知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

興味のあることは、何でも調べて文章にする。   写真は「光と影」と言われるが、この理解には、まだまだ、ほど遠い.

『台風(タイフーン)・ハリケーン・サイクロンの強さ(風速)比較』 『海水温の上昇と、偏西風の蛇行拡大で、台風の大型化は真実か!』

2024-08-31 08:49:14 | 寺院・仏閣・神社・お社
『台風(タイフーン)・ハリケーン・サイクロンの強さ(風速)比較』
海水温の上昇と、偏西風の蛇行拡大で、台風の大型化は真実か!
『トルネード(竜巻)は別物だが、日本でも増加傾向に加え、台風の大型化(風速と雨量)は、周辺海水温の上昇大の日本特有か』

先ずは、世界の『台風(タイフーン)・ハリケーン・サイクロンの強さ表示(風速)』報道表現です。(世界中で使われる、カテゴリー:1-5が分かりやすい、特に、自分・傘寿プラスには!)

SSHWS: 主にハリケーンの強さを評価するために使用
 
ウキペデイア情報から引用

アメリカ在住の気象学者・ミスタートルネード・ドクタートルネード、藤田哲也氏の『フジタスケール』が、ベースになっているようです。


記録的な大雨・暴風】日本史上最強の台風ランキング
順位
台風の名称
上陸時中心気圧
上陸日
上陸場所
1位
昭和36年台風第18号
925hPa
1961年9月16日
高知県
2位
昭和34年台風第15号
929hPa
1959年9月26日
和歌山県
3位
平成5年台風13号
930hPa
1993年9月3日
鹿児島県
4位
昭和26年台風第15号
935hPa
1951年10月14日
鹿児島県
同5位
平成3年台風19号
940hPa
1991年9月27日
長崎県
同5位
昭和46年台風23号
940hPa
1971年8月29日
鹿児島県
同5位
昭和40年台風23号
940hPa
1965年9月10日
高知県
同5位
昭和39年台風20号
940hPa
1964年9月24日
鹿児島県
同5位
昭和30年台風22号
940hPa
1955年9月29日
鹿児島県
同5位
昭和29年台風5号
940hPa
1954年8月18日
鹿児島県

世界史上最強の台風ランキング
1位 チップ(Tip)      870hPa   1979年  東南アジア
2位 パトリシア(Patricia)  872hPa    2015年     中米西部
3位 ジューン(June)     875hPa   1975年  南西太平洋上
4位 ノラ(Nora)       877hPa  1973年  東南アジア
5位 イダ(Ida)          877hPa      1958年  グアム近海
6位 マヒナ(Mahina)     880hPa  1899年  オーストラリア
7位 ヴァネッサ(Vanessa)   880hPa  1984年  グアム近海
8位 ウィルマ(Wilma)      882hPa  2005年  北中米カリブ
9位 ナンシイ(Nancy)      882hPa    1991年    日本 台風19号
10位 ウインストン(Winston)884hPa   2016年  南太平洋

この度の『台風10号』は今までの台風とかなり違った動きを感じましたので、少しおさらいをしました。 台風、ハリケーン、サイクロンはどれも熱帯地方で発生する低気圧の一つで、発生の仕方や嵐の現象としては全く同じものになります。 みんな同じ、日本でいうところの台風なのです。

ウキペデイア情報から引用

台風の定義
  • 東経100度から東経180度までの北半球に中心がある
  • 中心付近の最大風速が17.2m/秒以上
ハリケーンの定義
  • 西経180度(=東経180度)から大西洋までの北半球に中心がある
  • 中心付近の最大風速が32.7m/秒以上
サイクロンの定義
  • 東経100度以西のインド洋または南半球の太平洋に中心がある
  • 中心付近の最大風速が17.2m/秒以上

この度の、台風10号の中心気圧は8月26日午後3時には980ヘクトパスカルでしたが、27日午後3時には950hPaに達し、24時間で30hPa下がって気象庁の当初の予報を上回り急速に発達しました。 それでも、日本史上最強の台風ランキング、トップ10には入りませんでした。

今回の『急成長』の原因は、
高い海水温 + “無風状態” = 発達しやすい環境』だったようです。

台風の強さとその表現が『最大風速』から『瞬間最大風速』(この変更は日本だけ)に変わったので、『最大風速』に何十年も慣れた傘寿プラスは少し混乱しました。 因みに、

最大風速』はその平均風速の中の最大値を意味します。 一方で『最大瞬間風速』は瞬間風速の最大値を意味します。 「瞬間風速」とは、 0.25秒間隔で測定した風速値を3秒間で平均した値(12個の測定値の平均値)のことです。  風は一定の強さで吹くものではないので、「瞬間」とは言ってもその瞬間の風速値そのものではなく、前3秒間の平均値を瞬間風速としています。  一般的に、最大瞬間風速は最大風速の1.5~2倍になると言われています。

台風予報を見るたびに、『1.5』で割り算して、昔の記憶・経験と比較して理解しています。 昔、日活の看板俳優の映画『風速40米』(1958年)を思い出し、『風速50米』としなかったことは、この『風速40米』が『瞬間最大風速60米~80米』で推定されることで、肯けました。

台風10号の、中心の気圧は930ヘクトパスカル、中心付近の最大風速は50メートル、最大瞬間風速は70メートルでした。 世界の歴代台風と比較してみました。

世界で最低気圧を記録した台風
世界の観測史上、最低の気圧(発生直後洋上で)を記録した台風は、なんと日本に上陸(熱帯低気圧)しています。
  • 昭和54年台風20号
  • 最低気圧870hPa
  • 1979年10月12日
  • 沖ノ鳥島南東付近の海上で観測

日本で被害の大きかった台風
損害保険の支払い金額をもとに算出しています。
災害名        最低気圧   上陸時中心気圧  支払保険金
平成3年台風19号   925hPa   940hPa      5,680億円

世界で最も被害の大きかった台風
台風ではなく、アメリカのハリケーン「カトリーナ」は、フロリダ湾で発生し、史上最悪の被害を出したと言われています。
  • 2005年8月アメリカ南東部で被害
  • 最低気圧902hPa
  • 最大風速秒速78m
  • 死者1,800名
  • 行方不明者700名
  • 被害金額推定2兆8,000億円

表題の、
『台風(タイフーン)・ハリケーン・サイクロンの強さ(風速)比較』
海水温の上昇と、偏西風の蛇行拡大で、台風の大型化は真実か!
『トルネード(竜巻)は別物だが、日本でも増加傾向に加え、台風の大型化(風速と雨量)は、周辺海水温の上昇大の日本特有か』は、

地球スケールのこと、否、宇宙スケールのことですので、今回も、自分なりの十分な理解と結論に至りませんでした。 傘寿プラスには大変タフな課題ですが、これからも勉強です。
(記事投稿日:2024/08/31、#765)
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『縄文時代の土偶も土器も「凄い」、縄文中期:約5,500年前、後期:約4,700年前、晩期:約3,400年前の、日本列島のもの!』

2024-08-23 19:14:04 | 寺院・仏閣・神社・お社
『縄文時代の土偶も土器も「凄い」、縄文中期:約5,500年前、後期:約4,700年前、晩期:約3,400年前の、日本列島のもの!』

『東アジア文化圏の一部ともいわれるが、でも、縄文文化を東アジア圏の遺跡と比較検証期待! 日本土偶・土器の芸術性は抜群』

『遮光器土偶が国宝に慣れないのはなぜ? 理由は二つウエブに』
  • この亀ヶ岡から出土した遮光器土偶が国宝に指定されていない理由の一つとして、出土状況の記録が無い事が挙げられるようです。 つまり、明治20年に亀ヶ岡から出土したとされていますが、詳細な発掘資料が存在しないのです。 出土地点とされる場所も推定地なのです。 国宝に指定されている他の土偶については詳細な発掘資料が存在し、史料的価値が格段に違うこと。
  • 完形ではなく、 つまり、むかって左足が欠損しているから。 国宝土偶5点は皆完形です。
国宝にはなっていませんが、これぞ国宝的価値があると依怙贔屓をしています。その著名な重要文化財は、
遮光器土偶

 ウエブ情報から引用
縄文時代につくられた土偶の一タイプ。 一般に「土偶」といえばこの型のものが連想されるほど有名な型である。 目にあたる部分がイヌイットやエスキモーが雪中行動する際に着用する遮光器(スノーゴーグル)のような形をしていることからこの名称がつけられた(遮光器を付けた姿の表現ではなく、目の誇張表現と考えられている)。
遮光器土偶は主に東北地方から出土し、縄文時代晩期のものが多い。 一方で遮光器土偶を模倣した土偶は、北海道南部から関東・中部地方、更に近畿地方まで広がりがある。 その特徴は上述の遮光器のような目に加え、大きな臀部、乳房、太ももと女性をかたどっていることである。 また、胴部には紋様が施され、朱などで着色された痕跡があるものが多い。 大型のものは中が空洞になっている。 これは焼く際にひび割れをしないようにするためだと考えられている。

完全な状態で発見されることは稀で、足や腕など体の一部が欠損していたり、切断された状態で発見されることが多い。 多産や豊穣を祈願するための儀式において、土偶の体の一部を切断したのではないかと考えられている。 また、切断面に接着剤としてアスファルトが付着しているものも多く、切断した部分を修理して繰り返し使用していたと考えられている。

縄文時代の国宝と言えば、土偶ですが、両足がしっかりと付いています。
《土偶 縄文のビーナス》(前3000〜前2000)

ウエブ情報から引用
縄文時代中期に製作されたと見られる土偶。
妊婦を象っており、高さは27センチメートル、重さ2.14キログラムである。 粘土に細かい雲母片が練りこまれているために、肌がうっすらと輝いているように見える。 雲母片が練りこまれた土偶も例が少なく、ほかの土偶が体の一部を破壊されているものが大半であるのに対し、この縄文のビーナスはほぼ完全な形で見つかったことも珍しい。 「土偶」の名称で国宝に指定されている。 茅野市尖石縄文考古館所蔵。国宝になった中ッ原遺跡の仮面の女神も同館に所蔵されている。

《土偶 縄文の女神》(前3000〜前2000)

ウエブ情報から引用
縄文時代中期に製作されたと見られる国宝指定の土偶の通称である。
縄文の女神は、高さ45cm、淡い赤褐色をした土偶である。 縄文時代の人の姿が究極に再現された土偶であり、故意に壊された状態で発見され復元が不可能な土偶が多い中、完全な土偶は日本国内では珍しいとされる。
直径約2.5m、地下1mの範囲から左足、腰、頭、胴、右足など5つに割れた土偶が次々と出土。その後復元され、高さは45cmと日本で発掘された土偶の中で最大級とされる。 均整のとれた八頭身の美しい容貌から、縄文の女神と呼ばれるようになった。

《土偶 中空土偶》(前2000〜前1000)

ウエブ情報から引用
中が空洞に作られている土偶のことである。 縄文時代中期に出現する。
土偶は、高さ41.5cm、幅20.1cm、重さ1,745gで、中空土偶としては国内最大である。 作りが極めて精巧で写実的であり、表面がよく研磨されている。 非常に薄づくりで紋様構成も優れていることから、縄文時代における土偶造形の頂点とも評価されている。出土した南茅部の「茅」と、中空土偶の「空」をとって「茅空(かっくう)」という愛称がつけられている。

《土偶 仮面の女神》(前2000〜前1000)

ウエブ情報から引用
高さは34センチメートル、重さは2.7キログラムあります。顔に仮面をつけた姿を思わせる形であることから、一般に仮面土偶と呼ばれるタイプの土偶です。今から約4000年前の縄文時代後期前半に作られました。
土偶は、右足が壊れた状態で出土しました。しかも、割れたときにできた破片のひとつが、胴体の割れ口にはまり込んでいました。 それ以外の破片も胴体内部や右足の内部に入っていました。もし、この破損が埋めている最中か埋めたあとにできたなら、破片は割れたところかそのすぐ近くにあるはずです。これに加えて、出土したときの向きで胴体と足が接合せず、足を90度以上回転させたところで接合することもわかりました。このため、上で述べたように、わざと足を壊して(取り外して)埋めたのではないか、と考えられるのです。

《土偶 合掌土偶》(前2000〜前1000)

ウエブ情報から引用
縄文時代後期後半。年代:約3500年前。 寸法:高さ19.8cm、幅14.2cm、奥行15.2cm。
備考:「合掌土偶」の愛称で知られる。足や腰の割れ目には天然アスファルトを接着剤のように塗った跡があり、修復しながら使っていた可能性もある

《火焰型土器》(前3000〜前2000)

ウエブ情報から引用
縄文時代中期を代表する日本列島各地で作られた土器の一種。 燃え上がる炎を象ったかのような形状の土器を指す。 縄文土器の中でも特に装飾性豊かな土器である。

火焔型土器は殆どが深鉢形土器で、胴部は粘土紐を貼り付けてS字状、渦巻状などの文様を施す。 縄文(縄の回転による施文)による装飾はほとんど見られない。上部には原則として4か所に大ぶりの把手(突起)を付す。 把手は複雑な形状で、粘土紐によって装飾され、把手以外の口縁部は鋸の歯状に形作る。 これらの装飾が何を表したものかは不明だが、全体の形状が燃え上がる炎を思わせることから「火焔型」土器と呼ばれている。 集落内の特定の場所で発見される傾向はなく、またオコゲがついているものも出土することから、煮炊きに使われたと考えられる。しかしその形状から見て何らかの祭祀的な目的に使われることがあったとする考えもある。

 十日町市の信濃川右岸段丘上に位置する笹山遺跡からは、1980年~1986年にかけて実施された発掘調査により火焔型土器が出土している。 「新潟県笹山遺跡出土深鉢形土器」57点は1999年、国宝に指定され、火焔型土器が14点含まれている。教科書等に掲載されることの多い代表的な火焔型土器は「縄文雪炎」(じょうもんゆきほむら)と愛称が付けられ、国宝指定品の中でも中心的存在として扱われている。1982年7月8日出土。高さ約46.5センチメートル、最大幅43.8センチメートル、重さ約7.4キログラム、残存率95パーセント。 山遺跡の国宝指定土器は、現在十日町市博物館が所蔵している。

表題の、
『縄文時代の土偶も土器も「凄い」、縄文中期:約5,500年前、後期:約4,700年前、晩期:約3,400年前の、日本列島もの!』
『東アジア文化圏の一部ともいわれるが、でも、縄文文化を東アジア圏の遺跡と比較検証期待! 日本土偶・土器の芸術性は抜群』
に感心して、今後も縄文時代に夢中になっていくようです。
(記事投稿日:2024/08/23、#764)
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『夕陽は、美しく・柔らかく、曼殊沙華・彼岸花もまた、美しい『「太陽の縊れ」は、太陽の前の横一線の雲が、焦点を前景に合わせた瞬間に』

2024-08-14 21:47:42 | 夕日

『夕陽は、美しく・柔らかく、曼殊沙華・彼岸花もまた、美しい』

『「太陽の縊れ」は、太陽の前の横一線の雲が、焦点を前景に合わせた瞬間に』

いつでも、夕日をバックに、いろいろ撮ろうと狙っています。 特に曼珠沙華には魅せられます。 特に細いおしべに、風の中でのピント合わせには苦労します。 
咲く前のつぼみの中には六つの花が入っていて、その花は六枚の花弁で構成されています。 六づくしです。知れば知るほど凄いこの花です。 『仏教では伝説上の天の花』サンスクリット語の「manjusaka」の音写。 見る者の悪行を払うと言われます。 一方 曼珠沙華は、数個の異名を持つ『不吉な花』と言われますが、否、田圃のあぜ道や川の土手でよく見られる理由で、そんな不評もすっ飛びます。 これは『球根の毒性でモグラやネズミが、あぜ道や土手に穴をあけるのを防ぐし、又、根茎が強く、あぜ道の補強』になる。 昔の人たちは、博識でした。
この太陽の縊れは、快心の結果でした。

(記事投稿日:2018/05/03、最終更新日:2014/08/14、#010)

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『写真の魅力 1(夕景は素晴らしい、夕焼けは朝焼けより赤くて暖かい)』ー理由は、ドップラー効果の赤方偏移と日中に上昇した水蒸気・塵の乱反射と-

2024-08-14 21:22:48 | 写真

『写真の魅力 1(夕景は素晴らしい、夕焼けは朝焼けより赤くて暖かい)』

『理由は、ドップラー効果の赤方偏移と日中に上昇した水蒸気・塵の乱反射と』

 

朝の景色に比べて、夕景は、撮る時のフィーリングも、撮った写真を見て頂く方々からも、光は暖かく、やわらかいと言って頂きました。 

 

ウエブ情報によれば、『朝焼けと夕焼けの違い』、

  • ドップラー効果による赤方偏移(この赤方偏移は赤道に近いほど大きいのか、南国の夕景もきれいです。)朝焼けと夕焼けでは、観測者の太陽光線に対する相対速度が一日の内で最も大きく違っているという結論が得られる。 両者は太陽に対して幾何学的には等しい関係にあるが、運動の観点から見れば最もかけ離れていたのだ。  となれば、朝焼けと夕焼けの色の差異の原因がこの点にあるとみるのは極めて自然である。
  • 日中に上昇した水蒸気やチリの乱反射の影響とあり、「夕焼け」の特徴は、比較的眩しさが少なく、濃い赤色であることです。 その原因は、上昇気流にあります。 日中は地表に日光が当たり、空気が温められます。 空気は暖かいほど上にあがる性質があるので、上昇気流が発生します。 そこに地上の水蒸気やチリが乗っかり、舞い上がるため、夕方の空には色々な物質が浮いている状態になります。

夕景は、朝景よりなぜ赤いという、理屈は難しいし、その上に夕景を撮るのも難しく、それでも夕景は撮ります。

 

『風車のある夕景』

これだけ意図的に、暗く撮ってしまえば、『これどこで撮ったの』など問い合わせもありませんでした。 実は、写真同好会の作品展ではその問い合わせがあったので、キャプションカードに、メモ『佐倉ふるさと広場の風車』を貼り付けました。 それでも、風車の風景は、やはり夕景です。 

オランダでは夕景を見る・撮る時間がありませんでした。 当然です。 業務出張中でした。 それでも残念です。

この風車の情報を佐倉市のHPからです。

『佐倉ふるさと広場とオランダ

 佐倉とオランダとの関係は、江戸時代にさかのぼります。当時、佐倉藩主であった堀田正睦公は、藩学に蘭学(オランダを通して伝わった西洋の学問)を積極的に取り入れ、全国でも蘭学が盛んな藩となりました。また、”西の長崎、東の佐倉”といわれたほど、佐倉藩の蘭医学は全国に知られ、私塾「佐倉順天堂」(後の順天堂大学)では全国各地の医学を志す者が学び、幕末、明治の時代に活躍した多くの人材が、佐倉から育っていきました。

 この歴史的なつながりを生かし、草の根の国際交流を行うため佐倉日蘭協会が設立され、現在もオランダとの文化交流が続いています。
 本格オランダ風車のある『佐倉ふるさと広場』は、このような流れをうけ、ふるさと印旛沼の自然と触れ合う交流の場、さらには国際親善の場となるよう設けられました。そして、この広場では日蘭修好380周年を記念して、平成元年から毎年4
月にチューリップフェスタが開催され、人々が集う交流の場となっています。』

 

 

『公園の築山の夕景』

夕景の中に、雲の姿と、散策する人々の位置と姿を、ずーっと待ちました。

この築山、写真・カメラ好きには素晴らしいコンセプト・設計です。 有難い

 

 

『夕陽の中で、オオヨシキリが鳴く』

大型三脚に1,000㎜反射望遠レンズをつけて、背丈を超える『密集葦の林』の中で大奮闘して撮りました。 野鳥は、大口径のレンズフィルターの反射には、敏感で、さらに夕日は、瞬く間に沈みます。 これ以上のアングルで撮る位置は選べずこの写真になりました。 後日のプロの先生のアドバイスは『オオヨシキリの前がちょっと窮屈ですね』、でした。 人の苦労も知らず。

 

(20181204纏め 20201205追補 #038)

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『写真の魅力 2(思わぬ結果に驚き 1)』―素人の自分はファインダーやモニターで、覗いただけでは結果を想像できずー

2024-08-14 19:09:17 | 写真

『写真の魅力 2(思わぬ結果に驚き 1)』

『素人の自分はファインダーやモニターで、覗いたただ  けでは結果を想像できず』 

この写真は撮って拡大してみたら『高山の中腹で夕景に見とれる少年達』になりました。 実はここは公園の築山で海抜41m、駐車場から標高差21ⅿです。 少年達の立ち位置は、およそ海抜31mです。

  

 

こちらは、熱海市のMOA美術館の下り通路の踊り場です。 狙いは『宇宙ステーションの贅沢なホール』でした。 下り階段の途中に座り『当然三脚ナシ』膝にカメラをしっかり固定で狙う、突然後ろから『お先に失礼』と、それに『ハイどうぞ』と応え同時にキャプションが閃きました『二人の世界』です。

 

(記事投稿日:2018/12/09、 最終更新日:2024/08/14、#039)

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