①マイル22
罠は、巧妙に仕掛けられていた。
世界をいとも簡単に破滅させる危険な物質。
有りかを知る人物を22マイル(約35.4Km)先まで護送する任務。
しかし、中身は単純ではない。
22マイル先にたどり着くまでには、様々な武装勢力による危険な攻撃が待ち受けている。
今まで危険な環境の中を人間を護送する任務と言えば、ブルース・ウイリスがニューヨーク市警の刑事を演じた『16ブロック』などがありました。
これも、周囲が敵だらけと言う究極の環境での護送任務。
違う所は、『16ブロック』は一匹狼の刑事がたった一人で護送していたのに対し、マイル22は、チームとして活動している。
共通項は人数の多い少ないだけではなく、どちらも護送任務を簡単に考えてはダメだと言う事。
すさまじい銃撃戦。
たたみこむような精神薄弱者の主人公の早口のセリフ。
これぞアメリカ映画。
嘘であってもリアリティー間満載ですね。
内容ウンヌンよりも、そう快感を求めて、この映画はどうでしょうか?
生い立ちも性格も正反対。
お互いへの嫌悪感を隠そうともしなかった白人と黒人が、徐々にお互いへの理解を深め、自分にない長所を尊重して響き合う。
そして、この上なくいい気分にしてくれる。
“グリーンブック”とは50年代から60年代、人種差別の激しかった南部に旅をする黒人のために作られた施設利用ガイド。
1962年、イタリア移民でマフィア御用達のクラブ用心棒はこのガイドを渡され、イヤイヤながら新しい仕事に就くことになる。
カーネギーホールに住む黒人天才ピアニストの南部演奏ツアーに運転手兼ボディガートとして同行する。
知的で品がよくて繊細なのが黒人。
無知で単純、ガサツなのが白人、
従来とは設定が逆だが、実在の人物であり実話。
「ケンタッキーっていやぁケンタッキー・フライド・キチンだろ!」とチキンを頬張る白人のガハハ笑いを、好きにならずにいられない。
2人の化学反応は、映画の美点そのもの。
似たり寄ったりではフランスのコメディ映画「最強のふたり」
時代や人種差別の社会背景的にはもちろん重なるが、この2人はもっとユーモラス
この映画、人種差別をテーマにした作品としては口当たりがいい。
心が痛くなるような場面もあるが、全体的には白人寄りの目線。
「父から聞かされたいい話」を映画化した作品だから。つまり「いい話」を「いい話」として伝えることに重点が置かれている。
物足りない、という人もいるだろう。
しかし多幸感は格別。
最高に愛すべき映画であることに間違いはない。
王国最初の君主であり、スペインやフランスとの戦争を繰り広げた女王。
この説明だけ読むとリーダーシップに溢れた人に見えるけど、実際は肥満が原因の痛風に悩まされていて政治活動はサボり気味。
そして幼稚癖があるわがままオバサン。
くだんの政策決定は幼馴染の側近に任せっきり。
そんな側近の押し付けがましい態度に次第にうんざりしてきた女王は、”お気に入り”を側近の従妹にチェンジ。
今度は従妹の進言のまま、正反対の政策をとるようになる。
女同士の愛憎が、当時世界最強の国家の政策を転換させた、イングランド版”大奥”。
18世紀の英国の宮廷で実際に起きたこうした事件をベースにした歴史劇。
とはいえ、ストーリー展開や登場人物のコスチュームは時代考証を意図的に無視。
80年代作品を彷彿とさせるパンキッシュな感覚に満ちていて、80年代を知る者は懐かしさを、知らない者はアナーキーな魅力を感じる。
加えて、このジャンルでは通常用いられない超広角やスーパースローを多用した映像も新鮮。
戦場から遠く離れた宮廷も人間と人間がぶつかり合う”戦場”だったことを示そうとしているのかもしれない。
容姿にも才能にも恵まれず、王位だけが頼りの物悲しさを漂わせる女王役。
冷酷な美女だが情に脆いところも持つ側近役。
そして一見純真そうだけど実は一番狡猾な従妹役と、三人のメインキャストは皆好演。
この中で主演女優として多くの映画賞にノミネートされてはいるけど、実際は三人の登場シーンは均等で、本来なら全員で主演女優賞を獲得すべき。
なぜなら本作は、三人の女が織りなす均衡状態を描いた映画なのだから。
タイトルが巧い。
viceは、vice president/副大統領のように役職の前に付く場合は「副;代理」を意味する。
vice単独の名詞としては「悪徳;悪玉;欠陥」といった意味している。
主人公ディック・チェイニーを上手く表している。
酒癖の悪い、素行不良で、どうしようもない若者が妻となる恋人から叱責され一念発起から始まる。
インターンとして政治の世界へ、こんなにも関他のなのかと思うほど割愛されていますが、型破りなラムズフェルドから権力を操る術を学び、危機にチャンスを見出す才覚と、無理筋な案を相手に納得させる異能により、影響力を着々と強化していった。
ニクソン辞任後にラムズフェルドと一緒にホワイトハウスへ意気揚々と復帰する場面は、軽快なカメラワークとBGMも相まり、政界を離れ家族と田舎で過ごす中盤の牧歌的シーンでは、「めでたしめでたし」とばかりにフェイクのエンドクレジットが流れる。
レストランで悪だくみをするチェイニーらに、ウエイター姿のアルフレッド・モリーナが“法改悪”のメニューを提案するシュールな寸劇も。
憎むべき絶対悪として糾弾する映画ではない。
主演俳優の熱演と監督の自在な演出により、複雑で繊細で好感さえ覚えてしまうキャラクターになっているのが皮肉でもある。
悪徳政治家を喜劇でコミカルに表現されているのが、怒りや憎しみではなく知性とユーモアで、あたかも「選んだ私たちにも一旦は有るのですよ」っと問いかけている。
日本には、これほどスケールの大きな、また一つのストーリーになるような政治家はいないかもしれないが、選挙と言う直後、投票に対しても考えさせられる映画です。
そして是非ともこの後にすぐ見てほしい映画が有り、ウッディー・ハレルソン、トミー・リー・ジョーンズ、ミラ・ジョボビッチも出演している「記者たち」をご覧いただくと、より詳しく、この案件に関して知ることができますよ。
この映画の監督の有名な作品は「スタンド・バイ・ミー」 しかし最新作は社会派。
9.11後のアメリカで、不確かな情報を口実にイラク戦争へ突き進むブッシュ政権に、孤独な戦いを挑んだ記者たちの実話。
新聞社ナイト・リッダーは、日本では知名度は低い。
当時31の地方紙を傘下に持ち全米第2の規模を誇る名門。
記者たちは、「オサマ・ビンラディンをフセイン大統領が支援」「イラクが大量破壊兵器を保有」という政府の主張に疑念を抱き、政府職員や外交官らを地道に取材。
大手メディアが政府に迎合するなか、ナイト・リッダーはイラク侵攻の根拠が情報操作されたものであることを暴き、政権を批判する記事を掲載する。
「スポットライト 世紀のスクープ」や「ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書」などの流れをくみ、元祖と言えば「大統領の陰謀」。
政権が都合のいい情報を流して世論を誘導したことを、記者たちは調査報道で追及し、結果的に大量破壊兵器は見つからず彼らの正しさが証明される。
しかし開戦を阻止することはかなわず、イラク人100万人、米兵3万6000人以上が死傷。
勝負には勝ったが試合には負けた状況であり、映画の後味もほろ苦い。
報道機関が権力を監視する役割を後退させ、政府の“広報”に甘んじる状況は、日本も同じ。
だが政治もマスコミもその国民を映す鏡だとすれば、嘆くだけではすまされない。
ニュースの受け手で有権者の私たちがメディアリテラシーを高め、真実を求める姿勢を正していくことが、政治と報道の質を高めることにつながるはず。
是非この映画を見る前に現在上演中の「VICE」をご覧になられてから、この映画を見ると裏表の鏡のように詳しくこの状況を把握できる映画だと思いますよ。
緊迫した潜水艦アクション
ロシア近海で米軍原子力潜水艦が消息を絶つ。
捜索に向かった「ハンターキラー」は、現場付近の氷塊に隠れていたロシア軍の潜水艦に攻撃されるが反撃。
更に現場付近に沈んでいた敵ロシア潜水艦の生存者を捕虜にする。
同じ頃、ロシアでは恐ろしい陰謀が企てられていた。
急遽ロシア大統領救出任務を与えられ、侵入不可能とされるロシア海域へ。
緊迫した122分。久しぶりに疲れました。
乗組員は音とレーダーを頼りに周りの状況を把握しているが、緊迫した状況が続く。
各担当員から状況報告を受け、その場その場で最良のルート、回避行動。
メインは潜水艦だが、想像以上に陸での戦闘もアツかった。
少数の極秘調査隊がロシアに足を踏み入れ、ハンターキラーと協力し大統領救出任務を課せられる。
何よりもロシア海域へと入っていく瞬間、大統領救出からの逃走劇は瞬きをしたか覚えてないほど緊張した。
全員の顔が強ばり、恐怖に耐える表情は真似出来ない。ここまで休息のない映画は初めて。
DCの映画には重苦しいその人となりの背景を表現する傾向が有る。
バットマン・ダークナイトでのジョーカーはあくまでもタダの人間で、超能力も化学兵器も使用しない。
心理的な攻撃を仕掛け、人としての本当の怖さを表現していた。
そんなジョーカーが僕の中では過去最高の悪役で有り、言い換えればホラー映画だった。
ジョーカー。
カードゲームでも自分を選択したことをあざ笑うかのような切り札。
人の不幸を喜ぶ道化。
正義への称賛を拒絶させる、悲哀を極めた悪への到達。
スピンオフで悪役の誕生譚が描かれることが稀にある。
スターウォーズのエピソード1~3はダース・ベイダーに
悪に感情も恨みもないが、自分は悪役の起源の方がストーリーがあるように思える。
それは宇宙人ではない限り、人間が多いからだ。
人間は最初、純白の穢れなき姿で生まれてきて、その後の行き方でいろいろな色が付けられ豹変するからだ。
かつては優しく純粋だった人物が、自己犠牲の末に止まれず暗黒面へと身を寄せる。
綺麗ごとによって正当化される悪にも正当性が見いだせるかもしれない。
ヒーローコミックス「バットマン」の宿敵として登場するジョーカーは、廃液の満ちたタンクに落下し、異貌となった形相が本性を肥大化させ、世界で最も知られるヴィランの一人となった。
だが彼の出自を再定義する本作は、そんな固定されたジョーカー伝説とは異質。
心を病み、それでも人々に笑いを提供する貧しい大道芸人が、社会からの孤立や資本主義がもたらす貧富格差といった膿汁で肺を満たされ、呼吸困難からあえぐように悪の水面へと浮かび上がっていく。
苦しいのか、それとも開放感から出る笑みなのか分からぬ表情で。
ジョーカーこと主人公アーサーは、自ら道を選んで悪の轍を踏んだわけではない。
そこにはダークヒーローなどといった気取ったワードとは無縁の、逃れられない運命の帰結として悪が存在する。
人生に選択の余地を与えぬ、容赦ない哀しみの腐臭を放ちながら。
喜劇のコントラストとしてそこにある悲劇へと踏み込んでいく。
到達が可能な、そんな不可触領域にジョーカーは潜在していた。
過去、映像化されたジョーカーの歴任俳優は、それぞれが最高のパフォーマンスをもって役に臨んできた。
自らをとことんまで追い込みパラノイアを体現することで、狂気の塊のようなキャラクターからつかみどころを見つけ、握った感触を確実にわがものにしている。
狂っているのは僕か? それとも世間か?
ドーランを血に代えた、悲哀を極める悪の誕生を見た後では、ジョーカーへの同情が意識を遮断し、もはやバットマンに肩入れすることなどできない。
ぼくはジョーカーのメイクをするときのアーサーの涙を。
アーサーを捨ててジョーカーへと決意を固めた行き方の選択を支持したい。