知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

興味のあることは、何でも調べて文章にする。   写真は「光と影」と言われるが、この理解には、まだまだ、ほど遠い.

『美しい地球!旅行のススメ 005(南米アンデス山脈の不思議な風景「レインボー・マウンテン」、と同様に中国の「七彩山」がシルクロード沿いに、どちらも海洋プレートの大陸への潜り込みで!』

2024-07-28 22:58:21 | 寺院・仏閣・神社・お社
『美しい地球!旅行のススメ 005(南米アンデス山脈の不思議な風景「レインボー・マウンテン」、と同様に中国の「七彩山」がシルクロード沿いに、どちらも海洋プレートの大陸への潜り込みで!』

『原因は、「アンデス山脈の下に太平洋プレートの潜り込み」、アンデス山脈が隆起・褶曲、「ユーラシアプレートの下にインド洋プレート潜り込み」チベット高原が隆起・褶曲」!』

『「アフリカ大陸がユーラシア大陸に衝突」でアルプス山脈が、「インド大陸がユーラシア大陸に衝突」してヒマラヤ山脈に!』

南米ペルーアンデス山脈のレインボー・マウンテン(標高5100ⅿ)

 ウエブ情報から引用

ペルーのアンデス山脈の標高約5,100mの「ヴィニクンカ山(Vinicunca)」は、山頂が青や黄色、青など、虹色に染まることから、「レインボー・マウンテン(Rainbow Mountain)」と呼ばれています。 このカラフルな色は、地層に含まれている鉱物が太陽光に照り付けられて酸化したことによって、生まれたそうです。 この山が発見されたのは10年前とかなり最近のこと。 温暖化で氷河や万年雪が溶解したためだそうです。

地球は不思議です。 大陸が衝突してできた、ヒマラヤ山脈やヨーロッパアルプスには活火山はありませんが、プレートの衝突(太平洋の下のナスカプレートが南米大陸にぶつかりその下に沈み込んだ結果形成)によりできた褶曲山脈の、アンデス山脈やロッキー山脈は、火山が沢山あります。 ヒマラヤ山脈やヨーロッパアルプスには、地球温暖化で、万年雪や雪渓や氷河が溶けても、レインボー・マウンテンが現れることはないでしょう。

アジアの中国甘粛省の絶景、張掖丹霞地貌(七彩山)

ウエブ情報から引用

丹霞地貌とは、切り立った断崖などを特徴とする、赤みがかった堆積岩が隆起した地形を言います。 名前の由来は広東省の丹霞山ですが、『丹』は赤や朱色、『霞』は夕焼け等で空が赤く染まることやそれに伴ってできる鮮やかな色の雲を表します。 2002年に発見され、2008年により一般公開されたまだまだ新しい観光地である張掖丹霞地貌は、漢の武帝がこの地に張掖郡を置いてからシルクロードの中枢都市として栄え、また元代にはマルコポーロも滞在した張掖市より西へ約40㎞のところに位置します。 2400万年前に形成された砂岩やその他の鉱物による堆積、隆起、風化、浸食作用などにより、赤に限らず様々な色や形の岩が形成され、また太陽光により色の見え方が変わることから「七彩山」とも呼ばれています。

大陸の衝突でできたヒマラヤ山脈には『七彩山』は存在しません。 ユーラシアプレートの下に潜りこんだインドプレートの浮力でチベット高原が隆起をはじめ、それは今も続いています。 この褶曲山脈には、『張掖丹霞地貌(七彩山)』が存在します。 広いユーラシア大陸には、欧州アルプス山脈とアジアのヒマラヤ山脈がありますが、褶曲山脈ではありませんので、『七彩山』も『レインボー・マウンテン』は存在しません。 地球は不思議でいっぱいです。

この掛替えのない『宇宙船地球号』『水の惑星』『緑の地球』を守っていかなければなりませんので、何とか間に合ってくれと、祈りながら、みんなでやれる『節電・節水・節肉食、移動には歩行・自転車・バス・電車』と、政界・産業界のリーダーの皆様に頑張って頂きたい、CO2排出削減は、次のビッグ3『発電業・製造業・運輸業』での喫緊対策です。 

みんなでやる『「節電・節水・節肉食、移動には自転車・バス・電車」「プラチック使用減らす(土に還るプラスチックでも製造時はCO2を!)」は、『発電業・製造業・運輸業』の規模縮小にはなりますが、これ以外に80億人の個人で、何かできるでしょうか。 限界のある狭い地球で80億人が暮らすには、皆で摂生し、質素な生活が必須です。
(記事投稿日2024/07/28、#762)
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『美しい地球!旅行のススメ 004(海の京都の五つの絶景『日本に10ヶ所だけのユネスコ世界ジオパーク」に認定された「山陰海岸」』

2024-07-23 15:48:47 | 寺院・仏閣・神社・お社
『美しい地球!旅行のススメ 004(海の京都の五つの絶景『日本に10ヶ所だけのユネスコ世界ジオパーク」に認定された「山陰海岸」』

『その山陰海岸の京都の丹後地方の驚きの五つ風景が「天橋立」「伊根」「経ヶ岬」「立岩」「美山かやぶきの里」』

先日BS朝日で、丹後半島にある、数百万年もの長きに渡る地球の営みが生み出した雄大な絶景の数々が、そこは日本にわずか10ヶ所しかない「ユネスコ世界ジオパーク」に認定された『「山陰海岸」の丹後地方』の驚きの風景が広がっていました。 

2024年6月3日現在、日本ジオパーク46地域、その内10地域(「アポイ岳」「洞爺湖有珠山」「糸魚川」「山陰海岸」「島原半島」「室戸」「隠岐」「阿蘇」「伊豆半島」及び「白山手取川」がユネスコ世界ジオパークです。 ジオパークをめざす準会員地域も8地域あります。
ユネスコ世界ジオパーク
ユネスコ世界ジオパークは、48か国213ヵ所あります。(2024年3月28日現在)
 そのうちの10ヵ所は、日本にあります。

  1. 「天橋立」、龍が天に舞い上げるような眺め
 
ウエブ情報から引用

「天橋立」、国宝 雪舟の絵 

 ウエブ情報から引用

自然は不思議でいっぱい。 天橋立の奇跡のような地形がどのようにして生まれたかの理由『宮津湾の海岸流と阿蘇海の海岸流の「せめぎあい」でも「合成波」にはならず、巨大な、長さ3.6㎞、最大幅170ⅿの「砂州」作った』。
 
ウエブ情報から引用

2. 「伊根」、「京都のヴェネツィア」と言われる伊根の舟屋
 
 ウエブ情報から引用
江戸時代の中頃から作られるようになった舟のガレージ「舟屋」が真っ青な海の上に並び建つ姿はまさに圧巻。

伊根湾内の波は穏やかで、また三方を囲んでいる山は硬い岩山で傾斜が急なまま海低にまで続き、水深が急激に深くなり、波を起こしにくい地形を形成している。 また潮の干満の差も少なく年間の平均潮位差は50 cm程度である。 世界によくある干満の潮位が数メートルから十数メートルと大きいところは遠浅で逆Ⅴ字形の海岸に即納得できました。

3.「経ヶ岬」地名の由来
 
ウエブ情報から引用

丹後半島北端を構成する岬の周囲は、安山岩による柱状節理の発達した海蝕崖になっている。 名前の由来は『宮津府志』によると、岬を取り巻く柱状節理が経巻を立てたように見えることによるとされている。 世界中どこにでも、と言っていいくらい柱状節理は見られます。 生成原理は同じですが、主な分布は四角形、伍角形ですが、七角形もあります。

4.「立岩」、「丹後のエアーズロック」と呼ばれる名所には、あの聖徳太子にまつわる伝説と、天橋立にも通じる古代ロマン。

まさに「丹後のエアーズロック」
 
ウエブ情報から引用
高さは20ⅿですが、昔、ほんの少し「岩(ロッククライミング)」やったプチ山男なら、フリークライミングでもいいからヤラセテほしいなどと不謹慎なことは言いません。

日本海の夕景はやはり美しい

 ウエブ情報から引用

5. 「美山かやぶきの里」江戸時代から昭和にかけて建てられた、懐かしさ感じるニッポンの原風景。 平家の落人部落ではなかった。 最高の風景「藁ぶき屋根の山里に赤いポスト」。
 
ウエブ情報から引用

当集落は中世には、林業を主産業とする山村集落。 集落の中を通る街道は、いわゆる鯖街道の一つとされ、京都と若狭の中間地であり、多くの旅人が行き来していた。 そういった背景から、この集落の建築や生活様式はいろいろな地方の影響を受けたといわれる。 北村は近世には篠山藩に属し、近隣の村とともに「知井9か村」と称された。

「天橋立」の生成と大きさに驚き、
「伊根」「京都のヴェネツィア」の潮汐の不思議を思い、
「経ヶ岬」と「立岩」「丹後のエアーズロック」に柱状節理を身近に感じ、
「美山かやぶきの里」は日本の冬景色にシビレました。

この掛替えのない『宇宙船地球号』『水の惑星』『緑の地球』を守っていかなければなりませんので、何とか間に合ってくれと、祈りながら、みんなでやれる『節電・節水・節肉食、移動には歩行・自転車・バス・電車』と、政界・産業界のリーダーの皆様に頑張って頂きたい、CO2排出削減は、次のビッグ3『発電業・製造業・運輸業』での喫緊対策です。 

みんなでやる『「節電・節水・節肉食、移動には自転車・バス・電車」「プラチック使用減らす(土に還るプラスチックでも製造時はCO2を!)」は、『発電業・製造業・運輸業』の規模縮小にはなりますが、これ以外に80億人の個人で、何かできるでしょうか。 限界のある狭い地球で80億人が暮らすには、皆で摂生し、質素な生活が必須です。
(記事投稿日2024/07/23、#761)
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『旭市飯岡は東日本大地震の震源に面していない、しかし襲った大津波は、多要因が重なったケースで、今後も万全の備えが肝要!』

2024-07-18 14:24:30 | 地球・火山・地震・津波
『旭市飯岡は東日本大地震の震源に面していない、しかし襲った大津波は、多要因が重なったケースで、今後も万全の備えが肝要!』

千葉県の銚子市犬吠埼・旭市飯岡刑部岬・いすみ市大東岬位置関係
犬吠岬は千葉県の最東端刑部岬は九十九里海岸(ほぼ中央右)の東北端大東岬は九十九里海岸(ほぼ中央右)の南西端です。

 ウエブ情報から引用

この地図を頭において、京都大学の間肇瀬教授(沿岸災害)による『旭市飯岡の大津波が生まれたメカニズム』と『大津波はなぜ起きた、三つの岬の波紋状の波が反射し、ぶつかり巨大化』が納得できます。

旭市飯岡は、銚子市の犬吠崎の南側に位置し、震源に面していない。 しかし住民の証言や堤防の高さから推定すると、より震源に近い茨城県大洗町(4.9ⅿ)や銚子(2.4ⅿ)より飯岡(7.6ⅿ)(犬吠岬を回った第3波の回析波と、大東岬で反射した第1波が飯岡の沖でぶつかり合成波になった)ほうが高かった。

京大防災研究所の間瀬教授によると、津波は水深が浅くなるにつれて大きくなるため、大洗町のような漁港よりも、砂浜が遠浅の九十九里浜の方が波が大きくなりやすい。 今回はさらに『岬を中心に「回析波」が発生した可能性がある』(間瀬教授)。

震源付近から伝わった波の力は銚子の手前で弱まったとみられるが、岬にぶつかると、岬を中心に円状の波が新たに発生するという。 この回析波が海岸沿いに進む『エッジウエーブ』となり九十九里浜の南端にある大東岬付近で反射。 九十九里の弓状の海を波が行ったり来たりする間にぶつかり、時間をかけて大きくなったのではないか』と間瀬教授は見る。

当初は、シンプルに(犬吠岬を回った第3波の回析波と、大東岬で反射した第1波が飯岡の沖でぶつかり合成波になった)と理解し、稀有のことと早合点していましたが、もっと複雑な要因があったようでした。

さて、足元の関東での地震の心配ですがウエブ情報によれば、
10万人を超える死者が出た関東大震災から9月1日で100年。 関東の南岸で繰り返し起きる海溝型地震の一つ。 当時は近代的な観測網がなく『震源域』『発生頻度』『活動期の有無』の3つ謎が今も残る。 解明が進めば、防災対策の練り直しを迫られる可能性がある。

❶震源域は東に長い?
野島崎海岸隆起の歴史から解かる『繰り返す海溝型地震』;
海溝型地震には、海のプレートと陸のプレートとの間のずれによって生じる地震(プレート間地震)と、海のプレート内部の破壊によって発生する地震(スラブ内地震)があります。

古くは房総半島と離れた島であり野島と呼ばれたが、1703年(元禄16年)の元禄大地震で隆起し、地続きとなったという説がある。 しかし、元禄大地震の7ヶ月後に書かれた法界寺(白浜海洋美術館付近にかつてあった寺院)届書に「野島崎は津波の後に地形が変わった」と記されているため、地震以前から野島崎は存在しており、すでに一部が陸続きであったという説(陸繋島)もある。

❷最短60年で再発も?
研究チームが房総半島の海岸段丘を調べたところ、元禄型の関東地震の発生間隔は数百~数千年とばらつきがあり、従来の定説より短い場合もあった。 大正関東大地震と同規模の地震については、地震調査委員会が2014年の公表の報告で『相模トラフのM8級の発生間隔は180年~590年』とした。 平均と言いながら約400年の幅がある。 

古文書によれば、M8級の地震、寺社に大きな被害の出た1293年の『永仁関東地震』、1495年鎌倉大津波の『明応鎌倉地震』、1703年の『元禄関東地震』は、相模トラフの地震は、ほぼ200年間隔で規則的に起きたことになる 

このように、何を根拠にするかで発生間隔は『ばらつきが大きく絞り込むのは難しい』のが実情のようだ。(首都直下型地震、元禄型関東地震の発生間隔のバラツキ大きいが、横浜市民としては、相模トラフの地震のほぼ200年間隔は不気味です。)

❸地震活動期はある?
関東地震が近づくと、内陸直下地震が増えて『活動期』になり、直後は静寂になるという関係も不明。 1853年の『嘉永小田原地震』では小田原城大破。 その2年後には、江戸で7000人の死者を出す『安政江戸地震』が続いた。 さらに1894年の『明治東京地震』M7級が続き、クライマックスが大正関東地震が発生した。

『元禄関東から大正関東地震までの220年間のうち前半は静穏期、後半は活動期だった』との見方がある。 プレート境界で関東地震が起きると、広域で地殻に加わる力が変化する。 活断層の位置や向きによっては蓄えたひずみを開放して自信を起こしやすくなり、活動期と静穏期が生じるという。

次の大地震の発生確率は『今後30年でほぼ、0~5%」と低いものの、津波や土砂災害などを含めた複合災害になる公算が大きい。 地震学の見地からも『関東大震災と同タイプ地震はまだ先』とは言い切れない。 再点検する時だ。

昔から『地震・雷・火事・親父』と言いますが、やはり、地震(津波)が一番怖いのですが、今、最も恐ろしいのは、地球をどんどん住み難くしている人間と、それに無関心な『俺・僕・私関係ネー』の世情ではないでしょうか。
(記事投稿日:2024/07/18、#760)
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『縄文人は・縄文文化は凄かった 0(DNAが解く「縄文と弥生」の謎)科学で迫る日本人祖先はどこから、従来の定説が訂正途上に!』

2024-07-15 14:59:00 | 歴史・日本・古代
『縄文人は・縄文文化は凄かった 0(DNAが解く「縄文と弥生」の謎)科学で迫る日本人祖先はどこから、従来の定説が訂正途上に!』

日本人のルーツで定説とされてきたのが『二重構造モデル』。 弥生時代に渡来した北東アジア系の人々と、東南アジア系の縄文人との混合が進み、日本列島の人々が誕生した。

だが近年、この定説が『単純すぎる』ことが分かってきた。 縄文人は様々なルートで渡来し、地域差があったようだ。 従来、日本列島で暮らしていた縄文人は比較的均一な集団と考えられていた。

日本人の起源である縄文人の祖先はいつ頃、どこからやってきたのか?

 ウエブ情報から引用

弥生文化は中国大陸、朝鮮半島から移住してきた渡来人によりもたらされた。

 ウエブ情報から引用

弥生人は弥生時代に日本列島に居住した人々。 大きく、弥生時代に朝鮮半島とアジア大陸等から日本列島に渡来してきた「大陸系弥生人」と縄文人が直接新文化を受け入れた結果誕生した「縄文系弥生人」および両者の混血である「混血系弥生人」に分けられる。

長期間続いた縄文時代は、且つ多民族国家であったので、いま世界中で注目を浴びる縄文文化が花開いたのでしょうか、すぐに閃くのが国宝6点、
  • 《火焰型土器》(前3000〜前2000)
  • 《土偶 中空土偶》(前2000〜前1000)
  • 《土偶 縄文のビーナス》(前3000〜前2000)
  • 《土偶 合掌土偶》(前2000〜前1000)
  • 《土偶 仮面の女神》(前2000〜前1000)
  • 《土偶 縄文の女神》(前3000〜前2000)

さらに重文4点、
❶《人形装飾付有孔鍔付土器》(前3000〜前2000)
❷《ハート型土偶》(前2000〜前1000)
❸《猪形土製品》(前2000〜前1000)
❹《尖頭器》(前1万6000〜前1万1000)
があります。

弥生時代は一般に2400年前ほどに開始したとされてきた。 そもそも弥生時代とは、弥生土器が使われている時代という意味であったが、現在では水稲農耕技術を安定的に受容した段階以降を弥生時代とするという考えが定着している。
弥生時代・文化の前の『縄文時代』に、奇跡のような、狩猟採集生活でも定住生活ができた『縄文時代の人々』はやはり凄いです。

この掛替えのない『宇宙船地球号』『水の惑星』『緑の地球』を守っていかなければなりませんので、何とか間に合ってくれと、祈りながら、みんなでやれる『節電・節水・節肉食、移動には自転車・バス・電車』と、政界・産業界のリーダーの皆様に頑張って頂きたい、CO2排出削減は、次のビッグ3『発電業・製造業・運輸業』での喫緊対策です。 

みんなでやる『「節電・節水・節肉食、移動には自転車・バス・電車」「プラチック使用減らす(土に還るプラスチックでも製造時はCO2を!)」は、『発電業・製造業・運輸業』の規模縮小にはなりますが、これ以外に80億人の個人で、何かできるでしょうか。 限界のある狭い地球で80億人が暮らすには、皆で質素な生活が必須です。
(記事投稿日:2024/07/15、 #759)
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『花の世界 6.0(ハスの花と茎、二題)』ー岡山後楽園の白い大輪の花「一天四海」最後の一輪が真っ盛りとばかりに―

2024-07-13 11:43:28 | 寺院・仏閣・神社・お社
『花の世界 6.0(ハスの花、二点「一天四海」と「晩秋のハスの茎」』
『岡山後楽園の白い大輪の花「一天四海」最後の一輪が真っ盛りとばかりに』

不思議なことに、数年前の夏も過ぎた9月1日のこと、ハスの花、『最後の一輪が真っ盛り』とばかりに、凛と咲いていました。 岡山後楽園の気品ある白い大輪の花『一天四海』です。 このネーミングにも納得です。
下手の横好きの写真撮影も、白色を撮るのが苦手で『白とび』常習犯でしたが、この『一天四海』の花脈も、辛うじて、かすかに撮れました。(ウデではなく、撮影時間とこの花の精の所為です。)


日陰の池で咲いていた一輪でした。 先ずはウエブ情報です。 
『一天四海』…花の直径が30cmにも及ぶ大型のハス。白い花弁に不規則な紫の縁取りがあり、豪快かつ気品 にあふれた姿から大名蓮(だいみょうはす)と呼ばれることもあります。

『一天四海』【意味】
 天の下と四方の海。 天下のすべて。 世界中の意。
【語源由来】
 「一天」は天下中のこと。 「四海」は四方の海の意から、転じて、天下・世界中の意。

一天四海皆帰妙法(いってんしかいかいきみょうほう)という言葉があります。
 仏典の一説に由来しており、意味としては、「人間が皆仏さまの説法に耳を傾けたとき、みな仏の世界を得て、その国土は仏の国土となる」であり、より現代風に訳すと「世界全体を仏さまの教えで広め救う」や「この世の中は一つの真理が働いている」という意味となります。

当然ですが、この時期には、すでに散っていたハスが、著名な『大賀蓮』(次の一葉、ハスの茎『名残』)です。 このハスの、『由緒』にはドラマがあります。 ここでもウエブ情報です。

大賀蓮 …別名「二千年蓮」・古代蓮」淡いピンクで直径25㎝くらいの花が咲く可憐なハスです。
岡山市出身の植物学者大賀一郎博士が、1951年に、千葉県検見川にある約二千年前の地層から発見した3粒のハスの実のうち1粒が、発芽・生育に成功しました。  同じ地層から出土した丸木舟の年代測定によって、このハスの実は、二千年前の古蓮と推定されました。  その1粒から3本の蓮根が出来、後に次々と分根されていきました。 これまでに、実や蓮根によって、国内外の150か所以上に分根されています。 
二千年前の一粒の古蓮の実から咲いた可憐な花は、時代を経て、今も友好と平和の使者として親しまれ大切に されています。  大賀博士は、古蓮、ハスの開花音、ハス糸などハスに関する幅広い研究を続け、大賀ハスの発見によりハス博士と呼ばれるようになりました。

ハスの茎『名残』
このハスの茎は、上野恩賜公園の『蓮池』ならぬ『鵜の池』で撮ったものです。 『ハス』という命名ですが意外な説があります。 ここでもウエブ情報です。
日本での古名「はちす」は、花托の形状を蜂の巣に見立てたとするのが通説である。「はす」はその転訛。 
水芙蓉(すいふよう、みずふよう)、もしくは単に芙蓉(ふよう)、不語仙(ふごせん)、池見草(いけみぐさ)、水の花などの異称をもつ。 
漢字では「蓮」のほかに「荷」または「藕」の字をあてる。

ハスはよく撮りに行きますが。 ハスの茎がこれほど不思議な抽象的な図形に撮れたのは初めてです。

 

ハスの花は、撮影の対象としていいアイテムです。 葉は撥水性があって水玉ができて、大きな水玉見つけて『その水玉に他の被写体を撮りこむ』ことをいつも狙っていますが、結果が出せていません。 道具の所為にしていますが『否、
腕の所為』です。 とどのつまり『勉強・努力不足』です。
 (記事投稿日:2019/06/30、最終更新日:2024/10/13、 #107 )
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