知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

興味のあることは、何でも調べて文章にする。   写真は「光と影」と言われるが、この理解には、まだまだ、ほど遠い.

『「痛さ」ランキング 首から下の部位の痛さには耐えられる自負?』 ―今回の備忘録は興味のある方に限定、興味ない方は即ご放念を―

2021-05-27 08:47:00 | 健康

  『「痛さ」ランキング 首から下の部位の痛さには耐えられる自負?』

   ―今回の備忘録は興味のある方に限定、興味ない方は即ご放念を―

 これからいろいろな痛みを経験する年齢『傘寿』になりましたので、『痛さ』ランキングを、傘寿の変人用にと纏めてみました。 自分は急性盲腸炎発作と胆胆嚢炎発作の経験から『首から下の部位の痛さには耐えられると自負』していましたが、今回わかりました。 経験したこれら2種類の発作は、『二つの痛さランキング』にも、『医者が明かす「痛い死に方ランキング」ワースト50』には『かすり』もしませんでした。 まだまだ未熟者です。

半世紀も昔のことですが、急性盲腸炎は、香港に着任直後に慢性持病から、いつも心配していた急性発作を真夜中に起こし『モルヒネと医者』をホテルに頼み、この時のモルヒネを打った後の気持ちのよさに驚いた記憶があります。 早朝に発作が再発しましたので現地事務所の先輩に『カノッサホスピタルのオペレーションシアター予約を』頼んで、無事すべて終わりました。

 胆嚢炎発作はいつも同じパターンで発症『焼き肉とその後のアイスクリーム』ですが、当然です。 食後3~4時間で発作、腹部を熱めの風呂、他聞四十数度であっためますと可成り治まります。その後投薬治療を受けましたが、結局摘出手術になりました。

 これから遭遇するであろう、未知の痛みの備えになるかどうかは、未知ですが、とりあえず抜粋しました。

 二つの痛さランキングを無理に合成したもの

SSSS(1)歯の神経にフッ酸(痛みだけで絶命) (2)群発頭痛

SSS (3)尿路・尿管結石
SS (4) すい臓癌(末期)、 (7)パラポネラアタック
S  (5)椎間板ヘルニア中にくしゃみ、癌性疼痛、心筋梗塞  
A  (6)陣痛 鎖骨骨折 タイガードライバー91
B  (8) 痛風 椎間板ヘルニア 肺癌(末期)
C  睾丸にエアガン (10)骨髄注射 (7)大スズメバチアタック 
D  こむら返り(太腿) (9)肺炎 
E  箪笥の角に小指
F  (11)生理痛   睾丸を強めに握る

    (12)足の小指を箪笥にぶつける

 

医者が明かす「痛い死に方ランキング」ワースト50  ウエブ情報から引用

1位 膵臓がん

2位 間質性肺炎

3位 肝臓がん

4位 肺気腫

5位 多発性骨髄腫

6位 上腸間膜動脈閉塞症

7位 肺がん

8位 腎不全

9位 脳腫瘍

10位 胆管細胞がん

11位 腸閉塞(レイウス)

12位 白血病

13位 卵巣がん

14位 脳幹出血

15位 誤嚥性肺炎

16位 急性膵炎

17位 肝硬変

18位 大動脈解離

19位 舌癌

20位 筋萎縮性側索硬化症

21位 くも膜下出血

22位 心筋梗塞

23位 急性咽頭蓋炎

24位 線維筋痛症

25位 乳がん

26位 膀胱がん

27位 胆嚢炎・胆管炎

28位 髄膜炎

29位 子宮頸がん

30位 バッド・キアリ症候群

31位 肺血症

32位 パーキンソン病

33位 咽頭がん

34位 梅毒

35位 心筋症

36位 精巣がん

37位 デング出血熱

38位 HIV

39位 大腸がん

40位 黄色靭帯骨化症

41位 皮膚がん

42位 脊椎カリエス

43位 結核

44位 腎がん

45位 前立腺がん

46位 胃がん

47位 脳梗塞

48位 肝性脳症

49位 不整脈

50位 老衰 

これだけ多種類の痛さをよくランキングされたかよりも、いろいろな痛さがあるものです。

健康には十分留意したいものです。

                        (20210527纏め、#338)

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『山は美しい 3(早池峰山がこのように、撮れる場所があった)』 一若輩の山男の時代にはボーッと山やっており気付かず今は猛省―

2021-05-26 17:25:19 | 山・山岳

        『山は美しい 3(早池峰山がこのように、撮れる場所があった)』

          一若輩の山男の時代にはボーッと山やっており気付かず今は猛省―


山名『早池峰山』は『祈願すれば清水が湧出するという意味から早池の泉』と名付けられた山頂の霊池に由来すると言われています。 日本歴史地名大系などを調べても、大和言葉やアイヌ語との関連は見つかりませんでした。

 

岩手県紫波町から望む初冬の早池峰山

『遠野物語』で柳田國男が「恰かも、かたかなのへの字に似たり」と表現』

ウキペディアより引用

 

早池峰山の地形図

ウキペディアより引用

 

早池峰山・岩手県にある標高1917mの山。 北上山地の最高峰で日本百名山、新日本百名山、花の百名山、新・花の百名山及び、一等三角点百名山に選定されている。 六角牛、石上と共に『遠野三山』と呼ばれる。

 

ハヤチネウスユキソウ

この山には、山男憧れの、『エーデルワイス・ミヤマウスユキソウ』の仲間『ハヤチネウスユキソウ』が棲息しています。 エーデルワイス・ウスユキソウの仲間は植物園で見過ごしてしまうほど目立たない高山植物です。

 

北海道の大平山と崕山に特産するオオヒラウスユキソは、本種の変種とされたことがあったが、今では独立した別種とされている。

 ウキペデイア情報から引用

ウスユキソウ属では大型で、茎の高さは10-20(30)cmになり、分枝しないで、白い綿毛がある。 根出葉は線状倒披針形で、長さ3-8cmになり、両面に白毛がある。 茎につく葉は7-10個が互生し、線状披針形で先端がとがり、長さ3-5cm、幅4-6mmになり、基部は細くなり茎を抱く。表面の綿毛は少なく緑色で、裏面は灰白色の綿毛が密生する。

花期は7-8月。 頭花は4-8個あり、総苞は径7-9mm。頭花の縁に星状につく苞葉は5-15個あり、径4-6cmになり、灰白色の綿毛が密生し、先端はとがる。

 

来年の花(夏)期には、この花『ハヤチネウスユキソウ』を是非、訪ねてみたいと思っています。

               (20210526纏め、#337)

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『山は美しい 2(一度は縦走したかった洋上のアルプス)』 ―宮之浦岳(1,936ⅿ)、永田岳(1,886ⅿ)、栗生岳(1,867ⅿ)とで、屋久島三岳―

2021-05-26 14:01:07 | 山・山岳

『山は美しい 2(一度は縦走したかった洋上のアルプス)』

―宮之浦岳(1,936ⅿ)、永田岳(1,886ⅿ)、栗生岳(1,867ⅿ)とで、屋久島三岳―

 

寒い冬にはよく思い出すのが、海上・洋上の山ですが、残念ながら殆ど、海上・洋上の山らしい山には登ったことがありません。 ハイキングで行ったことがあるのは、大島三原山(標高758)・香港ランタオ島鳳凰山(934ⅿ)くらいです。 小島の岩塔は、自分には、ロッククライミング対象になります。

 

屋久島俯瞰(衛星写真)

ウキペディア情報から引用

 

屋久島マップ

 

ウエブ情報から引用

 

洋上のアルプスの由来(ウエブ情報からの引用

九州最南端の佐多岬から南南西へ約60kmの洋上に浮かぶ屋久島は、周囲が約130kmの、日本で7番目に大きな島。 海上から空に突き出たように山がそそり立ちます。 屋久島は九州最高峰で日本百名山に数えられる宮之浦岳を筆頭に、1000m級の山々が40以上も連なります。 そのため洋上のアルプスとも称されるほどで、それぞれの山で個性的な美しさを堪能することができ、山歩きの楽しさは尽きることはありません。

 

花崗岩の島・屋久島は今から1400万年前、海底の堆積岩にマグマが入り込み、花崗岩になって隆起してできた島。 そのため山岳地帯では、花崗岩が削られてできた、芸術作品のような自然の造形に出会うことができます。 島の随所で見る滝も、そうした島の成り立ちから生まれたものです。
花崗岩の地盤は、屋久杉の成長にも大きく影響しています。 土は栄養分が乏しいため、杉はゆっくりと成長。おかげで緻密で高い強度の材質となり、屋久杉は樹齢数千年の寿命を得ることができました。

 

サンゴの海に浮かぶ屋久島は暖かい南国のイメージを持たれがちですが、標高1936mの宮之浦岳をはじめとした山間部では雪が降るほど。 平地は年間平均気温20度くらいの亜熱帯の気候であるのに対し、山を登るほどに気温が低くなり、山頂付近では6℃と北海道並みの気温で、亜寒帯の気候に近くなります。

日本列島が凝縮されているといわれるその幅広い気候によって、屋久島では多様性に富んだ植生分布をつくりだしています。高山に咲くヤクシマシャクナゲやヤクシマミツバツツジなどは、厳しい環境に適応して進化した屋久島の固有種。 一方浜辺では、種子が海流によって運ばれてきたグンバイヒルガオやハマユウの花が咲き、洋上に浮かぶ島ならではのロマンに溢れています。

 

黒潮の通り道となる屋久島の海(豊穣の海)は、熱帯魚や回遊魚が出会い、他に例を見ないほど魚の種類が豊富。 魚の種類コンテストで日本一になったこともある青く澄んだ海が広がります。 サンゴに寄りそうように集まる熱帯の魚たちと戯れたり、ローニンアジなどの大型回遊魚に出合うことも。 本格的なダイビングでなくても、シュノーケリングで手軽に海を満喫することができます。

 

いつか行けたら、冬の屋久島に行って、みたいと考えています。 その時には『千尋の滝』の冬景色を写真におさめたいと思っています。

千尋の滝

ウエブ情報から引用

               (20210526纏め、#336)

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『ジェンダーギャップなど超越、活躍した女流日本画家・上村松園』 ―女性の目を通して美人画を描1948年女性初の文化勲章を受章―

2021-05-15 15:41:24 | 絵画

『ジェンダーギャップなど超越、活躍した女流日本画家・上村松園』

女性の目を通して美人画を描き、1948年女性初の文化勲章を受章―

 

日経新聞(20210514)の社会欄にありました。 『上村松園作品 100年ぶりに発見』、行方不明の『清少納言』。 長いこと、大変失礼をいたしておりました。この方を、男性の日本画家だと思っておりました。

 

先ずは、プロフィール・ウエブ情報です。

上村 松園(うえむら しょうえん)1875年4月23日 - 1949年8月27日は、日本画家。 本名は上村 津禰(うえむら つね、「禰」は「示」偏に「爾」)、常子(つねこ)と名乗っていたこともある。 明治の京都下京に生まれ育ち、女性の目を通して「美人画」を描いた。 1948年(昭和23年)女性として初めて文化勲章を受章。 子の上村松篁、孫の上村淳之と3代続く日本画家である。

 

発見されたのは、1917年~18年ごろに描かれたとみられる『清少納言』という作品。 平安時代の作家・歌人である清少納言が中宮定子の問いかけに応えている様子を描く、枕草子のエピソードにちなんだ作品だ。 この作品を所有している名古屋市内の画廊経営者は、『松園は40年以上にわたり何度か絵の材料に清少納言を選んできた。 男性中心の画壇に生きた女性画家として、清少納言に自身を重ねてみていたのではないか』と語った。

 

  • 「清少納言」 1892年

ウエブ情報から引用 

他の代表作品

  • 「母子」(重要文化財)1934年

ウエブ情報から引用

  • 「序の舞」(重要文化財2000年 「なにものにも犯されない、女性のうちにひそむ強い意志」を、静かなうちに凛として気品のある仕舞「序の舞」を通して描いている。絵のモデルは上村松篁の妻(上村淳之の母)の未婚時代の姿である。 松園をモデルにした宮尾登美子の小説の題名にもなった。

ウエブ情報から引用

この方は、明治・大正・昭和を通じて美人画を描き続けた女流日本画家です。 彼女は、「一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香高い珠玉のような絵」、「真・善・美の極致に達した本格的な美人画」を常に念頭に置いて作品を作っていたそうです。 ジェンダーギャップ・男女格差などのノイズの中で女流日本画家の素晴らしい作品を堪能できました。

             (記事投稿日:2021/05/15、#334)

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『映画界のスーパースター・石原裕次郎さんの知られざる一面』 ―アクションも、文芸もの映画も、さらには読書・絵画へも―

2021-05-15 11:36:21 | 映画

『映画界のスーパースター・石原裕次郎さんの知られざる一面』

  ―アクションも、文芸もの映画も、さらには読書・絵画へも―

 

スーパースターの売り出し初めたころに夢中になり、アクションものを見慣れたころに、文芸もの『陽の当たる坂道』や『あいつと私』などにも出演しています。 これのどちらかに共演した吉行和子さんには所属の劇団民芸から『ブルジョアを描いた映画に…』と文句が出たほどでした。 

 

その、ずっと後のことですが、映画界の転換期で、『黒部の太陽』を大成功させたのは宇野重吉さんと劇団民芸のバックアップもありました。 宇野重吉さんと石原裕次郎さんとのつながりも、『五社協定』への挑戦と、『黒部の太陽』という大作映画のことを話し合ったことからだったと聞いております。 この世界は誠に大変な世界です。

ウエブ情報から引用

 

表題に戻ります。

日経新聞(20210515)の木村凌二氏の『半歩遅れの読書術』の抜粋です。 裕次郎さんの愛読書ですが、ヘミングウェイの著作とともに、あげたのが福永武彦氏の『草の花』(新潮文庫)だそうです。 この本は『サナトリウムに入院していた汐見茂思が残した2冊の手記』。 この青年は、未発達で危うい肺葉摘出手術を無理に志願して、術中に死んでしまった。 これは合法的な自殺にも思われた。 

 

1冊目は、戦時中の旧制高校の寮生活や合宿生活のなかで、年下の美少年への愛情ともいえる友情が語られている。 最後は『僕は、・・・汐見さんのことが怖いんです』と言って美少年は去っていった。

 

2冊目は、まだ召令状が来ない汐見は、死の恐怖感やキリスト教の信仰などについて恋人と語り合ったりした。 その後、夏の休暇に浅間山の麓の林での中で結ばれるが、自己を見つめる理性が妥協なき潔癖さに追い込み情熱の焔に勝り、恋人も失うことになる。

 

日本文学では稀な、優れて知的な青年を描いた作品でも裕次郎さんは、自分は汐見とは正反対の性格だと思うが、なぜだか汐見の考え方や行動に共感を覚えたらしい。 「孤独感というものが、人間の魂の成長にどんなに大切なものか」を教えてくれたテキストだったともいう。

 

さらに、シュールリアリズムの画家ダリの作品が好きだと裕次郎さんは語っている。 自身が高校時代に描いた絵も寂寥感のあるダリの絵を彷彿させると言っている。 

 

この不出世の大スターには、今まで知らなかった面が多々あることですが、石原裕次郎さんの場合の、長い間、想像もできなかった面を知りました。

                             (20210515纏め、#333)

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