知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

興味のあることは、何でも調べて文章にする。   写真は「光と影」と言われるが、この理解には、まだまだ、ほど遠い.

『宇宙船地球号・奇跡の星・水の惑星が「人新世」時代へ 13(地球防衛)』『NASAの初の「地球防衛」実験、小惑星衝突回避へ前進』

2022-09-28 22:04:50 | 地球・火山・地震・津波

『宇宙船地球号・奇跡の星・水の惑星が「人新世」時代へ 13(地球防衛)』

『NASAの初の「地球防衛」実験、小惑星衝突回避へ前進』

 

先日(2022/09/28)日経新聞総合欄にありました表題のこと、宇宙関連では久々に、実用的な課題のニュースでした。 一方、宇宙開発の主たる目的は『宇宙空間を開拓し、地球環境や人類の生活をより良くするためです。 宇宙空間を研究し、その研究成果として人類の生活に役立てることを目指す。』と言われています。 

 

昔、大航海時代に欧州人が、ガレオン船500~600トンの木造帆船で新たに発見した土地、新世界(New World)あるいは新大陸(New Continent)は、人類の生活をよりよくしました。 が、宇宙開発が『範囲と方法』によっては、人類の生活をより良くできるかどうか疑問です。 ましてや太陽系外惑星以外への移民などは、今の人類には精神的にも肉体的にも不可能です。

 

  • 太陽系では火星や土星の衛星・タイタスが移住先の候補として挙げられる
  • 地球から近いといっても移動には半年よりも多くの時間がかかる
  • 実際に惑星移住をする際には全てにおいて莫大な費用がかかる

 

宇宙開発は『「費用対効果」面でも、可能性はほとんどありません。 お金があったら、地球上をもっと住みよくするのが先で、肝要だ』と、そんな話をすると、仲間から『夢のない奴』とよく言われました。

 

『今回のニュース『米航空宇宙局(NASA)は26日(日本時間27日)、小惑星の地球衝突を防ぐ世界初の実験を行った。 探査機を小惑星に衝突させて軌道を変える試みで、探査機は小惑星衝突に成功した。 将来、地球に衝突する可能性のある小惑星などは約3万個も見つかっており、世界的に対策が加速する。』  

 

人類が広大な宇宙に対してできるのは、この『NASAの初の「地球防衛」実験、小惑星衝突回避へ前進』くらいが精いっぱいだと思います。

 

NASAの初の「地球防衛」実験映像(1)

ウエブ情報から引用

 

 NASAの初の「地球防衛」実験映像(2)

ウエブ情報から引用

『欧州宇宙局は、今回の実験がどれほど成功したかを調べるために、2024年10月にHERAという名の探査船をここに送る。 HERAは2026年末にここに到着し、搭載した高解像度カメラと2台のキューブサットで、2つの天体にどんな変化があったのか、2つの惑星の物質は具体的にどんな成分なのかを調べる予定。』 やはり宇宙は、地球上とは異なり、時間軸のスケールが違います。 

(記事投稿日:2022/09/28、#578)

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海外の古文書が日本史の謎を解く(手紙・日記等)から解る 2』 『信長の先取性・先見性に、刺激受けた秀吉の無理難題の半島・大陸進攻へ』

2022-09-26 09:50:58 | 歴史。日本・中世

『海外の古文書が日本史の謎を解く(手紙・日記等)から解る 2』

『信長の先取性・先見性に、刺激受けた秀吉の無理難題の半島・大陸進攻へ』

『洋の東西でも元は、異なる宗教間、宗派間の戦争、今は政治対宗教の戦争に』 

 

NHKスペシャルのタイトル『戦国~激動の世界と日本~第1集 秘められた征服計画 織田信長×宣教師』を見ました。 島国日本の中世・近世に興味津々、益々調べたくなります。 

『キリスト教勢力が世界制覇、信長は石山本願寺をキリスト教で鉄砲を得、キリシタン大名高山右近の力借りた。 

聖職者の宣教師たちが なぜ、軍事物資を利用してまで、布教を行っていたのか? その背景にあったのは、世界の覇権を巡る争いで、スペインなど、ヨーロッパの強大なキリスト教勢力に対して、オスマン帝国に代表される、イスラーム教の勢力

両者が激突し、キリスト教勢力が勝利を収めたのが、1571年『レパントの海戦』

日本にやって来た宣教師たちは、軍事物資の取引を通じて、天下統一にまい進する信長と、タッグを組んだ。

『レパントの海戦』

ギリシャ西岸のレパント(Lepanto)沖で,スペイン・ローマ教皇・ベネチアの連合艦隊がオスマン帝国海軍を撃破した戦い。

戦国時代 仏教勢力の中心となったのは、大坂の石山本願寺。 信長の、最大の敵となり、10年に及ぶ死闘を繰り広げます。 石山本願寺は、各地の大名と連携し、信長包囲網を形成。 その勢力は 信長軍を、はるかにしのいでいました。

リスボン大学 ペドロ・コレイア
過激な理論だが、改宗は精神を征服すること。つまり心を支配することで、ヨーロッパ型の思想や社会を広めようとした。 『我々には、日本を征服する権利がある。 日本布教長 フランシスコ・カブラル。  信長をキリスト教に改宗させる。 そうすれば日本人を素早く、キリスト教に改宗させられる。 布教の妨げになる仏教勢力を排除し、日本人を改宗させようとしていました。デウス様のみが国を支配する力がある。』
 

セビリア大学 ファン・ヒル
信長をキリスト教に改宗させることは、信長にとって、それは天下統一のためでした。 キリスト教勢力が力を増すことは、秩序も乱すリスクでもあった。 信長は、仏教勢力に対抗するための駒として、リスクに目をつむっていた。
一方の宣教師は、仏教勢力を倒す策を巡らせていました。 聖イグナシオ洞窟教会のレリーフに描かれているのは、キリストの信仰に人生を捧げた人です。 フランスの国王、スペインの総督、日本の右近殿。 カギを握った日本人が描かれていました。 キリシタン大名 高山右近 右近は 石山本願寺に近い、大坂の摂津の領主

ウエブ情報から引用

1614年、加賀で暮らしていた右近は、徳川家康によるキリシタン国外追放令を受けて、人々の引きとめる中、長崎から家族と共に、マニラに追放された。


記録によれば、1578年、宣教師は 右近に接触し、苦戦を続ける信長を支援するよう、説得していました。 右近を中心に1万人を超える、キリシタンの援軍を得た信長軍。 最大の敵をついに破り、天下統一へ まい進してゆくのです。
 

宣教師は 予想を超える、日本の軍事的発展を、驚きをもって記しています。 その最大の変化は、ヨーロッパから伝わった鉄砲。 国産化が進む中、急速な技術革新が生じていました。

昭和女子大学 田中眞奈子
こちらは、国友の火縄銃です。 放射線で透視した銃身の断面を比較すると、海外産と比べ国産は、不純物が均等に分散し、銃身の強度が安定している。 その秘は鍛造と呼ばれる、技法で日本刀の製作で、磨かれたものでした。 弾を発射する時、火薬を大量に詰めても、銃身がゆがむことはなく、その爆発力を弾丸に伝えます。

更に日本では、この進化した鉄砲の大量生産も、進められていました。 堺の町で鉄砲の製造について記された、2万点の古文書が見つかりました。 注目したのは 鉄砲を作っていた職人たちのリスト。 銃身から 台座 火蓋まで、パーツごとに分業制がとられ、鉄砲の大量生産が行われていたと考えられています。 戦国日本にあった鉄砲の数は、30万丁といわれ、世界一の銃大国になったとされています。 

宣教師たちは、強大な軍事力を持っている、日本の力は利用する価値がある。 戦国日本をより大きな世界戦略に、組み込もうとしていたのです。 「スペインの征服王と呼ばれた フェリペ2世が、ポルトガルを併合し、巨大な帝国が誕生した。」 当時スペインは 無敵艦隊と呼ばれる、130隻の軍艦を持ち、世界有数の海軍力を、誇りました。

解読が進む宣教師の機密文書。 
スペイン帝国に宛てた報告書が、残されていました。
「我々の最大の目標は、
と呼ばれた中国の征服(*)である。 アジア征服のため、日本の軍事力を利用しようとする宣教師。 宣教師がもたらす軍事物資を使って、天下統一を目指す信長。 しかし 両者の蜜月は終わりに近づいていきます。」

ペイン帝国に宛てた報告書が、残されていました。
「我々の最大の目標は、
と呼ばれた中国の征服(*)である。 アジア征服のため、日本の軍事力を利用しようとする宣教師。 宣教師がもたらす軍事物資を使って、天下統一を目指す信長。 しかし 両者の蜜月は終わりに近づいていきます。」
 

と呼ばれた中国の征服(*)

信長はこのスペインの『と呼ばれた中国の征服(*)』を知っていたかどうかが興味津々、今後の課題です。 この一見、気宇壮大に見えた秀吉の『「信長の先取性・先見性に、刺激受けた唐・天竺までと、無理難題の半島・大陸進攻へ」』で、豊臣政権の崩壊に進みました。 徳川政権は、鎖国(貿易を管理・統制・制限の)へと転換しました。 ここにも『織田がつき 羽柴がこねし 天下餅 座して喰らふは 徳の川』の狂歌に尽きます。 徳川を『徳の川』と気遣っています。

(記事投稿日:2022/09/26、#577)

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『海外の古文書が日本史の謎を解く(手紙・日記等)から解る 1』 『宣教師は植民地主義の拡大の中で、情報収集・報告機能を見事に』

2022-09-25 14:43:42 | 歴史・日本

『海外の古文書が日本史の謎を解く(手紙・日記等)から解る 1』

『宣教師は植民地主義の拡大の中で、情報収集・報告機能を見事に』

『日本の信仰・宗教は、自然崇拝の八百万の神から神道、外来宗教へ』

 

NHKスペシャルのタイトル『戦国~激動の世界と日本~第1集 秘められた征服計画 織田信長×宣教師』を見ました。 島国日本の中世・近世に興味津々、益々調べたくなります。

ウエブ情報から引用

『世界各地で「日本の戦国時代」に関する発見が相次ぎ、大航海時代のヨーロッパと日本が強く結びつき、地球規模で歴史を揺るがしていた事実が明らかになってきた。 第1集は、織田信長と豊臣秀吉の時代。 ヨーロッパの16世紀の文書が公開され、信長・秀吉と、来日したキリスト教の宣教師、そして背後にいたポルトガルやスペインとの深い繋がりが見えてきた。 それぞれの思惑と、熾烈な駆け引きを描く。』

 

『長篠の戦いで使われた織田軍の銃弾には海外(タイ)産の鉛が使われていた。 イエズス会の宣教師が本国からの指令を受け、布教の後押しを見返りに、国内で調達困難な鉛などの軍需物資を提供していたというのだ。 大航海時代の、死の商人といったところか。 イエズス会の記録によれば、こうした取引に(豊臣)秀吉は反対していたという。 宣教師たちは日本征服を企んでいるとにらんでいたからだ。 しかし、(織田)信長は意に介さず、彼らとの取引を続けた。 信長は鉄炮を量産させており、鍛造技術による革新的な日本製火縄銃の優位性と殺傷能力の高さに自信をもっていた。』

 

この番組を見て初めて知ったこと。

群雄割拠の日本の戦国時代は、覇権争いの内戦ではなく、世界史の大きな流れの中に巻き込まれていた。 織田信長や豊臣秀吉の野望と、ヨーロッパからやってきた宣教師たちの狙いが、それらが交錯して、激動の戦国時代に影響していた。

 

宣教師フランシスコ・カブラルが織田信長に接近、鉄砲の弾はタイ産

(こんな『ネットワーク・サプライチェーン』の存在に驚き)

今 世界各地で、戦国日本に関する発見が相次いでいます。 注目されているのが、日本にやって来た、キリスト教の宣教師たちの機密文書。 宣教師たちは、壮大な征服計画を、持っていました。 それが戦国日本の戦いや、天下統一への歴史を左右していた。 キリスト教カトリックの総本山から、戦国日本に関する貴重な史料の撮影が、特別に許可されました。

記録では1549年宣教師のザビエルが来日。
宣教師には、全世界をキリスト教の国にするという、大きな使命があり、達成するため、宣教師が極秘の情報活動をしていたことが、明らかになってきました。 各地の日本人キリシタンと協力して、広大な情報網を築き、戦国武将の動向を探っていた。 情報網を取りしきっていた、宣教師の名前はフランシスコ・カブラル。 ザビエルから数えて3代目の宣教師のリーダーでした。

カブラルは 布教の拡大を図るため、次々と戦国武将への、接触を試みていた。
その中で 最も有力な候補者と考えたのが、織田信長でした。 信長が天下統一に向け 大きく飛躍した、長篠の戦いです。
信長の鉄砲と 武田の騎馬の戦いだといわれてきましたが、鉄砲対鉄砲の戦いでもあったのです。何が両者の勝敗を分けたのか?

戦国時代の弾丸でした。 合戦当時の陣形や見つかった場所から、信長軍の鉄砲玉と推定されました。 帝京大学 客員教授 平尾良光は。この鉄砲玉の素材は 鉛。 当時の日本では極めて貴重な金属でした。 鉛の成分を解析した結果、信長軍の弾丸は、日本から4,000km離れた、東南アジアのタイ鉱山で、産出した鉛でした。

海外の鉱山まで伸びる,この鉛のネットワーク・サプライチェーンこそが、信長の勝因の一つだったのです。 イエズス会ローマ文書館に、宣教師の記録があり、カブラルは、布教を後押ししてもらうため、軍事物資である鉛の取引を、行っていたと考えられています。 

 

リスボン大学歴史センター准教授ペドロ・コレイア

信長への軍事支援と布教をカブラルは結び付けていた。 天下統一したければ、キリスト教を支持せよ。

日本に軍事物資を運んだのは、ポルトガルの交易船でした。(沈没船調査2014年 オマーン)沈没した交易船の調査で見つかったのは 大量の弾丸。
そして ヨーロッパで作られた鉄砲。 長篠の戦いで 宣教師の力を借りて、宿敵 武田家を打ち倒した信長。

 

織田信長がキリスト教を保護してまで南蛮貿易を続けた4つの理由

南蛮貿易とキリスト教の布教がセットだった

火薬の原料になる輸入品「硝石」をおさえたかった

南蛮貿易で上がる莫大な利益

寺社勢力をけん制したかった

この後の、日本の中世史・戦国時代を見ると、織田・豊臣・徳川時代は、まさに『織田がつき 羽柴がこねし 天下餅 座して喰らふは 徳の川』という落首のように、織田信長の『先見性・先取性』には驚くばかりです。

      (記事投稿:2022/09/25、 #576)

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『自然の不思議・樹木のこと 5(インドの生きている橋)』 『住民たちが生きたゴムノキの根を、編み込み橋を架けた!』

2022-09-25 12:02:34 | 植物・花

『自然の不思議・樹木のこと 5(インドの生きている橋)』

『住民たちが生きたゴムノキの根を、編み込み橋を架けた!』 

先日2022/09/25)の日経新聞のThe STYLE欄で見つけました『生きている橋』

ウエブ情報から引用

この写真の撮影者の苦労『木の根でつくられた「生きている橋」。 照明を駆使し、長時間露光で撮影した。』が良く分かりました。

『生きているの橋』とは、生きている樹木の根により作られた、簡易な吊り橋の一種。 北東インドのメーガーラヤ州の南部で見られる。 根の橋は、シロン高原の南部に沿った山岳地帯のカーシ族とジャインティア族によって、インドゴムゴムノキの『気根(*)』から手作りされている。 根の橋の多くは海抜50〜1,150mの温暖湿潤気候の広葉樹林の急傾斜地に生育している。

『気根(*)』植物の地表に出ている茎あるいは幹から出て、空気中に現れている根。 ゴムノキ・タコノキ・トウモロコシなどにみられる。

『生きているの橋』は、それを形成する元の樹木が健康である限り、自然に太く、強くなる。 木の寿命が尽きるまで新しい根が成長する可能性があり、橋を維持・強化するためには剪定や手入れをしなければならない。 ひとたび成熟すれば、50人以上の人が渡れるし、最長で150年の寿命を持つこともある。 積極的な手入れをしなければ、多くの場合、崩壊したり、野生化して、使えなくなる。

この橋を架ける準備が凄い。 先ず両岸にゴムノキを植え、15年から30年かけて竹製の仮の足場に沿って、その根を這わせ橋を架ける。 やがて湿度と歩行にうえが固められ根は絡まりあって太く強くなり、この構造は年を経るごとに弾力を増し、最長で150年の寿命を持つこともあるそうです。 

中国の人口14.3億人を、現在14.1億人の「IT大国」のインドは、来年にも抜きそうです。 『生きている根の橋』の維持・活用同様に自然との共存も上手くできているようです。

(記事投稿日:2022/09/25、#575)

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『守りたい・残したい田園風景 1(秋田県象潟地域 九十九島)』 『かって、日本各地の田園風景に、似たような風景がありましたが!』

2022-09-20 23:08:10 | 田園・山里風景

『守りたい・残したい田園風景 1(秋田県象潟地域 九十九島)』

『かって、日本各地の田園風景に、似たような風景がありましたが!』

 

九十九島

鳥海山のふもとに点在する103あまりの島々が田園地帯に浮かんでいるように見える象潟(きさかた)(*)独特の風景です。

ウエブ情報から引用 

象潟(きさかた)(*)

秋田県にかほ市象潟地域の地形で、現在は平地だがかつては潟湖(せきこ)(*)で、それを象「潟」と呼んだ。 国の天然記念物で、鳥海国定公園の指定地。 また、2014年3月26日より、おくのほそ道の風景地の一つとして国の名勝にも指定されており、おくのほそ道最北の地と銘打たれている。

 

潟湖(せきこ)(*)
砂嘴 (さし)、砂州、沿岸州などによって海の一部が外海と隔てられてできた湖沼。 秋田県八郎潟、静岡県浜名湖など。 潟(かた)。 ラグーン。

 

九十九島の由来は、海に面した鳥海山にあります。 山頂付近の地形を見ると、北に開いた馬蹄形の窪み(東鳥海馬蹄形カルデラ)があることがすぐわかります。 これは、紀元前466年におきた山体崩壊の跡です。 この巨大崩壊は、「象潟岩屑なだれ」と呼ばれ、白雪川に沿って一気に流下し象潟平野に達し、先端は日本海に突入しました。 その時、山頂から滑り落ちてきた巨大岩塊の集積で「流れ山」と呼ばれる小山の集まりが、東西1km南北2kmにわたり海の中に浮かぶ入り江を形成しました。 これが、象潟の原形「九十九島」です。
さらに1804年、象潟大地震がおこり、約2m以上隆起して、干潟(陸地)になり現在の姿となりました。 国指定天然記念物「象潟」(九十九島)の絶景は、道の駅「ねむの丘」展望室から一望できるそうです。

 

山形県長井市(平野)

典型的な散居集落であり、季節風をさえぎる屋敷林の中に、茅葺屋根・白壁土蔵や池が今も数多く残り、素晴らしい農村景観を形成している。

ウエブ情報から引用

 

明治時代から続く『耕地整理』と、第二次大戦後の『農地改革』の二大改革で、

このような風景は、大分減りましたが、農業は大幅に改善されました。

 

『耕地整理』

耕地整理法は1899年(明治32年)制定され、1900年(明治33年)に施行された。 当初、耕地整理の事業目的は「耕地の利用を増進する目的を以て、その所有者共同して土地の交換若は分合、区画形状の変更及道路、『畦畔(けいはん)』(*)若は溝渠の変更廃置を行うことを謂う」(同法第一条)とされた。 交換分合による分散所有地の集団化、一枚一枚の区画の「正形」化と「広閲」化、道路の直線化等による既耕地の耕作、適作の便の改良が目的として示された。

『畦畔(けいはん)』(*)

水田に流入させた用水が、外にもれないように、水田を囲んで作った盛土等、の部分のこと。

 

『農地改革』

農地の所有制度を改革すること。 特に第二次大戦後,1947(昭和22)~50年にかけて GHQ の指令によって行われた日本農業の改革をさす。 不在地主の全貸付地と,在村地主の貸付地の保有限度(都府県で平均一町歩,北海道で四町歩)を超える部分を国家が買収し,小作農に売り渡し自作農化した。 また,物納小作料を金納化するなどの改革が行われ,旧来の地主・小作制度は解体された。

 

それでも、最近の日本の食料自給率38%と低い数値になっており、単純に考えると日本国内の食べ物の6割以上を輸入に頼っていることになります。 さらに深刻な状況は、瑞穂の国・日本は『仮想水』輸入大国です。

 

その瑞穂の国・日本には「猫の目農政」と呼ばれた平成の米政策

1995年に食糧管理法を廃止し、新たに「主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律(食糧法)」が制定。 それまでの国による全量管理から民間主導の仕組みへと大きく移行しました。 一方、米の消費は減少し続け、生産調整の取り組みへの閉塞感も募っていきました。 そこで、2004年から米政策改革を実施。需要に応じた生産数量目標(米を作る面積)を配分する方向に転換しました。
2009年に民主党が政権を奪取すると、日本の農政史上初となる米への補助金「戸別所得補償」を掲げ、10アールあたり15,000円の交付金が支給されました。 しかし、2012年に自民党政権が復帰すると、2014年1月末の施政方針演説で当時の安倍晋三首相が「いわゆる減反を廃止する」と宣言。このようにめまぐるしく転換した平成の農政は「猫の目農政」とも呼ばれました。

 

美しい田園風景を見ても、即、頭をめぐることは、低い食料自給率と仮想水輸入大国です。 この二点だけの改善でも、大きな基本的な課題が立ち塞がります。 縦割り多組織と、多機能と、多規制です。 目の前のできることから、やっていきましょう。

(記事投稿日:2022/09/20、#574)

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