知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

興味のあることは、何でも調べて文章にする。   写真は「光と影」と言われるが、この理解には、まだまだ、ほど遠い.

『奈良のこと 3.2(飛鳥・白鳳彫刻の爛熟期の傑作、微笑少ない世界に)』 『半跏思惟像・国宝「如意輪観世音菩薩」モダンな微笑はどこから』

2021-11-22 13:35:48 | 旅行

『奈良のこと 3.2(飛鳥・白鳳彫刻の爛熟期の傑作、微笑少ない世界に)

『半跏思惟像・国宝「如意輪観世音菩薩」モダンな微笑はどこから』

「中宮寺」世界三大微笑のひとつ「国宝・木造菩薩半跏像」の微笑みに魅了される。 これほどの美しい仏像は写真ですが始めてみました。 国宝第1号も、即納得です

ウエブ情報から引用

世界三大微笑像の1番目、「弥勒菩薩半跏思惟像」(みろくぼさつはんかしゆいぞう)で、日本の国宝第1号です。 飛鳥時代から奈良時代にかけての作品が多く、日本には大陸から6世紀から7世紀の弥勒信仰の流入と共に伝えられました。 その像は日本に一つだけではなく、京都府京都市にある広隆寺の「宝冠弥勒」や奈良県 中宮寺「木造菩薩半跏像(伝如意輪観音)」が国宝として知られています。 この他にも東京国立博物館や寺院、美術館などに安置されています。

「宝冠弥勒」の右手の中指を頬にあてて物思いにふける姿は傑作とされ知られています。『日本書紀』(720年に完成)に記されているのによると、推古天皇11年(603年)、聖徳太子から譲り受けた仏像、または推古天皇31年(623年)新羅から請来された仏像のどちらかがこの像に当たるのではないかと言われています。 

 

半跏思惟像は、インドや中国、朝鮮半島に多数残っています。 日本で流行するのは、飛鳥・白鳳文化のころで、奈良時代になると急速に衰退したといいます。 七世紀を中心に流行した大変古代的な仏像の姿であると言われます。

 

半跏思惟像は、仏像の一形式で、台座に腰掛けており、足は、左足を下げ、右足は足先を左太ももにのせて足を組み、手は、折り曲げた右膝頭の上に右肘をつき、右手の指先を軽く右頰にふれて思索する(思惟)姿の弥勒菩薩像(みろくぼさつぞう)のことです。

 

中宮時のご本尊である国宝・木造菩薩半跏像は、材質はクスノキ、像高132.0cm(左脚を除く坐高は87.0cm)です。 寺に伝わる伝承では、「如意輪観音(にょいりんかんのん)」と呼ばれていたとされています。 当初は弥勒菩薩像として造立された可能性が高いとされています。 また、国宝指定の際の呼び方は「木造菩薩半跏像」となっています。

 

全身が艶のある黒っぽい色になっていますが、足の裏などにわずかに当初は彩色され、別製の装身具を付けていたと思われる痕跡が残っています。 経年で彩色が失われ、現在の色になったようです。この落ち着いた色合いが、やさしい微笑みにあっているような気がするので、当初のお姿が想像できません。

 

文献上の始めて登場するのは、建治元年の『太子曼荼羅講式』で、同書に「本尊救世観音」とあるのが本像にあたると考えられていいます。それ以前の伝来は不明となっています。 制作時期については、飛鳥、白鳳の諸説があるようです。 少し細かく見ると、中宮寺の像には、飛鳥期の仏像の様式と、白鳳期の仏像の様式が混在するのだそうです。

 

頬にそっと指をあてて思惟している姿と、浮かべる微笑みが美しく、特にファンの多い仏像で、この微笑みを見ようと何度も訪れる方も多いようです。 本尊・国宝木造半跏思惟像(如意輪観世音菩薩)を守るための本堂の全面修理が完了しています。 この時、国宝木造半跏思惟像には何も処理をしていないとのことですが、何度も目にしている参拝者は、国宝木造半跏思惟像の雰囲気が違って見え、磨き上げられた。

 

世界三大微笑像の2番目、モナリザ

「謎の微笑」と言われレオナルドダヴィンチが描いた絵です。 現在はルーブル美術館に保管、モナリザは角度によって、見え方も変わるのでマジックがかかっているかのようです。 天才と言われるレオナルドダヴィンチも巧みな技法を使ったのでしょう。

 ウエブ情報から引用

 

世界三大微笑像の3番目、スフィンクス

古代エジプトの古王国時代に一枚岩から作られた石像で、カイロ郊外、ギザのギザ台地の三大ピラミッドのそばにあります。 スフィンクスとは、エジプト神話やギリシア神話、メソポタミア神話などに登場する、ライオンの身体と人間の顔を持った神聖な存在あるいは怪物です。

埋没していた時代のスフィンクス(デビッド・ロバーツ画、1838年)  ウエブ情報から引用

 

この時代ライオンは「聖獣」とされていました。 そこからライオンはスフィンクスとなりファラオ(エジプトの王)を守護神となったと思われます。 紀元前2500年頃、第四王朝カフラーの命令により、第2ピラミッドと共に作られました。 スフィンクスの前足の間から発掘された碑文の最後に「Khaf」の文字があったことから、カフラーが命令したのだろうと想像できます。

 

スフィンクスの微笑は、王様を守るために表情を顔に表わすことなく、常に冷静でなければならない、そんな感じの表情に見えます。

 

微笑のチカラとは

世界三大微笑像は、なぜこんなに人々を魅了するのでしょう。 場合によっては、今起こっていることに対して「微笑」をみると涙が出そうになるくらいの気持ちになっていくと思います。

微笑は、カウンセラーやセラピストの役割があると思えます。 その微笑を見たくて、拝見し「もう少し頑張ろう」と思えることが微笑のチカラです。

 

世界三大微笑像は写真でもその微笑は効果があります。 じっくり見ているとカウンセラーやセラピストにもなってくれそうです。 そんな微笑の表情ではないかと思いました。

(記事投稿日:2021/11/22、#428)

 

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『奈良のこと 2(西の迎賓館とも呼ばれる奈良ホテル)』ー「思い立ったら吉日」の慌て者には、泊まりたいときは、本館に空きはなしー

2020-12-20 12:02:21 | 旅行

            『奈良のこと 2(西の迎賓館とも呼ばれる奈良ホテル)

ー「思い立ったら吉日」の慌て者には、泊まりたいときは、本館に空きはなしー

 

西の迎賓館と呼ばれる『奈良ホテル』はこう言われています。

『奈良ホテルの全ては本館にある!と言っても過言ではないと思います。 新館に泊まっては、奈良ホテルに宿泊した意義はないと思います。 残念ながら・・・。 クラシカルでノスタルジックな雰囲気は、本館のお部屋でしか味わえないと思います』とつれない。 『思い立ったら吉日』の慌て者には、『泊まりたいときには、本館には空きはなし』でした。

 

このホテルは、第二次世界大戦前には国営(鉄道院→鉄道省直営)の時代が長く、近畿において国賓・皇族の宿泊する迎賓館に準ずる施設としての役割を担っていた。 このため「西の迎賓館」とも呼ばれる。 今日でも著名人が多く宿泊し、皇族の奈良宿泊の際にはこのホテルが利用されることが専らである。

 

玄関ロビーの暖炉を鳥居で枠組み飾りをされたり、床置き型のパッケージエアコンが、化粧キャビネットで覆ってもなく、吹き出し口も直接ブロー(工場などでの据え付け)でした。

この違和感は、見慣れてくるとだんだん薄れましたが、パッケージエアコンを販売据え付けした経験のある自分には、しこりに残りました。

神社と寺は、神仏習合と言われ、同居していることが多いです。 日本古来の神と、外来宗教の仏教を結び付けた信仰ですが、鳥居は神道由来のものです。 明治維新の動乱の中で、薩長新政権が打ち出した思想政策で引き起こされた『廃仏毀釈』があったとはいえ、この鳥居を取り込んだ思い切ったデザインには驚きました。

 

宿泊設備としては木造2階建て瓦葺き建築で創業以来の本館と、1984年に営業を開始した鉄筋コンクリート造4階建ての新館よりなり、小高い丘の上に建つ本館1階とその丘の南側斜面を削って建設された新館の屋上が同一平面となる。

この新館は、ベランダと窓以外は地下に造られた構造とは全く気が付きません。

 

日本の地形では、丘や丘陵の崖の上の、ホテルや旅館は多く、建築工事技術の進んだ今は、この方法は参考になると思いました。 地層・地形の耐震調査は十分事前調査は必要ですが。

 

 

宿泊した海外の著名人

等々、大勢います

                    (20190727纏め 20201220追補 #111)

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