知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

興味のあることは、何でも調べて文章にする。   写真は「光と影」と言われるが、この理解には、まだまだ、ほど遠い.

『山は美しい 13(高校山岳部初年度63年前の初めての登山が苗場山)』 『最近のことはぼんやりと、昔のことははっきりと、とはいかない苗場山行』

2022-08-30 22:51:39 | 山・山岳

『山は美しい 13(高校山岳部初年度63年前の初めての登山が苗場山)

『最近のことはぼんやりと、昔のことははっきりと、とはいかない苗場山行』

大昔のこと、男子高校でしたので運動部への入部を勧められました。 ひどい運動音痴で、俊敏さにも縁がなかったので、仕方なく山岳部に入部しました。 自分は、その時は知らず、後で知ったことですが、親父は、自分の『山岳部入部』知るや、すぐに山岳保険(山岳遭難捜索保険)を掛けたそうです。 

さて記憶のこと、記憶力のことですが、『傘寿真っ只中』の今、つくづくと思うのは『最近のことは「ぼんやり」と、昔のことは「はっきり」と』と思い出すことが多くなりました。 

27歳からの海外の駐在経験が、3カ国、20余年になりますので、17歳から始めた登山ですが、回数は少ないですが、自分が、20代でリーダーをやった山行は、『最近のことは「ぼんやり」と、昔のことは「はっきり」と』に違わずかなりははっきりと覚えております。 

63年前の、『初めてのおつかい』ならぬ、『初めての登山・苗場山』は、パーティーの中に飲み込まれ、リーダーに頼りっぱなしでしたので、ほとんど記憶に残っておりません。 ぼんやりと残っているのは、 

小屋泊りの当時合掌造りの山小屋が、今の苗場山登山口の和田小屋か、苗場山頂ヒュッか記憶がありません。

山頂の池塘群、初回登頂時には、ガスっており、『天空の大湿原』には見えませんでした。

ウエブ情報から引用

『日本の百名山』『花の百名山』に選ばれ、約4キロメートル四方の広く平坦な頂上と、そこに広がる湿原や高山植物がすばらしい苗場山。 山頂の池塘にはミヤマホタルイやヤチスゲなどが生育しており、その姿が苗のよう見えることから、山名を「苗場山」としたとの説もあり、鈴木牧之の『北越雪譜』にも「苗場山は越後第一の高山なり。 絶頂に天然の苗田あり、依りて昔より山の名に呼なり」と記されています。 また、古くから『稲作の神様』として人々に親しまれてきた信仰の山でもあります。 標高2,145m、歩行時間登り約4時間余、下り約3時間余。  

このような素晴らしい苗場山頂『天空の大湿原』をエンジョイ・堪能できるような、『山行』を、できるときに、やり損なった、傘寿には遠い!

(記事投稿日2022/08/30、#567)

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『日本語は優れた言語‼ 4(ギグワーカー と フリーランス)』 『カタカナ英語と和製英語も影響し,どんどん進化する日本語』

2022-08-27 09:42:42 | 語学・言語

『日本語は優れた言語‼ 4(ギグワーカー と フリーランス)』

『カタカナ英語と和製英語も影響し、どんどん進化する日本語』

 

過日(20210511)の日経の経済教室欄『ギグワーカーの未来 ㊤』の記事に、日進月歩する日本語がありました。 いよいよ『自分専用の用語・語彙集』が必要です。 後期高齢者から、一気に傘寿真っただ中に入った自分には『ボケテいる暇などないよ』と背中を押されているような感じです。 早速備忘録にして、自分用辞書作りの準備です。

 

『ギグワーカーの未来 ㊤』の抜粋

高い裁量性、経済的自立の鍵 ポイントは

  • 本来は事業者なのに一部に労働者性存在
  • スキル高めればサービスの値決めも可能
  • 多様な働き方に中立的な安全網の整備を

 

グラデーション化する働き方の類型

労働者---------------------------------------------------------------------------------------------------事業者

                       雇用による働き方               雇用によらない働き方 

            一部にフリーター    I  一部に労働者性を伴う      

                        I  働き方を含む

正規雇用      非正規雇用         I                                フリーランス

正社員   派遣社員・ パート   日雇い   I    偽装フリー  常駐   ギガ    請負   自営 

      契約社員  アルバイト 非常勤   I  ランス     フリー   ワーカー   委託

   

契約     雇用契約                   I    業務委託契約    プラット   業務     業務

                                                フォーム      委託     内容

                                                                                  I                                            利用契約    契約による

指揮命令            あり           I                あり~なし                        なし 

時間・場所    あり(テレワークあり)         I                あり~なし                        なし

社会保障      企業で加入              I                                                個人で加入

 

ギグワーカー

ウキペデイアから引用

ギグワーカーのギグ(Gig)とは、音楽用語で『ライブハウスなどで行われる短いセッションや演奏』のこと。 そこから派生して生まれたのが、単発もしくは短期の仕事をするギグワーカーという言葉です。

 

ギグワーカー と フリーランスの定義

ギグワーカー(独立業務請負人・インデペンデントコントラクター)は、ネットを介して単発で仕事を受けますが、報酬は働いた時間に対して発生するもので、ノルマや納品義務もありません。 自分の都合の良い時に働き、いつでも辞めることができるのが最大の特徴といえます。 「ネット単純労働者」という意味で、主に『インターネットを通じて単発の業務を請負』、報酬を得ている労働者のことで、その代表例は『Uber Eats(ウーバーイーツ)』の配達員です。

 

対して、フリーランス(自由契約者)とは、企業と雇用契約を結ばずに、単発に発生する仕事をプロジェクト単位で受けるもので、専門知識や技術を提供して報酬を得る働き方です。 『クライアントからの指名発注、直(じか)取引であるか否か』がギグワーカーとの違いです。

 

今回は、短い漢字では表現し難いようです。 言語は表意文字(漢字)、表音文字(ひらがな・カタカナ・ローマ字)の区別には関係なく、世の中の複雑な進歩を反映しているようです。

    (記事投稿日:2021/05/11、最新更新日:2021/12/06、#329)

 

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『三本柱の鳥居・三柱鳥居(みはしらとりい)のルーツはペルシャ?』 『「木嶋坐天照御魂神社の三柱鳥居」が日本唯一といわれるが!』

2022-08-26 21:33:57 | 寺院・神社・教会

『三本柱の鳥居・三柱鳥居(みはしらとりい)のルーツはペルシャ?』

『「木嶋坐天照御魂神社の三柱鳥居」が日本唯一といわれるが!』 

京都・太秦天神川『木嶋坐天照御魂神社』の、三柱鳥居(みはしらとりい)は日本でもここにしかない珍しい3本柱の鳥居と言われています。 『日本唯一の三柱鳥居』は中国における景教(中国に伝来したネストリウス派キリスト教)の遺物ともされる謎の多い鳥居です。 『木嶋坐天照御魂神社は「このしまにますあまてるみたまじんじゃ」と読み、通称「木嶋神社」と呼ばれています。』

『日本唯一の三柱鳥居』と言われる木嶋神社の三柱鳥居以外は、本来の三柱鳥居とは、少し異なるようです。 

木嶋神社の鳥居

木嶋坐天照御魂神社(蚕の社)-石造りの三柱鳥居が境内の「元糺の池」の中に建てられている。 現在のものは1831年に再建されたものだが、「北斎漫画」十一集「三才鳥居」に描かれているものは木造。

ウキペデイア情報から引用

 

ウキペデイア情報から引用

三柱鳥居(みはしらとりい)は、鳥居を3基組み合わせたものをいう。 正三角形平面に組み合わされ、隣り合う鳥居同士が柱を共有するため柱は3本である。笠木は井桁状に組まれ、貫は柱を貫かない。神明鳥居を組み合わせたものや、木嶋神社の例のように、笠木に曲線を施したものを組み合わせたものが見られる。 撤去されて現存しないもの、類似したものを含めて12基ですが。

全国の三柱鳥居と呼ばれてはいるが、本来の三柱鳥居とは少し異なる。

  • 東京都墨田区向島三囲神社の石造りの三柱鳥居に囲まれるように井戸が設けられている。『三角石鳥居、三井邸より移す、原形は京都・太秦 木島神社にある。』と説明されている。 三井家では、三囲神社を江戸における守護社と定めた事が理由である。
  • 岐阜県大和町山麓にある三柱鳥居は、標高1000メートルほどの場所にあるが、鳥居がある場所に神社はない。 近隣の林業関係者が山の神への感謝として建立したもので特定の宗派的なシンボルではない。
  • 京都市南禅寺、臨済宗南禅寺派大本山である大寧軒の庭に三柱鳥居がある。この三柱鳥居は木嶋神社のものを模したものであるという。
  • 山梨県富士吉田市不二阿祖大神宮の三柱鳥居、離れた海岸と路上に
  • 長崎県対馬市豊玉町和多都美神社(わたつみじんじゃ)には、社殿横と境内の池に二つの三柱鳥居がある。
  • 東京都新宿区成子天神社境内の手漕ぎポンプが乗っている井戸を覆うように三柱鳥居がある。
  • 岐阜県武儀郡徳積三柱鳥居、中部電力の三岐幹線の鉄塔建設とそれに伴う送電線が鳥居の上空付近を横切って建設されたため、三柱鳥居の神域が汚され、本来の聖地でなくなったと言うことで、撤去された(その場に埋められた)ため現存しない
  • 徳島県名西群神山町の金属製の三柱鳥居は、神山スキーランドホテルの近くにある。
  • 徳島県徳島市の船蓋比売神社の高さ1m弱の3柱の自然石にテーブル状の石板が載っており、鳥居というよりはドルメンのよう、三柱鳥居の原形のようにも見えるのが。
  • 長崎県長崎市の鎮西大社諏訪神社の摂社である「蛭子社(ひるこしゃ)」前にかつて三柱鳥居があったが、今は現存しない

 

『日本唯一の三柱鳥居』と言われる木嶋神社の鳥居の、『中国における景教(中国に伝来したネストリウス派キリスト教)の遺物ともされる謎の多い鳥居』という情報に、興味津々、課題が残りました。 今後の勉強にための、ウエブ情報からの抜粋・引用です。 

『世に三柱鳥居は多数あれどそのほとんどは最近になって建立されたものである。 古代にまで遡れるものといえば、わずかにひとつ。 京都府太秦(うずまさ)にある木嶋坐天照御魂(このしまにいますあまてるみたま)神社、通称、蚕(かいこ)の社の境内にある三柱鳥居だけである。 ちなみに、三井家は蚕の社の氏子で、三囲神社の三柱鳥居も、太秦の三柱鳥居をモデルに造られている。
この三柱鳥居は元礼(もとただす)の池という水の中に立っているのだが、三角形の中心に石積みがしてあり、そこに幣帛(へいはく)が1本建てられている。ここに祀られている神の名は天之御中主神。そう、元初の唯一神なのである。

神社の由来書等には記されていないが、三柱鳥居の中心に天之御中主神が祀られているならば、それを囲む三本柱が意味するのは造化三神にはかならない。大神教会の西野氏が見抜いたように、太秦の三柱鳥居もまた、造化三神のはたらきを象徴した鳥居だと見て間違いないだろう。
しかし、その三柱鳥居に関する案内板を見ると、なんとそこにはこう書かれている。
「一説には、景教(けいきょう)(キリスト教の一派ネストル教、1250年前に日本に伝わる)の遺物ではないかと云う」 またしてもキリスト教である。 景教とは東アジアに伝来したキリスト教のことで、主にネストリウス派と考えられている。 今日、カトリックやギリシア正教、そしてプロテスタントをはじめとするキリスト教の正統派は、アタナシウス派と呼ばれる流れに属しており、彼らからすればネストリウス派は異端。 451年のカルケドン公会議において、その教義が否認された一派である。 以後、アタナシウス派が地中海やヨーロッパ地方に広がっていくのに対して、ネストリウス派はシリアを拠点として、シルクロードを経由してアジア全域に伝播していくことになる。

中国に伝来したのは、記録によれば635年。これを記念して「大秦(たいしん)景教流行中国碑」が造られている。 日本は、このころ飛鳥時代。 盛んに中国と交流を深め、遣隋使や遣唐使が派遣されていく。 特に、唐の都である長安(ちょうあん)には景教の教会「大秦寺(たいしんじ)」があった。 空海など、日本からの留学生が景教の存在を知っていたのは、ほぼ間違いない。 彼らが大陸の進んだ宗教として景教の教典や教義を日本に持って帰った可能性は大きい。

しかも、興味深いことに、景教、すなわちキリスト教の発祥の地が「大秦」と表記されている。 大秦とは、古代ローマ帝国を指す言葉である。 ひるがえって、三柱鳥居が建っている土地の名前は「太秦」という。「大」と「太」、ともに同じょうな、意味を持つこともさることながら、古文献には太秦を大秦と記したものも少なくない。

さらに、太秦にある広隆寺は別名「太秦寺(うずまさでら)」と呼ばれる。 太秦が大秦と表記されるなら、太秦寺は大秦寺に等しい。 中国の大秦寺は景教の教会ゆえ、広隆寺もまた景教の教会だった可能性が高い。 この事実に初めて気づいたのは、江戸時代の儒学者「太田錦城(おおたきんじょう)」である。彼は随筆集『梧窓漫筆拾遺』の中で、太秦と大秦は同義と指摘。広隆寺は天教(キリスト教)の教会であると主張した。 広隆寺を建立するように指示したのは聖徳太子である。 彼は6~7世紀に活躍した人物で、遣隋使からの情報を一手に握る立場にいた。

籠神社の極秘伝によれば、神道の唯一神信仰が隠されたのは、記紀が編纂される8世紀である。 言い換えれば、8世紀以前の神道には唯一神信仰が存在した。その神道を仕切るのは天皇であり、その一族である。 聖徳太子は、まさにその中心人物だった。となれば、神道の原点に景教、すなわちキリスト教が関与していた可能性は十分あるのだ。』

聖徳太子とキリスト教・景教のこと、この度の表題『「木嶋坐天照御魂神社の三柱鳥居」が日本唯一といわれるが!』をきっかけに勉強していきたいと思いました。

(記事投稿日:2022/08/26、#566)

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『塔(継承と改革・息づく匠の精神) 3(奇数の層塔は耐震構造?)』 『著書「塔」は、哲学者・梅原猛氏の日本学黎明期のエッセイ集』

2022-08-25 09:21:40 | 寺院・神社・教会

『塔(継承と改革・息づく匠の精神) 3(奇数の層塔は耐震構造?)』

『著書「塔」は、哲学者・梅原猛氏の日本学黎明期のエッセイ集』 

梅原猛氏の『塔』への興味を、まだまだ追いかけます。 仏塔の源流は仏舎利を納めるインドのストゥーパ。 大陸や朝鮮半島には、古い木造仏塔が現存せず来歴がはっきりしない、大切なのは相輪であり、塔の木造部分は単なる土台だと表現される。 

鍵を握るのは、心柱の存在かもしれない。 大陸の塔は内部空間を、確保するため心柱はない。 一方日本の塔は、中軸を心柱が貫き、建築構造とは無関係に、独立して立ち、天辺の相輪を支える。

奈良県には世界最古の木造建築が三つあります。 奈良の薬師寺東塔(730年建立)と、それに先立つこと半世紀余、世界最古の木造建築である斑鳩の法隆寺五重塔(金堂と同時の660年頃建立)と法起寺三重塔(706年建立、三重塔では最古)です。 これらの三つの塔は、建立時代はほぼ同じです。

 

法隆寺五重塔

現存する木造建築の五重塔としては世界最古のものである法隆寺五重塔は、初重から五重までの屋根の逓減率(大きさの減少する率)が高く設計されていることが大きな特色です。 五重目の屋根の一辺は、初重の屋根のおよそ半分のサイズです。 塔身もまた、下層から上層へ行くにつれ、細くなっています。

ウエブ情報から引用

 

法起寺三重塔

聖徳太子の実在を裏付ける寺、聖徳太子が実在しなかったとすると、聖徳太子が山背大兄王に遺言として法起寺(岡本宮の寺への改編)の創建を託したことも事実では無かったことになり、法起寺が誰によって創建されたのかも謎になってしまいます。 聖徳太子のシンパは聖徳太子複数人説の方が信じられます。

ウエブ情報から引用

『塔』は、唯一実用性のない建築物だ。 時計台や鐘楼に利用するのは二次的なもので、あくまで非現実的、精神的目標の表れともいわれる。 梅原猛氏は、西洋の塔は『生』だという。 頂上に権力者がいる。 上へ、上へ無限に己を越えて進行する、生への意志の表現。

 

ドイツ ケルン大聖堂:世界最大のゴシック建築

ウエブ情報から引用

それに対し、日本の塔は「死」のしるし。 塔の始まりである仏塔には、下に釈迦の舎利が埋まっている。 この死の思想が西洋と違うところで、キリストは復活するから。 果て無く上を目指す限り塔は未完。 けれど日本では、完結しないものは美しくない。 終の美学がある。死の哲学が存在する。 

実は仏教が来る前から、日本にも塔はある。 それが古墳。 権力の象徴、かつ死の記念塔。 その割に古墳は高くない。 古墳制作者には明確な意図があるという。 それは『円部の高さと直径を等しく』することで、目指したのは三輪山の形。 権力者は神になることを目指したのか。

 

三輪山=御神体

ウエブ情報から引用

だから、高くするには直径が必要になる。 故に古墳は世界一大きいが、高くはならなかった。 そして円部が埋葬場所なら、方部は、死者との交渉の場ではないか。 時代と共に方部先端は広がる。 権力者が強大化すると、支配される人も増え参拝や祭祀を行う場所も広がっていったのではないか。

 

前方後円墳

ウエブ情報から引用

円と方のバランスは変化する。

 

大仙陵古墳は世界一大きなお墓

ウエブ情報から引用

『隠された十字架』を読んだときは、法隆寺が聖徳太子の怨霊封じ込めだ、というのが印象的だったけれど、ここでは聖徳太子伝説の作成に『景教』が影響していることを考察していてそれがとても興味深かった。

 

談山神社の十三重塔は唯一現存する十三重塔

ウエブ情報から引用

『「塔」は、唯一実用性のない建築物だ。』という方もおるようです。 『十三重塔』は当初、白鳳7年(678年)に定恵(藤原鎌足の長男で、遣隋使と共に唐に留学)が父の供養のために建立していました。 現存する重要文化財の美しい『十三重塔』は享録5年(1532年)に再建されたものです。 木造の十三重塔としては日本で唯一であり、そして世界最古。 

やはり、日本の塔は、神秘と夢があり、これからも楽しみが残りました。

(記事投稿日:2022/08/25、#565〙

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『平和戦略、歴史に学べ(91歳の宗教学者・山折哲雄氏に聞く』 『長引く疫病と戦争の惨禍に揺れる現代を、超高齢者の碩学はどう見ている』

2022-08-22 17:13:43 | 偉人

『平和戦略、歴史に学べ(91歳の宗教学者・山折哲雄氏に聞く』

『長引く疫病と戦争の惨禍に揺れる現代を、超高齢者の碩学はどう見ている』 

半世紀以上昔のこと、香港駐在時代、『経団連』の会長を4期12年務められた偉大な人物との『香港金田中』の昼食会の末席に加えて頂きました。 この席で某関連会社の駐在員が『共産主義と民主主義の将来は』というような主旨の質問をされました。 これに対して『人間は「業」を持っているので、どちらも修正されながら継続するだろう』と話されました。 若気の至りで『理想社会の実現』は難航すると理解、トラウマになり、それ以来、悲観論者になりました。

この方に、今、質問出来たら『権威主義(独裁政治・専制政治・神権政治)体制と民主主義の将来』をお尋ねしたいと思いました。 

先日(2022/06/11)日経新聞文化蘭に記事『平和戦略、歴史に学べ『平和戦略、歴史に学べ(宗教学者・山折哲雄に聞く』が載っていました。 見出しにはこうありました。 『長引く疫病と戦争の惨禍に揺れる現代を、超高齢者となった碩学はどう見つめているのだろうか。 生死の先をさまよった肺炎から復活した宗教学者の山田哲雄(91)を京都に訪ねた。』 この記事の抜粋・引用です。

新型コロナが流行し始めた2年前の3月末から4月にかけて、発熱・咳・呼吸困難で、コロナの疑いで、受診、コロナではなかったが、肺炎が重症化し入院、『最後は断食して自然死に希望』したが、『「それは医師としては認めることはできません」と。 それなら、せめて意識レベルを下げて痛みや苦痛を下げるセデーション(鎮静)をしてもらえないか、と言いましたがそれもダメでした。』

しかし、2-3日後頃から病状が改善、九死に一生を得てから二年余り、断っていたお酒も、一年前から再開した。 夜は9時ごろ寝て、2時ごろには目を覚ます。 『しばらくは妄想の時間です。』 

朝3時ごろから原稿を執筆。 朝食後の小一時間は、朝食の時間だ。昼食後は昼寝もする。 『妄想三昧、執筆三昧、昼寝三昧の生活です』と笑う。 『老いをありのままに受け入れる』心境は最新の著書『心の風景』(海風社)にも書かれている。

ウエブ情報から引用

今、気がかりなのは、コロナ禍と戦争をめぐる議論の行方である。 『このところの世界の動きを見てふと思いました。 人類の歴史とはまさに、こういうものではなかったか、とね』。 頭に浮かんだのは、古代の民族大移動だった。

『まずはアーリア人です』。 紀元前、現在のインドやイラン高原に侵入して征服した。 『次ゲルマン民族とノルマン人の大移動がある』。 紀元後、北欧方面から南下して、ヨーロッパ各地に侵入する。 『その間に彼らは略奪、殺戮をしている。 ローマ帝国は、略奪、殺戮をさらに大規模に繰り返した その後十字軍戦争もある。 こうして地中海文明が形成され、ルネッサンス、宗教改革、産業革命と続くわけです。』  

『この間に、西欧諸国がしたことは、アフリカ大陸の略奪と奴隷の売買、アメリカ大陸の征服だった。 今のウクライナでの戦争における略奪と殺戮には、先例があると私は思った。 ウクライナでの戦争は、人類がこの2000~3000年の間にしてきたことと無縁ではありません。

『一種の狩猟社会的な野蛮な人間の姿が、再び現れてきたな、と感じます。 憎悪と復讐の連鎖が止まらなくなってきた。 危機を感じとるにつけ、振り返るのは日本の歴史だ。』 

『この日本列島は、いつも大文明に脅かされてきた。 大文明の傘に守られた従属関係の中で、必死に生き延びてきた。 「我々の先祖は凄いぞ」と私は言いたいんです。』 

『日本は、平安時代の350年、江戸時代の250年は大きな戦争がなく、世界史的にも奇跡と呼べるような平和な時代が続いた。 第二次大戦での敗戦以外には、日本は長きにわたり外国の侵略を免れてきたんです。 流血が止まない今、なぜその歴史を見つめ、ノン・バイオレンスの日本モデルを世界に示そうとしないのか。 

二大先哲のお教えを、さらに勉強して、なかなか早く『悲観論からの脱出』をしたいと思っています。

(記事投稿日:2022/08/22、#563) 

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