5月17日 火曜日
川崎浮世絵ギャラリーに行った時にポスターを観て、小雨の中、関内駅から神奈川県立歴史博物館へ。
どこ?と思ったら、この建物が博物館だったのか。建物は知ってたけど、入場するのは初めてだ。
関東大震災(火事で内部は焼けたけど)や太平洋戦争での被害を免れた建物だ。横浜正金銀行の建物だったそうだが、横浜銀行の前身かと思ってたら東京銀行(現・三菱UFJ銀行)だったそうだ。この近辺は空襲されなかったんだ。
特別展「洞窟遺跡を掘るー海蝕洞窟の考古学ー」
赤星忠直さんと言う横須賀市の人が、コツコツと発掘作業と分類作業をしたらしい。偉いな。途中、太平洋戦争の時には兵隊にも取られたらしいが、無事に帰ってきて発掘を続けたらしい。戦争って、人材を平気で踏みにじるって意味でも怖いな。
↑ これは常設展にあった模型だけど、こんな風に縄文~弥生~古墳時代位まで三浦半島の海蝕洞窟で人々が暮らしていたそうだ。そんな時代の、石器やら土器やら貝で作った道具などが並ぶ。
そんな中、私が面白いと思ったのが2点。
その1.弓弭(ゆはず)
弓弭=弓の両端の、弦の輪をかける部分
だそーだが、本当かなあ。動物の骨とか木で、弓弭としてこんな繊細な細工を作る必要があったのかあ?
その2.卜骨(ぼっこつ)
「亀甲 きっこう ・獣骨などを焼いて、その割れ目の形で吉凶を占う方法。 古くから中国などで行われ、日本でも弥生時代には行われた。」
どうも肩甲骨に焼いた金属の細い突起物を刺して、穴が開きやすいかどうかで占ったらしい。
三浦半島と向かいの房総半島で見つかっているらしい。なんか、不思議だ。
常設展
↑ 家の近所でこんなの出てきたら楽しいだろうなあ。
↑ 相模国分寺の模型。8世紀半ばに、相模にこんな建物を建てられるとは・・・。
↑ 円覚寺仏舎利殿模型
北鎌倉駅から近いから、親しみはあるんだが、今一、その凄さが分からない私であった。