『日本の城郭 6(久留里城 尾根がY字に交叉、そこに天守・本丸が)』
『8ヶ所の堀切は「一般にいわれる空堀」で、尾根のキレットを掘ったもの』
」に
久留里城は山城ですが、独立峰ではなく、急峻な、痩せ尾根がY字に交叉するところに、天守・本丸(海抜約155m)、二の丸(海抜約130m)がある。
尾根の麓に、三の丸、この三の丸をお互いに近接した大手門と搦め手門が囲む。両門の外に、侍屋敷がある全盛期に、3万石の禄高の大名の本拠。 これらの遺跡は、今は、ほとんど残ってはいない。
両側が切り立った尾根に、堀切8ヵ所以上あり、1ヵ所は今回踏査、駐車場の奥から資料館に上る山道の途中にある。 この堀切は、『一般に言われる空堀』で、 尾根のキレットをさらに掘り下げたもの。 これが、攻め難く、守り易くできており感服。 刀槍での侍の戦闘の凄さを実感。
本丸・天主の約20m直下に、男井戸・女井戸がある。籠城に役立ったとの看板あり。 湧水量がさほどあるとは思えず、縄張り・築城時点で、湧水量の確認命ぜられた、家臣は大変だったろう。
麓の内堀も、外堀も自然の川を利用、河岸段丘でかなり段差(約5-10m)あり。 内堀の近くに、平成の100名水の一つあり、久留里地域は水に恵まれている。
北条軍、二万余と戦って、里見軍は守り切った戦いは、大手門と搦め手門の目の前で戦われた。 久留里城は『戦う山城』、当然、籠城戦に強い城でした。 北条軍とは二勝一敗。 二回戦目は敗れ、占領されたが、のちに奪還。
今後の課題:戦闘指揮所と戦闘推移の調査
今の千葉県は、当時、安房国、上総国、下総国で、久留里城のあった上総国は複雑で天領も入り組んだ統治下にあった。
今後の課題:近くにある、本多家10万石の大多喜城と、里見家9万2千石の居城、館山城を要再調査。 馬琴の創作『里見八犬伝』の舞台でもある館山城は、江戸の湾口の要衝であり、且つ、9万2千石という領地に比して経済力・戦力が優っていたのは、やはり海上交通を抑えていた経済権益が想像を越えて大きかったのでしょう。
しかしそれは家康の謀略によって、里見家の伯耆へ配流。 房総に名を馳せた戦国大名・里見氏は事実上、滅亡する。
(170402纏め、190207改 #067)