『アフリカ大陸と欧州大陸の衝突が造ったグアダルキビル川・渓谷・断層を挟み何回も民族の衝突が!』
二大宗教の十字路・スペインを巡るキリスト教徒勢力vsイスラム教徒勢力
年代 |
多数派の宗教 |
紀元前205年~ |
キリスト教(ローマ帝国の一部) |
711年~ |
イスラム教(ウマイヤ朝カリフ王国の一部) |
13世紀末 |
北部はキリスト教、南部はイスラム教 |
1492年~ |
キリスト教 |
イベリア半島地勢
ウキペデイアより引用
グアダルキビル川流域平野とグアダルキビル川・渓谷・断層
ウキペデイアより引用
ペティカ山系シェラ・ネバダ山脈地帯は地殻構造としては、欧州大陸の地殻でも、アフリカ大陸の地殻でもなく、別物の『地中海の海底』の地殻が隆起したものです。
その昔、北から侵攻してきたケルト人から、この『グアダルキビル川・渓谷・断層』を最後の戦線として、『イベリア人・スペイン人』は守り抜き、ケルト人と住み分けていた時代や、アフリカから渡ってきたイスラム教勢力とキリスト教勢力『イベリア人・スペイン人』が争った時代があったが、その時の境界が『グアダルキビル川・渓谷・断層』だった。 その後拡大するイスラム教勢力は、❷北に拡大するときも、❷アフリカに撤退するときも、この『グアダルキビル川・渓谷・断層』を境に、欧州大陸の南側の一帯『アンダルシア州グラナダ県』を橋頭保にしたようです。
ここ『アンダルシア州グラナダ県』には、ヨーロッパの人気のお城・宮殿!上位に入る『アルハンブラ宮殿』があります。 この宮殿が、地政学的に重要な『ペティカ山系シェラ・ネバダ山脈地帯』の中央に位置し、イスラム教勢力とキリスト教勢力の攻防の目玉になってきました。
アルハンブラ宮殿
ウエブ情報です。
宮殿と呼ばれているが城塞の性質も備えており、その中に住宅、官庁、軍隊、厩舎、モスク、学校、浴場、墓地、庭園といった様々な施設を備えて、数千人が居住する城塞都市でもあった。 現代に残る大部分は、イベリア半島最後のイスラム王朝・ナスル朝時代の建築とされ、初代ムハンマド1世が建築に着手し、その後のムスリム政権下で増築された。スルタン(王)の居所であるとともに、数千人が居住する城塞都市でもあった。
1492年1月2日、カトリックのレコンキスタによってグラナダが陥落するとアルハンブラ宮殿にも一部手が加わった。 グラナダがキリスト教徒の手に渡った直後に、カルロス5世がこの地を避暑地として選び、カルロス5世宮殿を建設。 当時イタリア留学であったペデロ・マチューカが、正方形の建物の中央に、円形の中庭を設けるという設計をし(現在も未完成)、スペインにおける純イタリア様式の成功傑作と称されている。
以前に、竹村公太郎氏著『日本史の謎は「地形」で解ける』がベストセラーでしたが、今回は、『アダルキビル川・渓谷・断層』と『ペティカ山系シェラ・ネバダ山脈地帯』の成り立ちと、そのほぼ中央グラナダ市と、アルハンブラ宮殿の存在と、二大宗教の攻防も解り、歴史がますます面白くなりました。
(20200829纏め #211)