『ボサノバの名曲「イパネマの娘」には、可愛いモデルが実在!』
『誰の作曲か?「イパネマの娘は」はラテンアメリカ滞在中はよく聞きました。』
日経の文化欄に載った、孤高を貫いた『ボサノバの父、ジョアン・ジルベルトさんを悼む』の記事で『イパネマの娘』思い出しました。 この作曲家は知りませんでしたがこの曲『イパネマの娘』は知っていましたし、ラテンアメリカに滞在中はよく聞きました。 以下文化欄の記事の抜粋です。
ジョアンは1950年代後半、一本のギターでサンバのリズムを表現し、そこに洗練されたハーモニーを彩色した。 さらに耳元で囁きかけるような繊細な歌声と節回しを通じ、新たな音楽の表現を確立した。
その独創性に着目した作曲家アントニオ・カルロス・ジョビンが、ジョアンが歌うこと念頭に数々の楽曲を作り『新しい潮流』を意味する『ボサノバ』が誕生した、
ジョアンが1963年に、米国のジャズサックス奏者タン・ゲッツと共演したアルバム『ゲッツ/ジルベルト』から『イパネマの娘』が大ヒットしボサノバが海外に広まった。
ジョアンが確立したボサノバの表現はジャズのみならずソフトロックやAORといった米国のポップス、フランスやイタリアのポップス、80年代のネオアコなど世界中の音楽に多大な影響を与えた。 本人はそうした風潮からは距離を置き孤高を守った。
神秘のベールに包まれていたジョアンの初来日公演は2003年。 この時の日本人聴衆の集中力に感動し『この聴衆を私は数十年間待った』と日本人スタッフ
に語ったと、その後、2004年と2006年に来日公演を行なった。
とあり、かなりの日本贔屓です。 ブラジル発祥のサンバ、キューバ発祥のルンバ、ブラジル発祥のボサノバとありますが、サンバからボサノバときましたが、スーパー音痴の自分には、すぐに踊りだしたくなる楽曲で大きな違いはありません。
前置きが長くなりました。 本題の『ボサノバの名曲「イパネマの娘」には、可愛いモデルが実在!』 したのです。
ここで、ウエブ情報から(可愛いイパネマ海岸の娘は、美人の淑女に!);
『当時』
ウエブ情報から引用
2018/09/25 - 50年代後半、ブラジルで生まれた新しい音楽のスタイル「ボサノバ」を世界に知らしめるきっかけとなったのが「イパネマの娘」ですが、実はこの名曲には「元ネタ」となったモデルがいたのです。
『現在』
ウエブ情報から引用
17歳の時の1962年、地元であるイパネマのビーチを歩いていたところを作曲家のアントニオ・カルロス・ジョビンとヴィニシウス・ヂ・モライスが見かけ、曲作りのきっかけとなりました。3年後の65年には「イパネマの娘」は爆発的なヒットとなり「『イパネマの娘』はいったい誰のことなんだ」と探し求める人が大挙したため、名乗り出ることになりました。
『イパネマの娘』はビートルズの「イエスタデイ」に次ぐヒット!とも言われていますが、このどちらも、下記の洋楽歴代ヒット曲ランキングのトップ5などとは比較はできません。
Elton John - Candle In The Wind (Goodbye Englands Rose)
Ed Sheeran - Shape of You
Whitney Houston - I Will Always Love You
Bryan Adams, Everything I Do I Do It For You ...
Pharrell Williams - Happy
ボサノバは癒しを通り越して、祭り好きの自分には元気をくれますので・・・。
(記事投稿日:2019/07/12、最終更新日:2022/06/06、#109)