知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

興味のあることは、何でも調べて文章にする。   写真は「光と影」と言われるが、この理解には、まだまだ、ほど遠い.

『北斎インパクトと国宝、浮世絵に国宝なし 2』 —北斎は身長が180㎝ほどもあったらしい、弟子も200人以上―

2025-01-30 17:14:07 | 絵画

『北斎インパクトと国宝、浮世絵に国宝なし 2』

 —北斎は身長が180㎝ほどもあったらしい、弟子も200人以上―

ウキペデイアから引用(晩年の宮本武蔵を彷彿)

 

(葛飾北斎の有名な作品『神奈川沖裏浪』は、芸術華やかなヨーロッパに、いろいろな影響を与えています。ただ、 冒頭から余談になりますが、自分の故郷の九十九里海岸で見ることができた大きなうねりが起こす『土用波』がこのように見えましたが少し様子が違っていました。 遠浅海岸のかなり砂浜に近いところで、これほどの沖合ではなかったようでした。 

 

北斎の多数の作品とその人生を紹介する『新・北斎展 HOKUSAI UPDATED』は、島根県に寄贈された『永田コレクション』の1,000点の内の多くを東京で見られる最後のチャンスでしたので、行ってきました。 北斎については『北斎インパクトと国宝、浮世絵に国宝なし 1』で纏めましたが、今回の『新・北斎展 HOKUSAI UPDATED』で、北斎を知れば知るほど『凄い絵師・画家』でした。

 

先ずは、画号を変える(改号)すること30回、そのウェブ情報です。 

彼は生涯に30回と頻繁に改号していた。使用したは「春朗」「群馬亭」「北斎」「宗理」「可侯」「辰斎」「辰政(ときまさ)」「百琳」「雷斗」「戴斗」「不染居」「錦袋舎」「為一」「画狂人」「九々蜃」「雷辰」「画狂老人」「天狗堂熱鉄」「鏡裏庵梅年」「月痴老人」「卍」「是和斎」「三浦屋八右衛門」「百姓八右衛門」「土持仁三郎」「魚仏」「穿山甲」などと、それらの組み合わせである。北斎研究家の安田剛蔵は、北斎の号を主・副に分け、「春朗」「宗理」「北斎」「戴斗」「為一」「卍」が主たる号であり、それ以外の「画狂人」などは副次的な号で、数は多いが改名には当たらないとしている[5]。仮にこの説が正しいとしても、主な号を5度も変えているのはやはり多いと言えるだろう。

 

なお、彼の改号の多さについては、弟子に号を譲ることを収入の一手段としていたため、とする説や、北斎の自己韜晦(とうかい)癖が影響しているとする説もある。ちなみに、「北斎」の号さえ弟子の鈴木某、あるいは橋本庄兵衛に譲っている。

 

今回の『新・北斎展 HOKUSAI UPDATED』の中では、葛飾北斎の絵師人生を作風の変遷と、主に用いた画号によって6期に分けていました。 展示替えありで、当日見られたのは、展示予定の約6割でした。

Chapter 1 
春朗期(2035歳頃) 勝川派の絵師として活動した、

                   展示替えありで  展示予定作品66点中の29点 

 

Chapter 2 宗理期( 3645歳頃) 勝川派を離れて肉筆画や狂歌絵本の挿絵と

                    いっ た新たな分野に意欲的に取り組んだ、展示替えありで展示予定

      作品92点中の43

 

Chapter 3 葛飾北斎期(4650歳頃) 読本の挿絵に傾注した、

                  展示予定作品83点中の50

 

Chapter 4 戴斗期(5160歳頃) 多彩な絵手本を、

                 展示予定作品57点中の29

 

Chapter 5 為一期(6174歳頃) 錦絵の揃物を多く制作した、

                 展示予定作品127点中の61

 

Chapter 6 画狂老人卍期(7590歳頃) 自由な発想と表現による肉筆画に専念

     した、

                  展示予定作品54点中の29

     合計、展示予定作品479点中の271

 

改めて北斎の作品の多さには驚きます。 この北斎は身長が180㎝ほどもあったらしい、弟子も200人以上、生涯の作品数は3万点余ともいわれ、毎日1枚ずつ画いても82年かかる計算になります。  今までは、北斎は『小柄・細身の絵師・画家』をイメージしていましたが、『画家でもあった武蔵』を思い出させる、『偉丈夫・怪物』でした。

転居すること93回、これもウェブ情報です。

北斎は、93回に上るとされる転居の多さもまた有名である。一日に3回引っ越したこともあるという。75歳の時には既に56回に達していたらしい。当時の人名録『広益諸家人名録』の付録では天保713年版ともに「居所不定」と記されており、これは住所を欠いた一名を除くと473名中北斎ただ一人である。

 

最終的に、93回目の引っ越しで以前暮らしていた借家に入居した際、部屋が引き払ったときとなんら変わらず散らかったままであったため、これを境に転居生活はやめにしたとのことである。

 

確かに、江戸の文化・芸術盛んで、江戸時代から続いている習慣や娯楽が今でもあります。 『潮干狩り』、『土用の鰻』などです。 大湿地帯にも関わらず、急増され、いっきに当時の人口百万都市ロンドンに次ぐ世界で二番目の大都市に急拡大しました。 やはり驚かされるのは、江戸には上水道が整備されていました。 赤坂には、そのため『溜池』と呼ばれる外濠兼用の上水源がありました。 玉川上水系と神田上水系を合計すると総延長は152㎞にも達していた。 当時の、徳川家康とその幕閣、やはり凄かったのです。 現代の保身のために『ハコモノ』など造ってしまう、昨今の『政治屋』とは違います。

 

ながい余談でした。 『新・北斎展 HOKUSAI UPDATED』関連は、ほんとに奥が深いので、この後は、次回の『北斎インパクトと国宝、浮世絵に国宝なし 3』に先送りです。       

 

北斎の広範囲の活躍は、

浮世絵(役者絵・美人画・錦絵など浮世絵木版画の最終形態)、

黄表紙(草双紙・絵入り娯楽本)、

洒落本・狂歌本・読み本の挿絵、摺り物の下絵、

北斎漫画(絵手本として発行したスケッチ集)

に及びます。 心技体充実北斎だからできた、江戸時代の絵師・画家はだれもがこのようではなかったと思っています。

 

『富岳百景』初編には自ら『九十歳にして猶其奥意を極め一百歳にして正に神妙ならん歟百有十歳にしては一点一格にして生るがごとくならん』云々と記している。

北斎のこと、若冲と合わせて、今後も調べていきます。

 (記事投稿日:2020/03/23、最終更新日:2025/01/30 #094)

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『永久凍土の融解問題は待ったなし、どう抑え込むかが喫緊課題! 1』 『この問題は、①温暖化加速、②未知のウイルス拡散、③地盤沈下などの起因!』

2025-01-20 11:28:06 | 地球・火山・地震・津波

『永久凍土の融解問題は待ったなし、どう抑え込むかが喫緊課題!』

『この問題は、①温暖化加速、②未知のウイルス拡散、③地盤沈下などの起因!』

『この問題は、まことに厄介、温暖化が起因、さらに温暖化を加速!』

 

『温暖化問題』は2021年の予想でも厳しい状況になっています。 さらに厳しいのは最近、その数値が公表されていない『永久凍土の融解とCO2排出とメタンガス排出』問題。 2009年に発表された『地球温暖化によって永久凍土の融解が進むと、年間10.0億トン単位の温暖化ガスが大気中に放出』の情報です。

 

パリ協定では『業革命前より気温の上昇幅を1.5℃以内に抑える』ことを目標に掲げていますが、今回(2021/08/31)の報告書では2021-2040年に1.5℃に達する可能性が非常に高いと指摘しています。 因みに1.5℃という数字は日々の天気予報の前日気温差などを参考にすると「あまり影響がない」と感じるかもしれませんが、1.5℃まで上昇すると例えば50年に1度起こるような暑い日が今より2倍発生すると予想されており、2℃上昇すると3倍になると予想しています。 また、今よりも地球の水循環が活発化して、地域によっては今よりも雨の頻度が高くなり、非常に強い雨が降るとも予想されています。

 

図1:世界気温変化と最近の温暖化要因

この図で最大の心配は『人間活動と自然起因』は急上昇ですが、『自然起因』は横ばいになっていますが、自然起因の大きなもの『永久凍土の融解』急拡大と『森林火災の』の頻発化です。 どちらも『温暖化』が原因であることが大きな問題です。

ウエブ情報から引用

 

永久凍土Permafrostpermanently frozen ground)とは、2年間以上にわたり継続して温度0℃以下をとる地盤。 永久凍土は北半球の大陸の約20%に広がり、永久凍土の厚さは数百m(アラスカの Prudhoe Bay では650m)にも及ぶ。

 

永久凍土の上部には夏の間融けている活動層があり、酸性の土壌となり、タイガや草原となっている。 活動層の厚さは年や場所によって変化するが、典型的なものでは0.6 - 4.0mの厚さがある。 日本では、富士山頂上付近および大雪山頂上付近、北アルプスの立山などに永久凍土が確認される。

 

随分昔(2009年)の情報ですが『地球温暖化によって永久凍土の融解が進むと、年間10.0億トン単位の温暖化ガスが大気中に放出』されるようになり、気候変動の脅威をいっそう加速するとの米フロリダ大の研究結果が、2009/05/27発表された。 それ以降、ネット上にはこの関連情報はありません。

 

EUの気象情報機関「コペルニクス気候変動サービス」は2021/12/06、今年はシベリアや米国、トルコなどで発生した森林火災によるCO2排出量が過去最大となったと報告した。 気候変動が異常な猛火につながったという。 報告によると、2021年森林火災で発生した世界のCO2排出量は17.6億トン。 これは、ドイツの年間排出量の2倍以上となる。

 

『永久凍土の融解』は最近のデータが入手できませんが、浅学菲才の傘寿プラスが、温暖化の中で『永久凍土の融解加速し、CO2排出急拡大傾向』かと、心配しています。 『森林火災』は、異常気象(高温・乾燥)で増加傾向とは思いますが、急拡大まではいかないだろうと祈っています。

 

『永久凍土の融解』と『森林火災』の自然起因によるCO2排出問題も、人間活動に起因するCO2排出問題のどちらも待ったなしの喫緊課題です

 

世界の二酸化炭素(CO2)排出量(2020年 314億トンと微減)

出典)EDMC/エネルギー・経済統計要覧2023年版

 

世界の二酸化炭素排出量推移(ピークは越えたが横ばい、課題多し)

2020年  314億トン

2019年  330億トン

2018年  335億トン

2017年  328億トン

2016年  323億トン

2015年  323億トン

2014年  370億トン

2013年  322億トン

2012年  345億トン

2011年  313億トン

 

人類は、なぜか無秩序・やりたい放題で、地球温暖化(むしろ気候激甚化)を進め『奇跡の星・水の惑星・緑の地球』を、『難しい環境=自然火災を起こしやすい星』にしつつあります。 この現代を『人新生』と呼んでいますが、すでに、気候激甚化で地球の気温が、現在の大半の生物には住みにくいレベルに上昇してきています。 一部の先生方からは『火新世』なども聞こえてきます。

 

 

とにかく、間に合わせなければいけません、『温暖化・海水温上昇! 地球を冷やす術(すべ)はないが? 身近なこと「節電」「節水」「節食」「プラチック製品削減とプラチック改良」「木を植え、手入れ」をやろう』で、数十億人の一般の人々は頑張りますが、カバーできるのは小さな部分・ポーションです。 

 

偉い先生方やリーダーの、方々には、下記のCO2の排出の三大原因(日本の場合、全体の82%を占めるので根が深い)で頑張って頂きたいものです。

  • エネルギー転換部門(発電所などの)
  • 産業部門(工場など)
  • 運輸部門(自動車など)

(記事投稿日:2023/05/20、#658)

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『温暖化・海水温上昇!が起こす異常気象・気象激甚化、 水の惑星・緑の星、地球を冷やす術(妙策・奇策)はない?

2025-01-20 09:36:31 | 寺院・仏閣・神社・お社
『温暖化・海水温上昇!が起こす異常気象・気象激甚化、 水の惑星・
    緑の星、地球を冷やす術(妙策・奇策)はない?』

 ウエブ情報から引用
ペルー・チリ沖が心配でしたが、アフリカ西海岸と『日本近海』も心配です。

『80億人で地道にやろう!身近なこと「節電」「節水」「節肉食」「プラチック使用減」「木を植え、手入れを」「移動はバス・電車優先」!』

本日の日経新聞の一面に記事です。
短時間に大量に降る「集中豪雪」が増えている。2010年代以降に積雪量が過去最多を更新した地点は、1990~2000年代の4倍近くになった。地球温暖化を背景に雪雲が発達しやすくなったことが一因だ。災害級の被害も相次ぎ、インフラなどの経済被害に加え、除雪の対策費も拡大している。とありました

  • 原因は、地球温暖化を背景に雪雲が発生しやすくなったことが一因だ。 
  • 青森市や弘前市の積雪は平年の3倍に達した。 
  • 地球温暖化は集中豪雨の一因とされるが、今や局所的な豪雪ももたらしている。
  • 10年に一度といわれる大雪が、北陸では4~5倍起こりやすくなった。
  • 温暖化で全国の雪の総量は将来の減量が予想されるが、日本海側の平野部で雨や曇りが多くなるため、結果として雪の降り方が二極化する。
  • 岩手県の『いわて雪まつり』は、暖冬による雪不足で、20年を最後に廃止された。
  • 欧州フランスでも、標高の低いスキーリゾートでは、雪不足で営業ができなくなっている。
災害に強いまちづくりや地域の観光戦略を練る上で、雪への対策がこれまで以上に求められている。

このような情報と、必要とされる対策報道には、いつでも、出来れば、一般情報としての枕詞、『温暖化・海水温上昇! 地球を冷やす術(すべ)はない?(温暖化の主要因が海水温の上昇)』、『80億人でやろう!身近なこと「節電」「節水」「節肉食」「プラチック使用減」「木を植え、手入れを」「移動はバス・電車優先で」!』と。

表題の抜本策を考えるとこうなります。 『頼む!スパコン「富岳」、激甚気象の原因と対策を、「富岳」を超える「量子コンピューター」には、地球の今の課題・二酸化炭素削減対策を

地球は、いかにもデリケートな惑星であり『奇跡の星』と言われています。 先ず、『地球の半径6,371㎞』に対して、『大気層の厚さ(上端の定義によるが)8-15㎞で、0.1%-0.2%』。 また地球の公転最大時速は108,000㎞、自転の地表速度は1,700㎞ですが、地球の大気は吹き飛ばされませんし、真空の宇宙に大気が『バキューム』されない。 火星の大気は太陽風と放射線に吹き飛ばされたのに・・・。 地球はサイズそのものが奇跡でもあります。

地球は『水の惑星』です。 地球上の表面の三分の二は水に覆われています。 さらにその水の97%までが海水です。 海も最高深度は10,920ⅿも、ありますが、『平均深度は4,750ⅿで地球半径に対して0.07%』です。 地球の地殻の厚さは、『海底で約10㎞(地球半径に対して0.16%)~大陸で約30㎞(同0.47%)』、
この微妙なサイズ(地球半径と地殻の厚さの比率)と大気と水と。 まさに『奇跡の星』『水の惑星』です。 

この海が、今、浄化の困難な、人間がつくった汚染(油と化学物質)、ペットボトルやビニール袋等に悲鳴を上げています。 人間は優秀ですので『私・俺・僕は関係ない』と言いながら、自分たち各々は汚染の原因はつくっていないと信じているようです。

激甚気象の原因の一つである、上昇した海水温(表層と海中)を下げる方法はあるのか? 現在、考えられるのは次の方法ぐらいですが、コストを考えるとかなり難しいようです。

❶巨大反射シールドを置き、太陽光線を宇宙に反射
 費用対コスト面でどうか・実現できるか、用地が課題?
❷大気中に素粒子を散布して遮光
 費用対コスト面でどうか、素粒子の副作用が心配?
❸海水を大気中に散布
    費用対コスト面でどうか、逆に大気温を上昇させる?
❹大気中からCO2を回収・貯留する
     直接的・実際的にですが、費用対コスト面でどうか、

海水温の上昇は、実にゆっくりと進みますが、最近の日本に接近する台風が、昔とは違って、かなり日本本土に、接近してから成長・発達するケースが増えています。 これな日本近海の海水温が上昇して来ているからです。 この日本近海の海水温の上昇を『どうやって冷やします』か。 『私・俺・僕、関係ねー』ではすみません。

人類は、霊長類の時代を含め、数百万年の歴史ですが、現在は、繁栄の頂点にいます。 が、決して地球には優しくはありません。 反面、この人類の『叡知』に対して、恐竜は、隕石衝突の大絶滅なければ、1億年以上も繁栄し続けたであろう『DNA』を持っていましたが、地球上から、大絶滅で消えました。 それでも恐竜の方がずっと地球には優しかった。 この正反対の両者を育んだ地球は、やはり、不思議な『奇跡の星』です。
(記事投稿日:2025/01/20、#979) 
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『野球界の怪物探しは続く「昭和の怪物江川卓投手」1.2』 『周囲が、江川の活躍した歴史(高校・大学)を知れば知るほど「えがわる・江川る」などとは、とても言えない!』

2025-01-19 09:10:21 | 寺院・仏閣・神社・お社
『野球界の怪物探しは続く「昭和の怪物江川卓投手」1.2』

『周囲が、江川の活躍した歴史(高校・大学)を知れば知るほど「えがわる・江川る」などとは、とても言えない!』

『打撃も凄く、元祖二刀流は、作新学院、法政大学、巨人時代の「昭和の怪物江川投手」だった!そのエピソード』

元祖二刀流と言える打者としての凄さ(1)高校野球時代
夏が来れば思い出す、江川卓の群像劇。
高校一年の雄姿でしょうか、この映像がウエブに残っていることが怪物です。
 
ウエブ情報から引用

「1年坊主、どこまで飛ばすんだ」、「竹バット」で!
江川とともに入部した作新学院野球部の新入部員は、なんと140人。 構成要員では140分の1も、存在感なら紛うことなく、江川が140人中、断トツだった。 上級生の度肝を抜いた。 まずは、その打撃力だった。1年部員は入部当初体力づくりが優先され、通常許可されないフリー打撃に、江川が指名された。
練習用に使われた「竹バット」(竹板を張り合わせた合成バット。 芯に当てても飛距離が出ず、手がしびれる)で、なんと、グラウンドを囲む地元特産「大谷石(おおやいし)」のフェンスを、軽々と越える当たりを連発した。
野球部寮で江川と同部屋、3年三塁手だった大橋弘幸は「この1年坊主、どこまで飛ばすんだってくらい、飛ばしていた」と目をひんむいた。

元祖二刀流と言える打者としての凄さ(2)大学野球時代
1976年から1977年の法大4連覇(4回とも対戦校すべてから勝ち点を奪う完全優勝)にエース、ときには5番打者として貢献した。 なかでも1976年秋季リーグでは、投手は野手と比較して打席に立つ回数が少ないにも関わらず規定打席に到達、38打数13安打で打率.342(リーグ2位)、本塁打2本(リーグ2位)、打点10(リーグ1位)の好成績を挙げている。 このときはもちろん法大の規定打席数以上の選手の中では3部門すべてにおいてトップであった。

元祖二刀流と言える打者としての凄さ(3)プロ野球時代
やはり、凄い投手は二刀流の素質があるのでしょうか。
順位
本塁打数
選手
1
38
金田正一(1.9本/年)
2
35
別所毅彦
3
33
米田哲也
4
25
平松政次
5
21
堀内恒夫
6
19
スタルヒン
7
17
稲尾和久
8
15
星野仙一
 成田文男
9
13
金田留広
鈴木啓示
梶本隆夫
江田孝
池永正明(2.2/年)
 江川卓(1.4/年)
ちなみに1位の金田正一投手はプロ入りしてから20年ですので、これに対し、池永正明投手は6年ですし、江川卓投手も9年と短かったです。

『最後に江川の凄さを再掲載、高校では、普通に野球やってあの成績、大学では、言い難いけど「酷使」された!』

江川卓投手の凄さ(1)高校時代の再掲載
作新学院時代は公式戦で、
ノーヒットノーラン9回、完全試合2回、
36イニング連続無安打無失点(2年時の夏)、
県予選合計被安打2での夏の甲子園出場、
選抜高等学校野球大会で、一大会通算最多奪三振60個および8者連続奪三振、
春夏通じた甲子園における奪三振率14.0。
前年の夏、江川2年時。夏の甲子園を目指す栃木大会では、2回戦から登場して軽々ノーヒットノーラン。中1日置いた3回戦では、一人のランナーも許さない完全試合。そこから中2日の準々決勝もノーヒットノーラン……。
江川は3年の夏も、圧倒的な成績で栃木大会を制して甲子園出場を決めた。 2回戦から登場して、この試合をノーヒットノーラン、21奪三振。 3回戦もノーヒットノーラン、15奪三振。 準々決勝は、1安打完封、15奪三振。 準決勝、1安打完封、10奪三振。 決勝戦は大会3度目のノーヒットノーランで14奪三振。
結局、5試合、44イニングを投げて、3試合がノーヒットノーラン、被安打わずかに2、失点0、奪三振75、奪三振率15.3という現実離れした数字で甲子園に駒を進めたのである。

江川卓投手の凄さ(2)大学時代の再掲載
法政大学時代は東京六大学野球リーグ時代の17完封など、2020年まで破られていなかった数々の記録を作り、「怪物」と呼ばれた。
1976年秋季リーグでは、投手は野手と比較して打席に立つ回数が少ないにも関わらず規定打席に到達、38打数13安打で打率.342(リーグ2位)、本塁打2本(リーグ2位)、打点10(リーグ1位)の好成績を挙げている。 このときはもちろん法大の規定打席数以上の選手の中では3部門すべてにおいてトップであった。 首位打者が.409なので、あと3本ヒットを打っていれば首位打者だった。まさに"二刀流"の大活躍。
身びいきなしで「元祖二刀流」です。 しかし大学時代の結果的には『酷使』が怪物の怪物らしさを、大分減らしたと思いました(高校時代の酷使も含めて)。

大学2年秋に悲鳴を上げた江川卓の右肩は「以来、100%元に戻ることはなかった」。

ここでもう一度、江川卓の凄さです。 「元祖怪物」がプロより球が速く見えた」驚異の高校時代1973年のセンバツで作新学院高(栃木)の3年生エース江川卓がマークした60奪三振は、48年たった今も春の甲子園一大会あたりの最多奪三振記録である。
    1回戦   北陽(大阪) 19奪三振 2-0
    2回戦  小倉南(福岡)10奪三振 8-0
    準々決勝 今治西(愛媛)20奪三振 3-0
    準決勝  広島商(広島)11奪三振 1-2
最後に、最多奪三振記録を掲げて、凄い高校生がいたものだと、思うと同時に、スポーツ界に『タラレバ』いけませんが、金田正一投手が、最初からから巨人に入団していれば500勝以上であったろうと言われています。 それでも江川投手の凄さはすでに『伝説』になっています。
(記事投稿日:2025/01/19、#978)
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『大ピラミッドのこと 2.2(ピラミッド群はナイル川の堤防としての構築?)』ー大ピラミッドの底面は海抜59.6m、ナイル川平均水位より約47.0m高いー 

2025-01-15 16:41:03 | 歴史・世界・古代

 『大ピラミッドのこと 2.2(ピラミッド群はナイル川の

    堤防 としての構築か、の説に疑問?)』 

大ピラミッドの底面は海抜59.6m、ナイル川平均水位

   より約47.0m高い』

 『大ピラミッドのこと 2(謎が深まり・夢が残った 2)』に書きましたピラミッドの謎の中の謎、「なぜ建設されたか・Why」について、竹村公太郎氏の「ナイル川西岸だけのピラミッド」はギザのピラミッド3基だけではなく80基、未発見を含めれば約100基。 東岸にはゼロ。 2008年に最新の1基が発見された。 これもナイル川の西岸にあった。この「西岸」への集中は、宗教的理由、西は死、東は生に、あるとも言われる。

 

ベストセラー3部作「日本史の謎は『地形』で解ける」の著者、竹村氏の新説の検証を考えた時にすぐに思ったことは;

①  ナイル川水系の狭い帯状の緑と、

②  その東西両側の高地(東)・台地(西)

③  大きな・綺麗な扇状地(デルタ)と、

④  ナイル川支流が注ぐ海抜マイナス45mのカルーン湖と周辺緑地(写真中

   中央の横向きハート形)でした。

このような地形から、何故、「このたびの新説」になったのか検証です。

ピラミッド群のナイル川西岸の配列にこだわった視覚デザイン学の高津道昭氏は、「ピラミッドはテトラポット」であったと推理し、「ピラミッドはなぜつくられたか」(新潮選書)を22年も前の19926に著した。

この二人の説は、ナイル川西岸の砂は、ナイル川によって削られ、ナイル川は西へ西へとリビア砂漠に逃げていき、エジプトの穀倉であるナイル川デルタの維持・拡大ができなくなるので、高津氏の「ピラミッドのテトラポットによる堤防構築説」と、竹村氏の新説「ピラミッドによる、からみ工法での堤防構築説」となった。

ナイル川を挟んで、ギザ高台の対面、東側のカイロ市の海抜は1560m。対して、西側のギザのピラミッド群は、海抜4963mのギザ台地に立地。

大ピラミッドの底面は海抜59.6m、底面はナイル川平均水位より約47.0m高い。

ナイル川の、平均水位は12.2m、最高水位は20.6m、平常時の川幅約1km、増水時は川幅約10km

更に、Wikipediaによれば、ナイル川の東はアフリカ大地溝帯の縁の山脈に、よって紅海と遮られており、南東にはガララアルババリーヤ山脈などが際立つ。

ナイル川の「西側」も台地であり、ナイル川が流路を変える可能性は低い

カイロ市で水の恵みを受けているのは南北に連なる1520kmの細長い地域(ナイル川水系)だけで、カイロはナイル川の西側の台地と東側の高地が終わる扇状地の扇頂に相当する位置に広がる。 

カイロ自体の海抜は1560mだが、南東の約2km先には、海抜150mのモタッカムモ丘陵がある。

現在のナイル川の本流は、以前は帯状の平野の西側にあったが、それが東側の高地寄りあった支流に移った。 帯状の平野の西側には、以前の本流が支流として残っている。 ナイル川は帯状の平野の中で移動を繰り返してきた。

以上からナイル川の流れはギザ台地のピラミッド群に届かず「なぜ建設されたか・Why」に対する説高津氏の「ピラミッドのテトラポットによる堤防構築説」と、竹村氏の「ピラミッドのからみ工法での堤防構築説」では説明できない。

ギザ台地のピラミッド群を除くその他の西岸のピラミッド群は、どんな立地条件(高度)であるか、これで「なぜ建設されたか・Why」の新説の検証が可能になる。  

対象は、ナイル川の支流が流れ込んでいる、ナイル川西方の海抜マイナス45mのカルーン湖付近まで。

このカルーン湖には、ナイル川に並行するナイル川の支流が流れ込んでおり、このナイル川沿い西側台地の切れ目が海抜2627mと低い。

ナイル川西進の心配はこの切れ目だけ 砂漠の中の海抜マイナス45mのカルーン湖がなぜ塩水湖にならないのか興味は尽きない。

関連情報として「縄文海進(海面上昇)」があるが、新説検証への影響は小さいと判断した。

ピラミッドが建設された時代、その当時の地球の気温は現在より高かった。そのため、地球の海水は温められて、体積を膨張させていた。 陸上の氷河も溶けて海に流れ出していた。 その結果、地球上の海面は現在より約5m高い程度であった。この現象は日本では「縄文海進」と呼ばれている。

ギザ台地のピラミッド群を除くその他の西岸のピラミッド群は、どんな立地条件(高度)であったか。 Google Maps 標高表示(V3 APi版)で調査結果

     Pyramid of Djoser   海抜59m

             Red Pyramid         海抜65m

     Bent Pyramid          海抜57m

             Pyramid of Saqarah  海抜56m

その他、残りの70基以上のピラミッドの立地条件調査は,、今後の課題として以上の調査結果からピラミッドは「なぜ建設されたか・Why」への自分の結論は「新説」とは異なり「宗教儀式神殿説」で、“変わらず”、でした

  (記事投稿日:2014/10/13、最終更新日2025/01/15、#074)

 

 

 

 

 

 

 

 

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