃でした。女房は呆れて振り返ったので、落葉宮は大そう気味悪くおなりになって、北側の障子の外に居ざり出ようとなさるのを、夕霧はうまく探り寄せてお引き止め申しました――
「御身は入りはて給へれど、御衣の裾の残りて、障子はあなたより鎖すべき方なかりければ、ひきたてさして、水のやうにわななきおはす」
――宮の御身体は、襖の向こうに入り切ってしまわれましたが、お召し物の裾がこちらに残されたままで、襖は向こう側から錠を掛ける造りになっておりませんので、宮は閉めることもおできになれず、水のような冷汗を流して震えていらっしゃる――
女房たちも呆れ果てて、どうして良いのか考えもつきません。荒々しく夕霧を引き離すわけにもいかず、女房たちは「何ということを、そんなお心とは夢にも思いませんでしたのに」と申し上げますけれど、夕霧は、
「かばかりにて侍はむが、人よりけにうとましう、まざましう思さるべきにや。数ならずとも、御耳なれぬる年月もかさなりぬらむ」
――これ位のことをいたしますのが、人より特別厭らしく、怪しからぬことに思われることでしょうか。ものの数でない身でも、長い年月、私がひとかたならずお慕い申しておりますことは、ご承知の筈でございましょう――
と、おっしゃって、大そうゆったりと落ち着いた物静かな態度で、胸の思いを打ち明けていらっしゃる。
ではまた。
三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(9)
落葉宮としては、わざとらしく急に奥にお入りになるのも、見苦しいような気もなさるので、ただ音も立てずにおいでになりますと、夕霧は、
「とかく聞こえよりて、御消息聞こえつたへに居ざりいる人の影につきて入り給ひぬ」
――何かとお話掛けになりながら、お取り次ぎにいざり入る女房の後ろについて、御簾の中に入っていまわれました――
「まだ夕暮れの霧にとぢられて、内は暗くなりにたる程なり。あさましうて見返りたるに、宮はいとむくつけうなり給ひて、北の御障子の外にゐざり出でさせ給ふを、いとようたどりて、ひきとどめ奉りつ」
――まだ夕暮れながら霧が立ち込めて、お部屋の内は暗くなり始めた頃でした。女房は呆れて振り返ったので、落葉宮は大そう気味悪くおなりになって、北側の障子の外に居ざり出ようとなさるのを、夕霧はうまく探り寄せてお引き止め申しました――
「御身は入りはて給へれど、御衣の裾の残りて、障子はあなたより鎖すべき方なかりければ、ひきたてさして、水のやうにわななきおはす」
――宮の御身体は、襖の向こうに入り切ってしまわれましたが、お召し物の裾がこちらに残されたままで、襖は向こう側から錠を掛ける造りになっておりませんので、宮は閉めることもおできになれず、水のような冷汗を流して震えていらっしゃる――
女房たちも呆れ果てて、どうして良いのか考えもつきません。荒々しく夕霧を引き離すわけにもいかず、女房たちは「何ということを、そんなお心とは夢にも思いませんでしたのに」と申し上げますけれど、夕霧は、
「かばかりにて侍はむが、人よりけにうとましう、まざましう思さるべきにや。数ならずとも、御耳なれぬる年月もかさなりぬらむ」
――これ位のことをいたしますのが、人より特別厭らしく、怪しからぬことに思われることでしょうか。ものの数でない身でも、長い年月、私がひとかたならずお慕い申しておりますことは、ご承知の筈でございましょう――
と、おっしゃって、大そうゆったりと落ち着いた物静かな態度で、胸の思いを打ち明けていらっしゃる。
ではまた。