知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

興味のあることは、何でも調べて文章にする。   写真は「光と影」と言われるが、この理解には、まだまだ、ほど遠い.

『ジェンダーギャップなど超越、活躍した女流日本画家・上村松園』 ―女性の目を通して美人画を描1948年女性初の文化勲章を受章―

2021-05-15 15:41:24 | 絵画

『ジェンダーギャップなど超越、活躍した女流日本画家・上村松園』

女性の目を通して美人画を描き、1948年女性初の文化勲章を受章―

 

日経新聞(20210514)の社会欄にありました。 『上村松園作品 100年ぶりに発見』、行方不明の『清少納言』。 長いこと、大変失礼をいたしておりました。この方を、男性の日本画家だと思っておりました。

 

先ずは、プロフィール・ウエブ情報です。

上村 松園(うえむら しょうえん)1875年4月23日 - 1949年8月27日は、日本画家。 本名は上村 津禰(うえむら つね、「禰」は「示」偏に「爾」)、常子(つねこ)と名乗っていたこともある。 明治の京都下京に生まれ育ち、女性の目を通して「美人画」を描いた。 1948年(昭和23年)女性として初めて文化勲章を受章。 子の上村松篁、孫の上村淳之と3代続く日本画家である。

 

発見されたのは、1917年~18年ごろに描かれたとみられる『清少納言』という作品。 平安時代の作家・歌人である清少納言が中宮定子の問いかけに応えている様子を描く、枕草子のエピソードにちなんだ作品だ。 この作品を所有している名古屋市内の画廊経営者は、『松園は40年以上にわたり何度か絵の材料に清少納言を選んできた。 男性中心の画壇に生きた女性画家として、清少納言に自身を重ねてみていたのではないか』と語った。

 

  • 「清少納言」 1892年

ウエブ情報から引用 

他の代表作品

  • 「母子」(重要文化財)1934年

ウエブ情報から引用

  • 「序の舞」(重要文化財2000年 「なにものにも犯されない、女性のうちにひそむ強い意志」を、静かなうちに凛として気品のある仕舞「序の舞」を通して描いている。絵のモデルは上村松篁の妻(上村淳之の母)の未婚時代の姿である。 松園をモデルにした宮尾登美子の小説の題名にもなった。

ウエブ情報から引用

この方は、明治・大正・昭和を通じて美人画を描き続けた女流日本画家です。 彼女は、「一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香高い珠玉のような絵」、「真・善・美の極致に達した本格的な美人画」を常に念頭に置いて作品を作っていたそうです。 ジェンダーギャップ・男女格差などのノイズの中で女流日本画家の素晴らしい作品を堪能できました。

             (記事投稿日:2021/05/15、#334)

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『映画界のスーパースター・石原裕次郎さんの知られざる一面』 ―アクションも、文芸もの映画も、さらには読書・絵画へも―

2021-05-15 11:36:21 | 映画

『映画界のスーパースター・石原裕次郎さんの知られざる一面』

  ―アクションも、文芸もの映画も、さらには読書・絵画へも―

 

スーパースターの売り出し初めたころに夢中になり、アクションものを見慣れたころに、文芸もの『陽の当たる坂道』や『あいつと私』などにも出演しています。 これのどちらかに共演した吉行和子さんには所属の劇団民芸から『ブルジョアを描いた映画に…』と文句が出たほどでした。 

 

その、ずっと後のことですが、映画界の転換期で、『黒部の太陽』を大成功させたのは宇野重吉さんと劇団民芸のバックアップもありました。 宇野重吉さんと石原裕次郎さんとのつながりも、『五社協定』への挑戦と、『黒部の太陽』という大作映画のことを話し合ったことからだったと聞いております。 この世界は誠に大変な世界です。

ウエブ情報から引用

 

表題に戻ります。

日経新聞(20210515)の木村凌二氏の『半歩遅れの読書術』の抜粋です。 裕次郎さんの愛読書ですが、ヘミングウェイの著作とともに、あげたのが福永武彦氏の『草の花』(新潮文庫)だそうです。 この本は『サナトリウムに入院していた汐見茂思が残した2冊の手記』。 この青年は、未発達で危うい肺葉摘出手術を無理に志願して、術中に死んでしまった。 これは合法的な自殺にも思われた。 

 

1冊目は、戦時中の旧制高校の寮生活や合宿生活のなかで、年下の美少年への愛情ともいえる友情が語られている。 最後は『僕は、・・・汐見さんのことが怖いんです』と言って美少年は去っていった。

 

2冊目は、まだ召令状が来ない汐見は、死の恐怖感やキリスト教の信仰などについて恋人と語り合ったりした。 その後、夏の休暇に浅間山の麓の林での中で結ばれるが、自己を見つめる理性が妥協なき潔癖さに追い込み情熱の焔に勝り、恋人も失うことになる。

 

日本文学では稀な、優れて知的な青年を描いた作品でも裕次郎さんは、自分は汐見とは正反対の性格だと思うが、なぜだか汐見の考え方や行動に共感を覚えたらしい。 「孤独感というものが、人間の魂の成長にどんなに大切なものか」を教えてくれたテキストだったともいう。

 

さらに、シュールリアリズムの画家ダリの作品が好きだと裕次郎さんは語っている。 自身が高校時代に描いた絵も寂寥感のあるダリの絵を彷彿させると言っている。 

 

この不出世の大スターには、今まで知らなかった面が多々あることですが、石原裕次郎さんの場合の、長い間、想像もできなかった面を知りました。

                             (20210515纏め、#333)

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