『山は美しい 4(登りそこなった山は、傘寿には遠い、出羽三山)』
『昔若輩の山男は宗教色の強い山には登らず、なぜか避けていた』
出羽三山は、近代以降に使われるようになった用語で、かつては「羽州三山」、「奥三山」、「羽黒三山(天台宗系)」、「湯殿三山(真言宗系)」と呼ばれていた。
山名 | 社名 | 祭神 | 本地仏 | 所在地 |
月山 | 月山神社 | 月読命(月山権現) | 阿弥陀如来 | 鶴岡市・庄内町・西川町境 |
羽黒山 | 出羽神社 | 伊氐波神・稲倉魂命(羽黒権現) | 正観世音菩薩 | 鶴岡市・庄内町境 |
湯殿山 | 湯殿山神社 | 大山祓神・大己貴命・少彦名命(湯殿山権現) | 大日如来 | 鶴岡市・西川町境 |
羽黒山 (はぐろさん)は、 山形県 鶴岡市 にある 標高 414mの 山 。 出羽三山 の主峰である 月山 の北西山麓に位置する 丘陵 で、 独立峰 ではない。 修験道 を中心とした 山岳信仰 の山として知られる。 羽黒山には多くの石碑がみられ、その中には、羽黒山をかつて訪れた、 高浜虚子 や 野口雨情 の詩歌が刻まれたものもある。
羽黒山五重塔(国宝)
From Wikipedia, the free encyclopedia
Five tier pagoda at Mt. Haguro
Three Mountains of Dewa
出羽三山 早春の月山
ウキペディア情報から引用
出羽三山 月山阿弥陀が原
ウェブ情報から引用
出羽三山 湯殿山
南から見た湯殿山 (左)、姥ヶ岳 (中央)、月山 (右端)
ウキペディア情報から引用
日本遺産 出羽三山生まれかわりの旅公式ウエブサイトより
自然と信仰が息づく「生まれかわりの旅」
ウェブ情報から引用
山形県の中央に位置する出羽三山の雄大な自然を背景に生まれた羽黒修験道では、羽黒山は人々の現世利益を叶える現在の山、月山はその高く秀麗な姿から祖霊が鎮まる過去の山、湯殿山はお湯の湧き出る赤色の巨岩が新しい生命の誕生を表す未来の山と言われます。
三山を巡ることは、江戸時代に庶民の間で「生まれかわりの旅」として広がり、地域の人々に支えられながら、日本古来の、山の自然と信仰の結び付きを今に伝えています。 旅は俗世を表す門前町から始まり、随神門は神域へと誘う境界です。参道の石段の両側には天を覆うような杉並木が山頂まで続き、訪れる者に自然の霊気と自然への畏怖を感じさせ、心身を潤し明日への活力を与えてくれます。
「生まれかわりの旅」のはじまり
出羽三山は、山形県の中央にそびえる羽黒山(414m)・月山(1,984m)・湯殿山(1,504m)の総称であり、月山を主峰とし羽黒山と湯殿山が連なる優美な稜線を誇ります。
おおよそ1,400年前、崇峻天皇の御子の蜂子王子が開山したと言われる羽黒山は、羽黒修験道の行場であり中枢です。 修験道とは、自然信仰に仏教や密教が混じり生まれた日本独特の山岳信仰です。羽黒修験道の極意は、羽黒山は現世の幸せを祈る山(現在)、月山は死後の安楽と往生を祈る山(過去)、湯殿山は生まれかわりを祈る山(未来)と見立てることで、生きながら新たな魂として生まれかわることができるという巡礼は江戸時代に庶民の間で、現在・過去・未来を巡る「生まれかわりの旅」(羽黒修験道では「三関三渡の行」と言う。)となって広がりました。
羽黒山の秋の峰入り〜「生まれかわりの旅」の原点〜
はるか昔から人々は、山は神そのものであり神霊の宿る聖地、新たな生命を育む霊地と考えてきました。 山伏がその霊地である山に籠るということは、現世の自分を一度葬り母の胎内に宿ることを意味します。山伏たちは自らを死者とみなして白装束をまとい 「あの世」に見立てた山を駈け巡り、難行苦行をして穢れを払い、わが身に山の神霊をいわい込め新たな魂として再び「生」を得てこの世に出峰します。山伏の目的は、即身成仏(生きたまま悟りを開く)するための修行であり、山で得た霊力を用いて生きとし生けるものを救済することです。この擬死再生の儀礼を現在に残す唯一の修行と言われているのが羽黒修験の「秋の峰入り」です。
現在は、神仏分離政策により、出羽三山神社が行う明治以降神式に改められた羽黒派古修験道の「秋の峰入り」と、羽黒山修験本宗羽黒山荒澤寺で行う神仏分離以前の法具法灯を継承し神仏習合のまま十界修行を行う古来の「秋の峰入り」の二つが毎年行われています。
≪生まれかわりの旅:主なルート≫
ウェブ情報から引用
傘寿になりましたが、足だけは健康そのものです。 コロナ禍一過を待って
出羽三山を登ってみたいと思っています。(コロナ禍の3年は、傘寿+3には、重く伸し掛かっており、いまだ実現でき居りません。)