①東京・渋谷で公衆トイレの清掃員として働く。
古いアパートで毎朝、近所の老女が掃除する竹ぼうきの音で目覚め、毎日、同じように支度をし、毎朝アパートを出て空を見上げる表情、同じように静かに淡々と働く姿が、光と影とともに描かれる。
寡黙な男は、規則正しく、ルーティンをこなす。
毎朝植木に水をやり、仕事を終えると銭湯に行き、居酒屋で酒を飲み、部屋では古本を読みながら寝落ちする。
極力他人と関わらないことで“孤独”では無く、自由を享受している。
その研ぎ澄まされたような姿の彼が見ている世界、ふとした時に向ける視線の先には木々や光が溢れている。
朝日、木漏れ日、夕日、街並みや公園、トイレ、運転中の車のフロントガラスなどの光の屈折や反射。
さらに、自然音や日常生活から聞こえてくる音、そして劇中に流れる楽曲と、音も重要な要素となっている。
早朝の竹ぼうきの音、夜が明けの小鳥の鳴き声、風の音、雨音、公園の子供の声、トイレ掃除の音すべては、繊細な音で積み重ねられている。
車中でカセットテープで聞く音楽は彼の心情を表す。
突然の訪問者や他人との関わりによって、平穏だった日常と心情が揺らぐ、しかしその流れにも自然に身を委ねる。
彼に取って理想や完璧とは何ら意味を持たないかのよう。
ありのままの自分、ありのままの毎日、ありのままの人生。
ルー・リードの曲「PERFECT DAY」
公園でサンガリアを飲み、暗くなったら家路に着く。動物園でエサをやり、映画を見て家路に着く。僕を辛うじて生かしてくれて、問題は全て置き去り、週末を楽しむ僕が何者であるかを忘れさせてくれる。あぁなんて完璧な1日なんだ。君は自分で蒔いたものを刈り取るだろう。
ラストシーンの表情は全ての表現の結晶のように思えた。
②いつまで経っても、いつの時代も、階級社会の上位には男性が君臨していたいようだ。
しかし女性が蜂起すると、たちまち形勢は不利になり、ことごとく奈落の底へと落とされる。
まるで今(2024年1月)現在に日本で騒がれている芸人やサッカー選手の話にも似ているところが、見事に皮肉っている。
男性は理想の女性像の中で現状社会を妄想していた。その妄想と言う快楽に男性が溺れている間にも、女性は社会進出や自立と言う反撃の機会を窺って、期が熟するまで身を潜めていた。
物語、音楽、映像は見事に歪んでいる、そしてそれが見るものを不快な世界に引きずり込む。
しかしその<物語><音楽><映像>三位一体こそが、この映像美を作り上げる。
例えるならティム・バートンやギレルモ・デル・トロに近いかも知れないが、彼らの方が美しいかも知れない。
男性こそモラルや常識、道徳をしっかりと身につけて実践し、身を律して日々の暮らしを営まなくてはいけない警鐘の様にも捉えられた。
③ある人物が持つ思想信条、国籍、