正義と悪ではない。
ホワイトナイトとダークナイトではない。
「映画の構成上、悪に仕立て上げられたダークナイト」対「悪であるのに正義と正当化したダークナイト」の対決が始まった。
暗黒と暗黒が真正面から激しい衝突をする。
コレは悪と悪の戦いであり、影と影による光になるための戦いなのかもしれない。
よく考えてみると、この映画には、不思議なほど善人が出てこない。
内気な弱虫や傷つきやすい臆病者も出てこない。
主人公や敵役はもとより、脇役のひとりひとりに至るまで、主役であるヒーローになりえるカリスマ性はみごとに感じない。
登場人物は、泥をかぶったり手を汚したりすることを普通にやってしまう。
いわゆる「ええ格好しい」がこの映画ではいないのだ。
じゃあどんな映画なんだ?適当?
強引に大技に持っていく、力でねじ伏せるだけの映画に見えるだろうか?
そうではない。
ここがきわどい分かれ道。
ヒーロー物に普通「有りき」な何かを削除して、クリストファー・ノーラン版のバットマン3部作の終章として、前2作で表現できなかった、または不可解であった人物の謎解きも解き明かし、エンディングにふさわしい黙示録を展開した。
感覚の錯乱や、悪夢の精神的衝撃を、弾けさせた。
結果、「エピック・ノワール=暗黒叙事詩」が出現した。
混沌や超越をところどころで匂わせつつ、「ダークナイト ライジング」は胸に響く強大な力で驀進する。
大音量のヘビメタではない、壮大な交響曲の合奏だ。
さらに楽器とボーカルが合奏して、暗黒を嘆く、また新しい世界の歓喜に沸く宗教的音楽のような壮大な世界だ。
人間は捨て身になったときの力技にはかなわないものがある、そんなクリストファー・ノーランのスケールには脱帽した。
文句なしで、早々に今年度クキデミー賞の一番候補です。
素晴らしいシリーズの完結でした。
しかし....コレは続くと思う。
そんな後振りがエンディングに垣間見られた。
バットマンは違うものに受け継がれ、旧バットマンやそれに係わった人たち一線を退く、そんなにおいを感じた。
そういったまだ、「次に託す」と言う「次の解釈」へ引き継いだクリストファー・ノーランにも脱帽。
ホワイトナイトとダークナイトではない。
「映画の構成上、悪に仕立て上げられたダークナイト」対「悪であるのに正義と正当化したダークナイト」の対決が始まった。
暗黒と暗黒が真正面から激しい衝突をする。
コレは悪と悪の戦いであり、影と影による光になるための戦いなのかもしれない。
よく考えてみると、この映画には、不思議なほど善人が出てこない。
内気な弱虫や傷つきやすい臆病者も出てこない。
主人公や敵役はもとより、脇役のひとりひとりに至るまで、主役であるヒーローになりえるカリスマ性はみごとに感じない。
登場人物は、泥をかぶったり手を汚したりすることを普通にやってしまう。
いわゆる「ええ格好しい」がこの映画ではいないのだ。
じゃあどんな映画なんだ?適当?
強引に大技に持っていく、力でねじ伏せるだけの映画に見えるだろうか?
そうではない。
ここがきわどい分かれ道。
ヒーロー物に普通「有りき」な何かを削除して、クリストファー・ノーラン版のバットマン3部作の終章として、前2作で表現できなかった、または不可解であった人物の謎解きも解き明かし、エンディングにふさわしい黙示録を展開した。
感覚の錯乱や、悪夢の精神的衝撃を、弾けさせた。
結果、「エピック・ノワール=暗黒叙事詩」が出現した。
混沌や超越をところどころで匂わせつつ、「ダークナイト ライジング」は胸に響く強大な力で驀進する。
大音量のヘビメタではない、壮大な交響曲の合奏だ。
さらに楽器とボーカルが合奏して、暗黒を嘆く、また新しい世界の歓喜に沸く宗教的音楽のような壮大な世界だ。
人間は捨て身になったときの力技にはかなわないものがある、そんなクリストファー・ノーランのスケールには脱帽した。
文句なしで、早々に今年度クキデミー賞の一番候補です。
素晴らしいシリーズの完結でした。
しかし....コレは続くと思う。
そんな後振りがエンディングに垣間見られた。
バットマンは違うものに受け継がれ、旧バットマンやそれに係わった人たち一線を退く、そんなにおいを感じた。
そういったまだ、「次に託す」と言う「次の解釈」へ引き継いだクリストファー・ノーランにも脱帽。