『少数派・満洲民族の清王朝の凄さ、乾隆帝の偉大さ、漢字で統治?』
『歴史上の最大版図は、大英帝国(陸地占有率23%)とモンゴル帝国(同22%)』
清王朝を調べていて分かったのですが、漢民族(チャイニーズ・Han Chinese)は少数民族の蒙古民族(モンゴリアン)や満洲民族(マンチュリアン)に統治されたことがあります。
少数民族が巨大な版図を持った事例が過去の歴史には多々ありますが、中国の例が目立ちます。 大英国帝国とモンゴル帝国の例は、別の観点からから次に調べてみたいと思いました。 地球上にごく少ない『表意文字・漢字文化圏』の中国の最近の大発展を理解するため、先ずは少数派・満洲民族の清王朝に興味津々でした。 卑近な例ですが、シンガポールに、住み始めた時にある中国人がこう言っておりました。 『中国人はおとなしくて、従順ですので統治されやすい。 だから、マレーシアからシンガポールを分離・独立させた初代首相リー・クアンユー(李光耀)は偉大!』と。
歴代帝国の最大領土
第1位 大英帝国 最盛期:1922年 陸地の占有率:22.63%
第2位 モンゴル帝国 最盛期:1279年 陸地の占有率:22.29%
第3位 スペイン帝国 最盛期:1780年代後半 陸地の占有率:17.04%
第4位 ロシア帝国 最盛期:1866年 陸地の占有率:15.31%
第5位 ウマイヤ朝 最盛期:660年代 陸地の占有率:10.07%
番外編 大清帝国 最盛期:1759年 陸地の占有率:9.87%
巨大版図を持った民族の例
満洲民族 10,700,000人 全人類の 0.15%(大清帝国)
蒙古民族 11,000,000人 全人類の 0.15%(モンゴル帝国)
イングランド人 90,000,000人 全人類の 1.31%(大英帝国)
漢民族 1,453,500,000人 全人類の 20.00%
清、または大清帝国は1616年に満州に建国され、漢民族の王朝を倒し、1644年から1912年まで中国本土とモンゴル高原を支配した最後の統一王朝。 首都は瀋陽、後に北京に置かれた。 満州人のアイシンギョロ氏(愛新覚羅氏)が建てた征服王朝で大清国といい、中国語では大清と号した。
乾隆帝・愛新覚羅弘暦 大清帝国の第6代皇帝
ウキペデイア情報から引用
乾隆帝は、清の第六代皇帝。 清王朝の最盛期を創出する。 『諱』は弘暦(こうれき)、廟号は高宗。 在世時の元号の乾隆を取って乾隆帝と呼ばれる。
『諱(いみな)』は、人名の一要素に対する中国などの東アジアの漢字圏における呼称である。 忌み名(いみな)とも。
ウエブ情報から引用
大清帝国の言語政策のシンボル
ウエブ情報から引用
避暑山荘(中国河北省承徳市にある、清朝時代の離宮)にある麗正門。 門上に掛かる額には清で使われた五つの文字が書かれ、清の皇帝支配下の五つの民族を表す。 左からモンゴル文字、アラビア文字表記のウイグル語、漢文、チベット語、満洲文字。 これらを合わせて五体という。
清王朝の凄さ、大清帝国の第六代皇帝乾隆帝の偉大さもありますが、第四代皇帝康熙帝の命により、学者30人が5年の歳月をかけて歴代の辞書を元に集大成したもので、1716年に完成しました。 漢代の『説文解字』以降の歴代の字書の集大成として編纂された。
最後に、余談で恐縮ですが、表意文字が残っている国は大きな人口の国では、中国と日本ぐらいです。 最近の日本語(表意文字漢字・ひらがな・カタカナ・ローマ字)の複雑・煩雑な進化には驚いています。 中国の大清帝国の五体文字、更にメインの漢字は、繁体文字と簡体文字(表音文字に限りなく近ずく)になっていますが、そんな中での、中国の最近の大発展を理解するためにも、先ずは少数民族に統治された『大清帝国』と『モンゴル帝国』調べてみたいと思っています。
(記事投稿日2022/04/11、#516)