①#MeToo。
他業種で有りながら、強大な権力を持っている。
その権力者の秘密の暴露や 告発には大きな障害が立ちはだかる。
障害をクリアして行く 困難な中での活躍。
立ち向かうは、ハリウッドの頂点に君臨した映画プロデューサー。
彼の性暴力に関する事実の裏付けには、被害者を縛る秘密保持契約や敏腕弁護士といった障害が。
そして、記事を出す過程で記者のみ ならず編集部が一丸となる。
加えて、沈黙を破って取材に協力した被害者たちの勇気を讃えるという視点。
映画プロデューサーの誘いを拒んだことでキャリアを妨害された「本人の出演/HerSelf」は強力。
被害者のエピソードで有る小さな声は 権力による圧力の間から発せられ 最後には大きな束となり 社会を動かす うねりとなった。
今年度アカデミー賞にノミネートされないのは やはり まだ 目には見えない圧力が存在するのだろうか?
②イニシェリン島。
アイルランド西海岸沖に浮かぶ島。
今から100年前、ここに暮らす素朴な男は、老紳士から一方的な絶縁通告を突きつけられる。
素朴な男と 連むのをやめ、もっと思索と音楽に身を捧げたいらしい。
その決意は狂気的で、これ以上話しかけたら自分の指を切り落とすとまで言い出す。
小さな島の中で不穏なムードが広がるが、島には美しい自然がもたらす詩情と、寓意に富んだ物語を奥深く転がしていく 力がある為、嫌悪と安寧が相殺されている。
素朴な男の眉をハの字にして老紳士の心変わりを嘆く。
老紳士は真剣な面持ちから、決して高慢な人間ではないことも明らか。
両者の存在感が素晴らしいだけに、崩壊し砕け散っていく友情が ただ ひたすら悲しい。
イングランドやアイルランドから響く戦争の気配。
そのアイルランドが泥沼の内戦へ陥っている。
「引き返せない」そんな二人に“戦争の本質”が投影されている。
その他にも父子、兄妹、近隣の島民、警察、教会、恋愛感情、本音(酔い)と建前(しらふ)等、幾つもの出口なき“関係性”を描き出し、それらが絡み合いながら、巧みなブラックジョークや悲哀へ集約されていく。
観る者を決して傍観者に させておかず、人間の生涯にまとわりつく悩みや「関係を断ち切る」という闇深さに引きずり込む極めて痛烈な作品。
③厳しい社会情勢と不況、そして未来への不安。 ちょっとした事でも、直ぐに癇癪を起こす。人を見守ろうにも迂闊には触れない。そんな時代背景。
海辺の町にある映画館で働く主人公は、つらい過去のせいで心に闇を抱えている。見守るのは同じ職場の仲間や薬。普段に微笑みが無い訳ではない。少しずつではあるが明日へと向かっている。
片や過酷な現実に道を阻まれてきた青年。自らの夢をも諦めかけていた、そんな彼にも職場の仲間たちからの優しさに守られながらも、心を通わすようになってきた。
お互いが求め合う中にも、回りからも踏み込み過ぎない相手を思いやるフォローがある。
さりげない思いやり、優しさ。'80年代の風景が華美に脚色されなくとも、その美しさを映像から見てとれた。
悲しい映画でもない、希望に満ち溢れた映画でもない、でも沈みこむ事無く、映像を見届けられる。
映画館を舞台にした映画だからこそ、映画館で見たい。
④初めは傷付いた国民や被害者遺族、国へ貢献したかった。
いち早く対応することで、困っている方々を経済的に助けてあげたかった。
だから儲かっている弁護士事務所にも関わらず、無償で働くと決意した。
その次に、このプロジェクトが成功すれば自分への評価が上がり、その後の経営状況が好転し、より良い利益をもたらすことが可能だと考えたと思う。
どちらに重きを置いたのかは本人では無いので察するしかない。
事務的に官僚的に、お役所仕事的に進めたかったのだろう。
しかし十人十色、9000人には9000通りの人生が有る事に直面する。
別事情だが今の日本ではカスタマーハラスメント(客からの不当な圧力や脅迫)を受けることが多いと聞く。
こちらも自分の思いや自分のルールを、簡単に言えば「わがまま」を威圧的に押し付けようとする。
確かに劇中では政治家を取り込んだ航空業界側が訴訟に持ち込まれて経営が破綻しないようにと言う悪意がある。また、早く解決に持ち込んで早く経済的にも助けてあげたいと考えながらも、より多くの補償金を勝ち取ろうとする悪意の弁護士も居る。
そして被害者の感情の爆発。どれもが辛い。
善意が、これ程ねじ曲げられれば戦意喪失しかねない。しかし主人公は同僚や部下、被害者の思いからも我を振り返り、何か原点にでも戻ったかのように寄り添い始めた。
落とすのも人、掬い上げるのも人、人から学び、人へ伝える。人との絡みも避けず、寛容な受け止め幅を得たのでは無いだろうか?
⑤「勝手に人の心を読まないで」 なんとか、その人に対してフォローをしたい人は、より言葉以外でその人を理解したいがために、取った行動である。
しかしフォローされる側からすると、聴覚に健常者ではないハンディキャップがあるだけで、心身はいたって健常であるせいか、それに嫌気さえ差している。
あえて言葉のセリフを選ばない。
あえてサイレントをも映画を見る者へ想像力を求める。
台詞のない主演者。それ故に表情だけで演じる。
しかし観る側は主人公が忌み嫌う心を読もうとする。
街や風景はポートレートの様に写し出される。
何も劇的な変化を求めなくても良い。ただただ流れに身を委ねたい。
⑥音の無いエンドロールから始まる。そして少し音が入った冒頭のシーン。
響く声、小さな咳払い。
それほど傲慢だったわけではない、すごく素行が悪かったわけでもない。わがまま過ぎるわけでもない。むしろ一途で、それぐらいなら許してあげたい。しかし少しの虚飾が徐々に大きくなったのかもしれない。現実のシーンの様に映し出される情景も、主人公の心の揺れや変化にリンクする。
孤独感、暗い虚無感、汚れ、アンダーグラウンド、全てが主人公以外には理解されない、もしかしたら主人公自体も気付いていないのかもしれない情景。
積み重なった事実が大きくなりすぎで、崩れ去るとき、彼女が生業として扱っていた、また作り上げていた「音」が、大きくなり、不協和音と変化する。「音」にも彼女は裏切られた。自滅する「地獄の黙示録」をモチーフに、自らが求めていた「性」に裏切られ、生身の「性」に吐き気をもよおす。まさにエンドロールは破滅の「音」
⑦「怪物ぅ、だぁれだっ」
怪物?かいぶつ?Kaibutsu?カイブツ?
カイブツって何?…
あなたにとって怖いもの全て。大きな怖さも小さな怖さも怖いものには変わらない。何かが醜くなるもの。
誰?…
それは、わからない。気付いていないだけで、あなたかもしれないし、あなた以外の周りの人かもしれない。
何人?…
その時々によって生き物は怪物に変容するので、正確な人数はわからない。でも、多いかも。
本当にいるの?…
その人の捉え方次第だから、居ない人も居るし、居る人も居る。
登場人物がそれぞれの生きている日常で、普段のままに自分の内に秘めた怪物を演じる。全ての登場人物が怪物なのか?
それは見る人の視点によって善人にもなり得ればカイブツにも見える、成ると言う。
しかし見る人の個人的感情が優位に働く「その人の視点、捉え方」
3つの視点から成る画像、その一つ一つのピースを繋ぎ合わせれば、誤解が崩れだす。
何処かの早い時点で気付いて居れば、もっと早くに好転したのかもしれない。
細やかなシーンや特に「音」コレを見逃さずに一つ一つのシーンを凝視していると、全てに合点がつきます。音は覚えておいてください。
2人の子どものセンシティブな心の感情は、否定はできないし、幾つから始まろうとも否定は出来ない、そして政治や世間の風潮でも取り上げられて居る事象では有りますが私的には見辛かったシーンです。
そして、最後は あなたの想像にお任せします。その、この、空白が是枝監督なのだと理解しています。
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