2月に抜歯した歯の抜いた後が落ち着き、やっとの思いで3ヶ月経った。
月曜日、時間が長くかかるというので休暇を取り、治療に上京した。
バスから車窓越しに見る景色は東京に近づくほど
様変わりになり、緑が濃くなり、山梨県あたりの山では藤の花が垂れ下がって咲いている。
八王子を過ぎると、着ている洋服が季節はずれかもと疑うほどの気温に変わっていく。
新宿から歯科医のある東日本橋に向かうが、すっかり都心は夏模様になっていた。
街路樹になっていたエンゼルトランペットの花はびっしりとぶら下がって咲いてるではないか。
これは今頃咲く花だったかしら?と考えながら歩いた。
既に汗ばんで、着ていた上着を脱ぎ、半袖すがたになって気分を取り戻した。
歯の治療は主治医の先生が頑張って1時間半かかり、根管治療までして下さった。
後3回くらい通って終了だが、歯の治療も造影剤を使ってレントゲンを撮ったり、
超音波でを使いながら歯髄を削り、今までに経験のない新しい治療をして下さる。
古いことを言っても意味がないのですが~と言いながら、いかに昔施した治療法が、
技術的に劣っていたか・・・・知らされた。
といっても、患者は医者の言いなりだし、今だから説明と同意の下に全ての治療が成り立つのだが、
昔は信じるがままに黙って治療を受けるしかなかったものだ。
歯は死ぬまで使用する。
大切にせねばならない。
適切な治療を受け、なるべく維持しなければならない。
だから遠くても、信用の置ける医師に治療をしてもらう。
しかし口を開けっ放しで治療する側も、される側も1時間半もの長い時間は限界で、酷く疲れて、新宿まで戻った。
待ち合わせを約束していて、その後6時半のバスの発車までの間、元勤務先の同僚の愚痴話を聞いた。
退職して3年経ったが、元勤務先は超スピードで変化を続けている。
人間関係、組織、仕事内容、どんどん、お金と時間を費やし、変革をしているが、
その中で起きているドラマは山盛り、てんこ盛りで聴いて呆れた。
同僚には気の毒だが会わなかったほうが、こちらの気分は安らかだったと思う。
遠く離れて、異なった職場に勤務した自分は何とも言葉を発しがたい。
アドバイスにもならない。
ましてええーそんなに酷いんだという言葉が続くばかりで、気分はどちらかというと沈みこむ。
バスに乗ってから、信州へ向かう時間は歯の治療と、愚痴話に疲れ果てぐっすり眠った。
そんな一日の中で、心にぽっと明るい灯がともったのは、往復のバスや電車内で読み始めた
上野千鶴子さんのひとりの午後にという本の中身だ。
1歳違いの東京大学の教授は程遠い存在と思い込んでいたが、本を読み始め、
幼い頃の思い出やお母さんに関する文章や、育った記憶などが
年齢が近い時代背景があるかもしれない。
とっても自分の成長過程と似ているので、唸ってしまった。
おもしろい!
学者の書く文章がこれほど惹きつけ呼び寄せることが今まででなかったものだ。
食事に関しても母の味から始まって、今の現代の家庭の食事形態の中身に至り、
個食からバラバラ食になり、同じ窯の飯を食べる形は姿を消し、
崩食となってしまったことを明かしている。
どの思い出を読んでもなるほどと深く浸みこんで来るではないか。
もっと読みたいが時間が足らない。
また読み進めて行こうと思いながら、バスの中で意識不明になった。
バスから降りて、22時近く原村に下りたが、
一斉に近くの田んぼから賑やかに蛙の大合唱が聞こえて来た。
なぜかひんやりとした木々の香りのする空気に、ああ帰ってきた、
と深呼吸をしたのは、信州人になってしまった為だろうか。
月曜日、時間が長くかかるというので休暇を取り、治療に上京した。
バスから車窓越しに見る景色は東京に近づくほど
様変わりになり、緑が濃くなり、山梨県あたりの山では藤の花が垂れ下がって咲いている。
八王子を過ぎると、着ている洋服が季節はずれかもと疑うほどの気温に変わっていく。
新宿から歯科医のある東日本橋に向かうが、すっかり都心は夏模様になっていた。
街路樹になっていたエンゼルトランペットの花はびっしりとぶら下がって咲いてるではないか。
これは今頃咲く花だったかしら?と考えながら歩いた。
既に汗ばんで、着ていた上着を脱ぎ、半袖すがたになって気分を取り戻した。
歯の治療は主治医の先生が頑張って1時間半かかり、根管治療までして下さった。
後3回くらい通って終了だが、歯の治療も造影剤を使ってレントゲンを撮ったり、
超音波でを使いながら歯髄を削り、今までに経験のない新しい治療をして下さる。
古いことを言っても意味がないのですが~と言いながら、いかに昔施した治療法が、
技術的に劣っていたか・・・・知らされた。
といっても、患者は医者の言いなりだし、今だから説明と同意の下に全ての治療が成り立つのだが、
昔は信じるがままに黙って治療を受けるしかなかったものだ。
歯は死ぬまで使用する。
大切にせねばならない。
適切な治療を受け、なるべく維持しなければならない。
だから遠くても、信用の置ける医師に治療をしてもらう。
しかし口を開けっ放しで治療する側も、される側も1時間半もの長い時間は限界で、酷く疲れて、新宿まで戻った。
待ち合わせを約束していて、その後6時半のバスの発車までの間、元勤務先の同僚の愚痴話を聞いた。
退職して3年経ったが、元勤務先は超スピードで変化を続けている。
人間関係、組織、仕事内容、どんどん、お金と時間を費やし、変革をしているが、
その中で起きているドラマは山盛り、てんこ盛りで聴いて呆れた。
同僚には気の毒だが会わなかったほうが、こちらの気分は安らかだったと思う。
遠く離れて、異なった職場に勤務した自分は何とも言葉を発しがたい。
アドバイスにもならない。
ましてええーそんなに酷いんだという言葉が続くばかりで、気分はどちらかというと沈みこむ。
バスに乗ってから、信州へ向かう時間は歯の治療と、愚痴話に疲れ果てぐっすり眠った。
そんな一日の中で、心にぽっと明るい灯がともったのは、往復のバスや電車内で読み始めた
上野千鶴子さんのひとりの午後にという本の中身だ。
1歳違いの東京大学の教授は程遠い存在と思い込んでいたが、本を読み始め、
幼い頃の思い出やお母さんに関する文章や、育った記憶などが
年齢が近い時代背景があるかもしれない。
とっても自分の成長過程と似ているので、唸ってしまった。
おもしろい!
学者の書く文章がこれほど惹きつけ呼び寄せることが今まででなかったものだ。
食事に関しても母の味から始まって、今の現代の家庭の食事形態の中身に至り、
個食からバラバラ食になり、同じ窯の飯を食べる形は姿を消し、
崩食となってしまったことを明かしている。
どの思い出を読んでもなるほどと深く浸みこんで来るではないか。
もっと読みたいが時間が足らない。
また読み進めて行こうと思いながら、バスの中で意識不明になった。
バスから降りて、22時近く原村に下りたが、
一斉に近くの田んぼから賑やかに蛙の大合唱が聞こえて来た。
なぜかひんやりとした木々の香りのする空気に、ああ帰ってきた、
と深呼吸をしたのは、信州人になってしまった為だろうか。