Viedel/KukiHairDesign/ヴィーデル/クキヘアデザイン 四条烏丸 美容室

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ザ・ホークス

2011-05-31 17:09:56 | 映画
70年代のニューヨーク。
売れない作家は、隠とん生活を送っていた大富豪の偽りの伝記を執筆し、大手出版社に売り込む。
ついてしまったがために、後戻りが出来なくなった嘘。
嘘が嘘を覆し、塗りつぶし、何がなんだか解らない。
空想、錯覚、迷走。
ほころびを知られるわけには行かないがために、それが真実のように進みだす。
何度かのピンチを巧みな話術でかわしていったが、ウソにまみれたことで次第に精神に異常をきたしはじめ……。
内容は、最も興味のある映画作成者などが関わると、面白い作品になっていたかもしれないが、そこまで注目されなかったと言うのは、原作の段階でもC級映画だったのかな。
映画館も古びたミニシアターで上映していたので、誰の目にも触れることなく、終わってしまいそうな寂しい映画かな~
これは主人公自身による回顧録「ザ・ホークス 世界を騙した世紀の詐欺事件」を、リチャード・ギア主演で映画化。


アジャストメント

2011-05-30 17:07:22 | 映画
人の運命は第三者?によって決められ、調整(アジャスト)されているという、なにか神の様な存在を連想させるもの。
だが、くさい宗教色はなく、神の存在のような調整者を人間ぽく描いた。
フォースは少し使えるものの、不完全、ミスを犯し、神とは思えない。
また、調整者が街中のドアを利用した秘密の通路網(どこでもドア?)を整備し、素早く移動するアイデアもパクリに近く、ユニーク。
鍵は帽子で水に弱いという所も楽しく盛り上げている。
そんなところが、シリアスなドラマになりそうなところを、軽く見せてくれるので、非常に理解しやすい映画です。
大そうなCGやVFXばかりでなく、実際にあり得そうな現実の裏側を見せ、異星人や幽霊?別の人類など、調整者の正体をあれこれ推理できる仕掛けなのだ。
「運命は変えられるか?」というメインテーマを、誰もが身近に考えられるよう、気軽に恋愛を軸にした点も解りやすい。
主人公はヒロインにひと目惚れするが、そのまま突っ走らない。
3年間会えず、さらに紆余曲折を経て結ばれるが、また苦渋の決断にて一度は別れを決意する。
それでも彼女を求める気持ちは消えず、運命を変えることに、人をつかさどっているという調整者たちに挑むのだ。
調整者はプランにのっとった人生を過ごさなければならないことを主人公に伝える。
が、同様のことは、調整されなくても考えるに違いない。
相しないと最愛の人が不幸になる、そうしないと自分に成功がもたらされない、そうしないと過去の自分の周りで怒った出来事が無駄になる。
運命は決められているように思えても、本当は自分で挑む為に自らがアジャストしているのだ。
加えて、日常のちょっとした出来事が人生を、さらには社会を変えることにつながっていくことも暗に示し、なんとも味わい深い寓話となっていた。




世界のトレンドの過渡期

2011-05-29 11:31:31 | インポート
危うく見逃すところだった。
チャンピオンズ・リーグ決勝。
前半は見慣れない攻撃のスタンスに、テレビに釘付けになり、興奮した内容だった。
後半はそれにも目が慣れてしまって、つまらないものになってしまった。
でも、両チームともこれからの攻撃のトレンドを「進化」「熟成」させてきていると思う。
今回は「進化」に軍配が上がった形だろう。
未だ世界の中心的な「攻め」のカタチはサイドを中心に攻撃を組み立て、サイドバック(最近有名なのは長友佑都、内田篤人)を起点としてを重んじるスタイルだ。
献身的に働き続ける事を厭わない、そんな日本人の性格がサイドバックと言うポジションにはむいているのだろう。
日本人が足りないフィジカル能力の中でも、持久力、瞬発力は日本人の得意とするところ。
それに学習性、適応性などの思考能力の高さが日本人の誇るところだ。
しかし世界の最新のトレンドはもう違うところで進化し熟成を極めつつある。
中央でボールを保持できる選手をそろえ、真ん中から仕掛けてゆく。ゆえにサイドが自然に空いて来る。そんな考え方。
世界のほとんどが「サイドを崩さないと突破口が開けない」型という中に置いて、中央それもペナルティーエリア内に入って勝負を仕掛ける、それがトップの中のトップチームたちだ。
ましてやボールポゼッション率が70%近いトップチーム。ボールを奪われるのが罪になっている。
「守備をどうこうして、攻撃のカタチに持ってゆく」から「ボールを持つ、攻撃からアプローチする」と言うのが主流になりつつあるのではないだろうか?
今回優勝したバルセロナはチームワークを最大の武器とし、集団性、フィジカル能力、テクニック等も日本人とは似通っている。
ボールを持つ事を前提に、チームワークで攻撃的なスタイルを目指すのも今後の日本にとっちゃ、悪い事じゃない。


ご機嫌な夏をすごしたい

2011-05-27 07:15:40 | インポート
夏の気候に近づいて、店内のBGMもキューバ音楽に変更して、そしたらその勢いでラムばっかりを飲みだして、








どうせラムを飲むならと、同じサトウキビで作られているカサーシャ(ピンガ)も買ってしまい呑んでいる始末。
いうなればコレは、サトウキビのブランデーらしい。
なんか瓶の口も珍しくチビチビと出てくるような口がついている。
モヒートみたいにして呑むのがよいだろうと思ったけれど、ライムもミントも無いからオレンジで代用してみた。








そんで呑んでばかりいたら、食欲がわかなかったから、結局今日の晩飯は豆とフルーツで。


8日目のセミ

2011-05-26 07:24:02 | 映画
観ているうちに思い出してきた。
これって、テレビで見たことがある。
後で調べてみたらやはりそうだった。
でもそのNHKのドラマは昼ドラのようだった印象だ。
今回の映画では、映画の構成の妙に引き込まれる。
テレビや原作では、多分、誘拐をした希和子の視点を中心に描かれていたんじゃないだろうか。
逃亡を繰り広げる発端が過去へと追いやられ、冒頭に出てくるのは法廷で裁きを受ける場面。
必死の歳月はいきなり総括され、業を抱えて成長した娘の視点に比重を寄せたことが強調される。
冷え冷えとした娘の現在と、誘拐犯でありながら、温かな仮の母の子育ての過去。
プレイバックされ、過去と現在が交互に描かれていくことで、記憶にはない思い出が手繰り寄せられていく。
あぶり出されてくるのは、年齢を問わない母性というものの底知れぬ偉大さ。
さらには、娘にとっての幸福な原風景が、本来憎むべき相手と無条件で愛し愛される関係の日々だったという大いなる矛盾。
罪深き母の表情には凄みさえ感じられ、小豆島の美しい風景は愛情に満ち溢れた人生の結晶として輝いている。
何よりも自分の欲望をエゴによって優先した結果、喪失感と悲しみがあふれ出してきた。
仮の親としての子供への幸せの追求が、未来に重荷となって自分の生き方でさいなまれる。
過ちを繰り返すか、癒されるか、そんな虚ろな時間は、過去、現在、未来の予測を溶融し、終わりが始まりそうな今、苦悩から何か抜け出す糸口を見出した気配がした。
そんな様々な心の葛藤を想像できる。
やはり人は愛されたい、そんな願望を持って生きている。