『ヨルダン・ペトラ(自然の要塞で、人や物の行き交う要衝の地)』
『「人や商品の交流」で栄えた、サバテア王国の首都ペトラ(岩の意)』
『隊商都市と認識して理解できた、キャラバン交易路のターミナル機能で発展』
ペトラ周辺は広大な岩石砂漠に囲まれてり、その間に『シーク』と呼ばれる渓谷が交通路になっている。(中央がエド・ディル)
ウエブ情報から引用
エド・ディル
ウエブ情報から引用
シークの中央の『アル・カズネ(エル・ディルより少し小さい)』
ウエブ情報から引用
シークの間から見える『アル・カズネ』
ウエブ情報から引用
ペトラのある地は、自然の要塞であった。 また西にガザ、北にダマスカス、紅海にも近く、中東での人や物の行き交う要衝の地でもあった。 ナバテア人の首都、砂漠を移動していたキャラバン隊の中継基地であったと伝えられてきた。
ナバテア人;歴史に登場するのは紀元前4世紀のこと。 紀元前6世紀、後にナバテア王国が栄えることになる土地には、エドム人が住んでいたと言われている。 エドム人はアラブ系の民族で、山脈から銅や鉄を採掘し、また、交易路の十字路を支配していたためそこを通る隊商から利益を得ていた。 そのため、彼らの領土の西にすむユダヤ人とは、交易路の支配権を巡って長い間敵対関係にあった。 ソロモン王の時代、エドム人はナバテア人に敗北し、交易路はナバテア人の支配下に入る。
立地条件の良さのため、紀元前1世紀ごろから、古代ナバテア人の有力都市として栄えた。 ペトラの特徴として、スパイス交易の拠点機能と治水システムがあげられる。
完全な岩礁地帯であるので、農業には不向きであった。 また雨が降ると、鉄砲水となって渓谷内を通過していった。 ナバテア人は、ダムを作って鉄砲水を防ぎ、さらに水道管を通して給水設備を作り上げたことが分かっている。
当時のユーラシアのアジアとヨーロッパを結ぶ交易路(サプライチェーン)のターミナルでした。 岩石砂漠の不思議な遺跡と単純に理解していましたが、最近の中国の『シルクロード経済ベルト(一帯)』、『21世紀の海上シルクロード(一路)』の先駆けとして、やはり凄いと思います。
(記事投稿日:2023/02/25、#631)