『同い年の天才絵師・若冲と蕪村、両雄は並び立っていた』
ー特筆すべきは、京都の四条烏森では近所に住んでいたが交流はなかったようー
極寒の季節に、なるといつも,蕪村の作品『鳶・鴉双幅』を思い出します。 3年前、生誕300年を記念してサントリ―美術館に於いて開催された、『同い年の天才絵師「若冲と蕪村」展』を鑑賞したことがありました。
日経新聞文化欄に与謝蕪村の『鳶・鴉双幅』が紹介されていました。 蕪村について調べていると、なんと凡人にとっては、作風・画風も経歴も異なる二人の作品が同時に見られたことにも驚きました。
与謝蕪村筆 双幅、重要文化財 "鳶・鴉図" (とび・からすず)
先ずは、文化欄に載った蕪村の作品『鳶・鴉双幅』の解説です。自分も写真を撮りますが、撮るときに『キャプションやタイトル』を瞬時に、又は、少し待てるときは、時間をかけて、思いめぐらしますが、この絵の解説には、感動します。 写真には、組写真、二枚以上数十枚までがありますが、この作品、『双幅』はやはり東洋的です。 この解説は、後世の方々の想像と思いますが、『双幅』が組・対比の絵ですので、やはり素人感ですが下記に『同感』です。
双幅の『鳶一羽』
自分以外には頼らず、おのれの影の中にうずくまりながら、その身軽さを限界まで活用し、あらゆる不幸や悲劇に真っ向から挑む、凛々しくも厳しい道。
双幅の『鴉二羽』
運命共同体たる連れ合いと共に、ひた寄り添うことで発生するぬくもりを最大限に生かして、吹き荒れる寒風をやり過ごす、いかにも生き物らしい道。
余談です。
自らを振り返ると、若気の至りで、若いときは『鳶』願望、今は、老いて『二羽の鴉』願望です。 生涯連れ添う一夫一婦制の野鳥は、「タンチョウ(ツル)」、「ハクトウワシ」、「アホウドリ」などです。 「クロコンドル」は、浮気を絶対に許さない鳥だそうです。 これ以上に仲の良いヒヨドリがいます。 ヒヨドリは捕食、巣作り、子育てはいつも一緒です。 仲の良い代表の野鳥は、『オシドリ夫婦』と言われるが実際は違うようです。
蕪村は、
日本文化の歴史のなかでも、稀に見る多面的な才能を発揮した人物として、 広く知られています。 俳人としても松尾芭蕉・小林一茶と共に近世俳諧史で著名。 画人としても同時代の池大雅や丸山応挙と並び称せられる巨匠。
生い立ちは17-18歳の頃、早野(宋阿)巴人に師事し俳諧を学んだ。 27歳の時に、師・巴人の死にあい、江戸を去り、下総結城・下館に逗留する。 その後は尊敬する芭蕉の足跡をたどって、東北・松島あたりを旅した。
36歳の時の秋、十年近い放浪生活を切り上げ、京都に上り、古社寺に所有される障壁画や、中国・日本の古典絵画等、本格的絵画作品にふれ、直に学習する機会を得た。
絵画は独学のようです。 第一番目の驚き。 国宝(十弁十宜図)は池大雅との合作です。 第二番目の驚きは、大雅が国宝(十弁帖)、蕪村が国宝(十宜帖)を描く。 川端康成が家購入をあきらめての収集で有名。第三番目の驚きは、天が二物を与えた最高度の二刀流です。文武両道はよくありますが。
「象と鯨図屏風」 伊藤若冲
若冲は
当時では初老、40歳で1755年に隠居して、絵を描き始め、1759年に鹿苑寺(金閣寺)大書院障壁画を、1964年には金刀比羅宮奥書院襖絵を描く。
作風は、若冲が狩野派の画家・大岡春卜に師事したとの記録が『続諸家人物志』にあります。明治以降、短期間ではあるが、一般には忘れられがちな時期もあったが、1990年代後半以降、その超絶した技巧や奇抜な構図が再評価され、特にアメリカ人収集家ジョー・プライスのコレクションにより飛躍的にその知名度と人気を高めている。
(20160116纏め、20190111改 #053)