知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

興味のあることは、何でも調べて文章にする。   写真は「光と影」と言われるが、この理解には、まだまだ、ほど遠い.

『野球だけが、フィールド・マネジャー(監督・管理者と)呼ぶ』 ―他は、コーチ、ディレクター、トレーナー(指揮官、指導者)と呼ぶなぜ?―

2021-02-23 20:45:06 | スポーツ

 『野球だけが、フィールド・マネジャー(監督・管理者と)呼ぶ』

   ―他は、コーチ、ディレクター、トレーナー(指揮官、指導者)と呼ぶなぜ?―

 

 野球の歴史は、12世紀が起源とされています。野球の歴史の発祥の国はイギリスとされていて、現在の野球の形はアメリカで誕生しました。 日本やアメリカにプロ野球チームができたことでルールは徐々に改正されていき、野球の道具も進化し現在の野球の形へと近づいていきます。

  予てから、思っていました。 野球とソフトボールには、団体競技の中にかなりの個人対決の要素が含まれているように思っています。 もちろん保守の配球の読みも入りますが、やはり打者と投手の対決は、個人対決の要素も入っています。 これからの、過去の名勝負伝の調査が楽しみですと、同時に、表題『野球だけが、フィールド・マネジャー(監督・管理者と)呼ぶ』―他は、コーチ、ディレクター、トレーナー(指揮官、指導者と)呼ぶなぜ?―の今後の調査を頑張ります。

ウキペデイアから引用

1866年にエリシアン・フィールズで行われたミューチュアル・クラブ対アトランティック・クラブの試合を描いたリトグラフ"The American National Game of Baseball"。

 

アメリカでの誕生と発展が、野球の監督・管理者を、『フィールド・マネジャー』と呼ぶようになったと思います。 日経新聞の文化欄にスポーツ文化評論家の玉木正之氏がアート・オブ・ベースボールの中にこう書いています。

 

『子供のように無心になってボールを投げ、ボールを打ち、ボールを追う。 そんな選手たちを、ひとつの野球チームにまとめるには、監督の存在が不可欠。 数あるスポーツのなかで、勝利を目指してチームをまとめ、けん引する存在をフィールド・マネジャー(監督・管理者と)と呼ぶのは野球の特徴だ。 他はスポーツでは、コーチ、ディレクター、トレーナー(指揮官、指導者)などと呼ばれている。

 

 更にこう続けている(子供の野球と古き良き時代の野球でしょうか)、

が、他の球技やスポーツと違って野球の選手たちは指揮官や指導者の命じるままには動かない。 必死にプレイする「子供」たちが伸び伸びプレイできるように見守って(管理監督して)やる必要がある。

 

 そこで野球の監督は、子供のような選手たちを率いる、父親的存在となる。 その典型がヤンキースを率いてワールドシリーズ優勝七回を残したケーシー・ステンゲルだ。 「まだ疲れてません」と交代を拒否するマウンドの投手に向かってステンゲルは言った「見ている俺が付かれたから変わってくれ」。 

  日本でも三原、水原、鶴岡、川上…と、プロ野球の名監督はすべて父親的だった。 が、そんな監督は野村克也で最後になった。

 ”野球の神様”と称されたニューヨーク・ヤンキ-スの名監督であり、選手時代はそれほど注目を集めたプレイヤーではなかったものの、監督になってからは、ヤンキースをリーグ優勝10回、ワールドシリーズ制覇7回に導き、その優れた戦術は、現在の野球界に大きな影響を与えた。また、監督時代に付けていた背番号「37」は12年間監督を務めたヤンキースと、新設から4年間、初代監督を務めたニューヨーク・メッツで「永久欠番」に指定されていることのこと。1966年にアメリカ野球殿堂入り。(参考文献:ウィキペディア+Amazon.co.jp)

 ウエブ情報から引用

やはり凄い『ケーシー・ステンゲルの名言、ふたつ』

『みんな、そんな事、無理だと言う。 でも、いつも無理だとは限らない・』

『運なんてものは、練習をたくさんやった奴のおまけなんだ。』

 

ウエブ情報によると日本のプロ野球監督の総合ランキング

1位 「川上哲治」 32.9%
2位 「野村克也」 32.4%
3位 「仰木彬」     22.5%
4位 「広岡達朗」 18.6%
5位 「星野仙一」 17.5%
6位 「森祇晶」     15.3%
7位 「古葉竹識」 14.9%
8位 「王貞治」     14.5%
9位 「西本幸雄」 14.1%
10位 「長嶋茂雄」  9.0%

一位と二位は拮抗していますが、野村伝説はまだまだ進化するでしょう…。

アメリカと野球は、いろいろ世界を豊かにします。

   (20210223纏め、♯291)

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『COVID-19との長期戦に備えて 1(参考にすべき国々と比較 29)』 ―PCR検査で陽性者の把握と、『率先自主隔離とお願い隔離』の継続徹底を―

2021-02-23 12:28:01 | 政治・経済

             『COVID-19との長期戦に備えて 1(参考にすべき国々と比較 29)』

         ―PCR検査で陽性者の把握と、『率先自主隔離とお願い隔離』の継続徹底を―

 

本日(20210221)日経総合欄に『コロナ病床、英米の1割』とセンセーショナルな見出しが載っていました。 内容は、カナダ・フランス・イタリアを含む、欧米との比較でした。 欲を言えば、東アジアの台湾・韓国との比較も載せてほしかった。 COVID-19の感染状況は、東アジアと欧米の格差が大きいが、東アジア内でも格差が大きいので‼。

 

人口100万人あたりのCOVID-19の感染者増加率・死者数推移(11ヶ国と世界)『頭打ち直前です。』 ここで定量的把握を強化して、日本もアジアで抑え込んだ国になって貰いたい!

 

COVID-19をSARS・MERSに比較

   

 

SARS

MERS

COVID-19 

感染者数/死者数

 8,096 / 774

2,494 / 858

 11,697.4万人/
247.3万人
(20210221現在)

潜伏期間

2-10日(平均5日)

2-15

1-14
(20210116現在)

感染経路

飛沫感染 
接触感染 
(糞口感染)
(空気感染)

不明
(現在調査中) 

飛沫感染
接触感染

致死率(全体)

約9.6%
(20030930現在)

症例致死率
34.4%
(20191130現在)  

 約2.11%
(20210221現在)

致死率(年齢別)

34歳未満: 1%
25-44歳: 6% 
45-64歳: 15%
65歳以上:50%以上

不明

不明

終息時期

最初の患者から 
8カ月後

 現在も終息に
至っていない

不明

 

2月21日のデータで更新しました。

 

人口100万人あたりのCOVID-19の感染者増加率(11ヶ国と世界)

  中国 台湾 日本 韓国 インド スウェーデン ドイツ 英国 米国 ブラジル 南ア 世界
2002 55 1 2 57 0 1 2 1 0 0 0 11
2003 57 13 15 191 0 399 739 571 497 22 23 104
2004 58 18 111 210 24 2,010 1,899 2,633 3,142 368 95 403
2005 58 19 133 224 132 3,675 2,166 3,794 5,349 2,188 551 771
2006 59 19 147 250 411 6,700 2,319 4,201 7,826 6,437 2,550 1,314
2007 61 20 267 279 1,188 8,931 2,491 4,490 13,579 12,279 8,316 2,219
2008 62 20 537 389 2,624 8,341 3,184 4,980 18,171 18,171 10,573 3,243
2009 62.91 21.58 656 464 4,511 9,223 3,452 6,715 21,725 22,476 11,370 4,333
2010 63.48 23.26 794 517 5,896 12,779 6,192 14,948 27,333 25,953 12,232 5,866
2011 64.55 28.34 1,178 676 6,857 24,074 12,770 24,066 40,910 29,808 13,320 8,118
2012 66.67 33.55 1,864 1,205 7,440 43,308 21,013 36,771 60,326 36,112 17,825 10,703
2101 69.52 38.25 3,085 1,531 7,795 56,138 26,564 56,391 79,109 43,304 24,512 13,137
2102 70.16 39.98 3,452 1,760 8,035 64,615 29,252 62,272 86,957 49,348 25636 14,670

 

 

10月度  11月度  12月度   1月度     2月度予測値

前月末比 前月末比 前月末比 前月末比 前月末比

ドイツ    179%   206%  165%   126%  110%

スウェーデン 139%   188%  180%   130%  117%

英国     223%   161%  153%   153%        111%

米国     126%   150%  147%   131%        110%

ブラジル   115%   115%  121%   120%        114%

台湾     105%   122%  121%   114%   105%

中国     100%   103%  103%   104%        101%

韓国     111%   131%  178%   127%   115%

日本     121%   148%  158%   166%        112%

インド       131%   116%  109%   105%  103% 

南ア        108%   109%        134%   138%      105%

世界     135%   138%  132%   123%  112%

 

人口100万人あたりのCOVID-19の感染者数推移(東アジアの4カ国)

  中国 台湾 日本 韓国
2002 55 1 2 57
2003 57 13 15 191
2004 58 18 111 210
2005 58 19 133 224
2006 59 19 147 250
2007 61 20 267 279
2008 62 20 537 389
2009 63.00 22.00 656 464
2010 63.00 23.00 794 517
2011 65.00 28.00 1,178 676
2012 67.00 34.00 1,864 1,205
2101 69.52 38.25 3,085 1,531
2102 70.16 39.98 3452 1760

 

 

 

人口100万人あたりのCOVID-19の死者数推移(11ヶ国と世界)

『頭打ち直前です。』 ここで定量的把握を強化して、日本もアジアで抑え込んだ国に!

  中国 台湾 日本 韓国 インド スウェーデン ドイツ 英国 米国 ブラジル 南ア 世界
2002 1.97 0.04                   0.37
2003 2.31 0.04 0.44 3.18   14.46   36.19 9.58 0.75   4.96
2004 3.22 0.25 3.28 4.84 0.78 243.78 75.05 394.1 184.19 25.72 1.74 29.23
2005 3.22 0.29 7.04 5.29 3.74 435.18 101.45 552.79 313.54 135.65 11.52 47.41
2006 3.22 0.29 7.69 5.51 12.61 525.78 107.11 596.28 381.08 274.34 44.81 64.42
2007 3.24 0.29 7.93 5.87 25.91 568.26 109.11 607.99 459.42 429.35 134.97 85.74
2008 3.28 0.29 10.11 6.32 46.72 577.86 110.98 612.63 553.07 568.44 238.57 108.66
2009 3.29 0.29 12.37 8.06 70.65 580.14 113.24 622.12 580.14 672.38 282.15 129.46
2010 3.29 0.29 13.88 9.05 88.15 590.34 127.45 687.11 693.98 750.27 325.01 151.74
2011 3.30 0.29 16.41 10.26 99.72 661.53 199.25 862.40 809.80 814.45 363.11 188.39
2012 3.32 0.29 26.03 17.89 107.78 864.12 403.31 1,084.49 1,044.51 917.15 480.01 233.25
2101 3.35 0.34 45.49 27.79 111.88 1,144.34 682.27 1,566.85 1,333.28 1,056.19 744.65 284.33
2102 3.36 0.39 63.74 31.36 113.80 1,287.39 853.87 1,850.52 1,565.16 1,194.19 854.56 327.09

      10月度  11月度  12月度  1月度     2月度予測値

                      前月末比 前月末比 前月末比  前月末比 前月末比 

ドイツ    110%  156%     202%         169%        125%

スウェーデン 102%  112%   131%   132%   112%

英国     110%  126%    126%        144%       126%

米国     112%  117%    129%   128%       117%

ブラジル   112%  109%            113%        115%   109%

台湾     100%  100%    100%   117%        116%

中国     100%  100%    101%    101%   100%

韓国     112%  113%    174%    155%   113%

日本     112%     118%    159%         175%   140%

インド               125%  113%   108%   104%   101%

南ア      115%  112%   132%   155%   115%

世界      118%     124%           124%   122%      115%

 

人口100万人あたりのCOVID-19の死者数推移(東アジアの4カ国)

日本はピークを打ったように見えますが、医療体制を考えると、まだまだ安心はできません。

  中国 台湾 日本 韓国
2002 1.97 0.04    
2003 2.31 0.04 0.44 3.18
2004 3.22 0.25 3.28 4.84
2005 3.22 0.29 7.04 5.29
2006 3.22 0.29 7.69 5.51
2007 3.24 0.29 7.93 5.87
2008 3.28 0.29 10.11 6.32
2009 3.29 0.29 12.37 8.06
2010 3.29 0.29 13.88 9.05
2011 3.30 0.29 16.41 10.26
2012 3.32 0.29 26.03 17.89
2101 3.35 0.34 45.49 27.79
2102 3.36 0.39 63.74 31.36

将来に備えて、この度の『後手に回った新型コロナ感染症対策』の経済へのマイナス影響の分析を、スパコン『富嶽』で、是非やってほしいと思っています。『事業仕分け』などと言わず『対策の効果・実績測定』で結構ですので・・・。  今までは、各方面・分野で『喉元過ぎれば…』で世界中に後れをとっている事例が日本では、多々ありますので。

  (20210223纏め #290)

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『核DNA解析の進歩は、モアイとイースター島の謎をより深めた』―誰が付けたか、誰が呼んだか「モ」「アイ」で「未来に生きる」という意味ー

2021-02-21 19:02:08 | 歴史・世界

『核DNA解析の進歩はモアイとイースター島の謎をより深めた』

       ―誰が付けたか、誰が呼んだか「モ」「アイ」で「未来に生きる」という意味ー

 

 四半世紀も昔のことですが、山岳部の先輩とチリ・サンチャゴに半月余の予定で商用出張をしました。 この先輩が、サンチャゴに到着するなり『白人国・チリは土・日曜日は休みですので、この千載一隅のチャンスを生かし、モアイを見に、イースター島に行こうよ』と言われました。 この後で、すぐに解りました。 イースター島までの距離は、サンチャゴから3,600㎞で、当時、飛行機は週一便しかなく、まさに『絶海の孤島』でした。 夢のモアイとの遭遇は、他の理由もあり、即決でギブアップしました。

 

 イースター島(ロンゴ・ロンゴ語、ラパ・ヌイ島)は、巨大な顔の石像『モアイ(moai)』で有名です。誰が付けたか、誰が呼んだか、『モ』『アイ』で、『未来に生きる』という意味があり、『アフ(Ahu)』という祭壇に立たせると『マナ(mana)』という超自然力を持つようになると信じられていました。

 

 過去には『この絶海の孤島』には、もともと、巨大な像を作って動かす技術や知識がなく、モアイの『アフ(Ahu)』という祭壇と呼ばれる高台(台座)がインカの石垣組みに似ているから『モアイは、南米からやって来た人々の力で建てられたという説が有力』だった。 

 

 核DNA解析を待つまでもなく、インカの人々がイースター島に渡れない理由ですが、南米大陸からイースター島までは、島伝いに航海するにも島嶼もなく、3,000㎞余を渡る術(船も航海技術も)はなく、南太平洋海流もペルー海流も、この航海ルートの助けには、ならなかったようです。

 

 島民の遺骨のDNAには、島外起源の遺伝情報は見つかっていない。 最近の研究により、モアイは島民が自力で建設し、移動させたことがわかっている。 今回のテーマになった背景(島民のルーツは、南太平洋を、島伝いとは言え数千キロをカヌーで横断してきたポリネシア人)です。

ポリネシア人は、この広い南太平洋を、自分の庭のごとく、活動していたようです。

 

 

 このイースター島は、三つの火山噴火でできた小さな、底辺が約22㎞、他の辺がそれぞれ約12㎞の二等辺三角形の島で面積は163.4㎢(日本の小豆島とほぼ同じ大きさ)現在の人口か6,600人。 モアイを1,000体あまり作った時代は『巨大椰子の生い茂る亜熱帯雨林の島で、人口は最盛期でも1万人前後』と言われてます。 この火山島の火山は、三角形の頂点付近の三か所です。

ウエブ情報から引用

 

写真手前がラノカウ火山の火口湖この全島が俯瞰できてしまう小島は、世界最大の椰子『チリサケヤシ(英名チリアン・ワイン・パーム)幹の直径2ⅿ余が茂っていた亜熱帯性雨林でした。

ウエブ情報から引用

 

2005年に刊行された、ジャレド・ダイヤモンド氏著『文明崩壊-滅亡と存続の命運を分けるもの-』の冒頭にこう表現されています。 

 

 ラノ・ララクほど不気味な印象を受けた場所はない。 ラノ・ララクとは、イースター島の名高い巨大石像が切り出された採石場のことだ。 イースター島の地理的な特徴として、まず、人の住める場所としては世界一辺鄙な場所にある小島だということが挙げられる。 最も近い陸地は、東方向に約3,600㎞離れたチリの海岸か、西方向に約2,100㎞離れたポリネシアのピトケアン諸島(この地図には表示なし、Mangareva島の下)だ。

 

ウエブ情報から引用

 

先ずは、『最初の謎から』です。

謎❶ 

 古代人類はアジア大陸からインドネシア諸島経由で、オーストラリアとニューギニアに至る航路は、紀元前12世紀までは、ソロモン諸島までであった。 

 

 同じころ、ニューギニア北東のビスマルク諸島に起源を持つとされる人々は、更に東に外洋を、1,500㎞近く航行して、フィジー、サモア、トンガまで到達してポリネシア人となった。 ポリネシア人は羅針盤も、文字も、金属製の道具もない時代に、『航海術と帆走カヌーの製造技術に精通』していたとはいえ、更に数千㎞先のイースター島まで、到達できたのか。 

 

 数千年の時間の経過の中で『先発した家族やグループが帰ってこないので、どこかに、新天地の島を見つけて新生活を始めたのだろう』と信じて、次から次と試みて『万が一とか、千三つ』の確率でで成功した例が、イースター島のポリネシア人の祖先でしょうか。 

 

イースター島のポリネシア人の最終ルートは、島伝いではなく『ポリネシアのピトケアン諸島から約2,100㎞離れたイースター島へ』の帆走カヌー航海が可能であったどうかが最大の謎です。

 

日本人のルーツで考えられる、三つのルートの南からのルートは、時代こそ違いますが、島伝いです。 

ウエブ情報から引用

 

謎❷

ラノ・ララクは、直径約550ⅿの円形に近い噴火口で、その内部に至る細い通路が、外周の低地から急勾配で火口縁に登り、再び急勾配で火口床の湿原沼に降りている。 噴火口の内外の壁(傾斜)には397体の石像が散在している。

ウエブ情報から引用

 

『アフ(Ahu)』という祭壇に立たせると『マナ(mana)』という超自然力を持つようになると信じられていた。

 ウエブ情報から引用

 

 島内にはモアイ像が約1,000体あり、1995年にはその文化的価値から世界遺産に登録されています。  

なぜ、1万人前後の人口で、どうやってこんなに、多くの、モアイ像が造られたのか多くが謎に包まれたままです。

 

謎❸

モアイ像は、耳が長く足のない男性の上半身を一様の手法で表したこの石像は、そのほとんどが約4.5ⅿないし6ⅿの高さ持つが、最大のものは20ⅿ(5階建てのビルより高い)を超え、重量は10トンから、最高90トン、作成中で完成できずギブアップした、長さ(高さ)21m、重量約270トンにも及ぶものもあります。 

ウエブ情報から引用

 

 数部族に分かれていた部族が、争いもせずに、約1,000体をつくった訳ですが、モアイの加工場所は1ヶ所『ラノ・ララク』。 モアイ像に『帽子』がかぶせられたのは約12001300年ごろとみられる。 『帽子』は赤い軽石に似た火山岩『スコリア』から作られたもので、1個の重さは数トンもあります。 この石材火山岩『スコリア』も採石場所も1ヶ所で、当初のモアイづくりは仲良く共存共栄であったようです。 帽子は一時的な流行であったようですが、モアイ本体の大きさの競争はエスカレートしたようです。

『なぜか、いくつかあった部族間の競争下で、切り出し運び出しができないような約270トンもの信じられないようなサイズのモアイ像が造られかけて中断している謎』がありました。

 

 

 古代の石造建造物で加工・据え付けられたものは、4,500余年前、エジプトのクフ王のピラミッドの中の王の間の梁(加工石約60トン)、日本の石舞台の天井石(自然石約70トン)が大きな方です。

 

この絶海の小さな島・イースター島には、まだまだ、多くの謎があります。

                             (記事投稿日:2019/12/09、最終更新日:2021/02/21、#135)

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『日本は凄い・日本人は凄い 1(折り紙のこと)』『「ミウラ折り」宇宙で衛星用太陽電池パネルの輸送時のコンパクト化が実現』

2021-02-21 07:20:35 | 技術

『日本は凄い・日本人は凄い 1(折り紙のこと)』

『「ミウラ折り」宇宙で衛星用太陽電池パネルの輸送時のコンパクト化が実現』

 

 折り紙の起源はハッキリしてないようです。 中国やスペイン説もあります

正式にわかっていないのが現状のようです。 最近では、韓国が名乗り上げていますが韓国の折り紙は、ハサミや接着剤も使っているので、日本の伝統の折り紙とは全く違うと言われています。 

 

日本の折り紙の凄さは三浦公亮東大名誉教授が考案した『ミウラ折り』です。  『ミウラ折り』では、縦の折り目にジグザグに傾斜をつけることによって、折り目が重ならずコンパクトになる。また、折り畳んだ一端を引くだけで、全体を一気に開けるという特徴があり、衛星用の太陽電池パネルの輸送時の驚異的なコンパクト化が実現しました。

 

ある方から入手した、折り紙のゴジラです。 その精緻さには驚くばかりです。

 

 

 カラフルな折り紙

無骨者・不器用な傘寿爺にはとても折れない折り紙五態

 

 

  折り紙の歴史のウェブ情報からの抜粋です。

7世紀初めに大陸から紙の製法が日本に伝えられたのち、日本人の工夫によって薄くて丈夫な紙、「和紙」が生まれました。 はじめ写経や記録が紙の重要な用途でしたが、神事にも用いられるようになり、神への供物など様々なものを紙で包むようになりました。やがて供物や贈り物を包んだとき紙に折り目がつくことに着目して、包みを美しく折って飾る儀礼折が生まれてきます。 

  

室町時代(14,15世紀)に入ると小笠原家や伊勢家によって様々な礼法が整えられ、紙包みの礼法(儀礼折)もそのころ考えられたものです。今も使われている熨斗包みや雌蝶・雄蝶などの折り方はその名残です。 

  

やがて礼法や決まりから離れて、折り方そのものを楽しむようになったのが「折り紙」です。江戸時代に入ると紙の生産量も増え「折り紙」はいっそう庶民に親しまれるようになりました。寛政91797)年には世界で最も古い折り紙の本「秘傅千羽鶴折形」が出版されています。 

  

明治時代に入ると、「折り紙」は幼稚園教育にもとりいれられ、小学校では手工や図画でも教えるようになり、ますます盛んになりました。現在では、「折り紙」は世界各地に広まり、折紙愛好家の団体がいくつもできて盛んに活動を続けています。 

 

折り紙の歴史からも、折り紙の設計図描きを想像する時、日本は・日本人は、やはり凄いです。

 (20181218纏め、20210220追補、#040)

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『大ピラミッドのこと 6(標準石材のサイズの不思議)』ー今回、判ったことですが、大ピラミッドの縄張り・設計の凄さー

2021-02-20 11:09:09 | 歴史・世界

『大ピラミッドのこと 6(標準石材のサイズの不思議)』

ー今回、判ったことですが、大ピラミッドの縄張り・設計の凄さー

 

世界七不思議のほとんどは、地震や破壊などで消滅してしまい、『ギザの大ピラミッド、BC2584年』のみが現存する唯一の建物になっている。 さらに凄いのは、残っていない他の六ケ所が建造されたのは、BC600年からBC280年で、大ピラミッドは、これより2000年ほども古い。 今回、判ったことですが、大ピラミッドの縄張り・設計の凄さから、かの想像力豊かな作家、グラハム・ハンコックの著書『神々の指紋』も『今は昔の物語・スーパーフィクション』です。

 

クフ王の大ピラミッドが4500年ほど前に建造されたことと、当時の周辺国の文明と比較しても、とにかく群を抜いて凄いと思いました。 同年代のメソポタミアのシュメール文明、中国の龍山文化、インダス文明等を改めて調べてみたいと思いました。

 

三大ピラミッドのピラミッド複合体(ピラミッド・コンプレックス)

の縄張り。 これが4500年ほど前(日本の縄文時代)の縄張りです。

ウエブ情報から引用

大ピラミッド、260~280万個の石灰岩キューブを積み上げて造った急峻(51.5度)な山のような建造物の中に、重力軽減の間、大回廊、王の間、王妃の間等の空間を造った、』とあります。 どのように建造したか?

ウエブ情報から引用

ウエブ情報から引用 

  大ピラミッドには、260~280万個が組み込まれているが、石材のサイズが、下段から203段(現在、当時はトップ210段まで)リニアに小さくなっていない、途中で大きくなっている層がいくつかある』と。

ウエブ情報から引用

以上の三点だけでも、今の自分には、想像をはるかに、超えている4500年ほど前の技術レベルです。 そんな時、ウェブ情報にこんな記事がありました。

2015年3月14日に放映された『世界ふしぎ発見』で、クフ王のピラミッドに登頂し、頂上からのリポートに成功したという内容の番組が放送されました。

番組の中で、各段の石材の高さを計測しながら登っていく様子が映し出されています。 計測した生データをネット上で探したのですが見つからない。 公表されていないようです。 そこで、英語で検索すると直ぐに見つかりました。 これまでに二人の研究者が大ピラミッドの各層の石材高さに関する詳細な計測データを残しているようです。

これからは、大の苦手な、英語検索も頑張ってやっていこうと思いました。

 (20190910 纏め、20212020追補 #117)

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