『外国・スペインのミカンの街路樹、収穫する機械化が凄い!』
『大量のミカンの収穫が短期間に集中するので対応に苦慮するも、定期的な剪定と根本の手入が十分で、雑草は生えていない』
『日本の街路樹の多くは、剪定も不十分で根本にドクダミやスギナ、クローバーなどが地下茎で増える雑草の繁茂ケースが多い、この根絶やしは大変』
マヤ文明、アステカ文明、インカ文明といったアメリカの文明を征服が、莫大な金や銀の富をスペインにもたらし、豊かなスペイン帝国となりました。 その豊かなスペインが街路樹に植えたミカンの果実が多用途利用されています。
- 輸出先英国でグランマニエ、コアントロー、マーマレードに加工され、皮はビターズに。
- 果汁は下水処理場の消化槽に送られ、消化槽内に存在するバクテリアによって有機物が分解される。
- オレンジから排出されるメタンガス、そして、バイオマスから気体燃料となり発生したメタンガスは、電力発電の燃料として活用。
それでも、セビリア市は大量に残ったオレンジを処理する方法を、いくつも模索している。
さて、日本ですが、休耕田まであります。 カロリーカロリーベースの食料国産率は、およそ50%です。さらには、余談ですが、日本人1人あたりで計算するとおよそ50万リットルの仮想水輸入量は世界一と考えられるという。 一般的に、穀物と畜産物では、仮想水の量は畜産物のほうが多くなる。 脊梁山脈と急流の河川ですが、何とか畜産業を育成ができないものかと祈念してます。
日本の一般の街路樹は、大半が手入れ不十分で悲惨な状況です。 日本の街路樹果実事情は、まだまだのようです。
「街路樹にフルーツが成る樹を植えたらいいのに」という着想は時々実行されるようで、例えば、青森市にはリンゴ並木が何カ所かあるようです。 しかも、結実すると袋掛けして育て、熟せば市民が自由に獲って食べられるらしいです。
リンゴの街路樹として有名なのは、長野県飯田市。 1947年に大火が発生した後、中学校の生徒が防火帯としてリンゴ並木を提案し、1953年に植樹したのが始まり。 現在、約400mのリンゴ並木があり、飯田市のシンボルになっています。
表題『外国・スペインのミカンの街路樹、収穫する機械化が凄い!』に戻ります。 この機械はバイブレーション・振動で、ミカンを落とす。
ウエブ情報から引用
歴史を遡れれば、オレンジは遠くの原産地アジアからヨーロッパに入り、今度はスペインの宣教師たちが新大陸に持ち込んだオレンジを19世紀半ばに交配して作り上げた新種、当時甘いオレンジの産地として有名だった名前を冠しバレンシア・オレンジとしました。 いまでは里帰りしてスペインのバレンシアでアメリカ産バレンシア・オレンジが栽培されています。 オレンジの伝播は『アジア ⇒ スペイン ⇒ アメリカ ⇒ スペインに』と数奇な歴史がありました。
ここで、オレンジの伝播の歴史を振り返り、日本の街路樹の保全と今後の対策を想像してみたいと思います。
オレンジはその昔、アラブ人がイベリア半島へ持ち込んだものです。 もともとは、ハーレムに植えて香りを楽しんだり、鑑賞用とされていました。
原産は、インド・ヒマラヤ山麓の高原地帯、野生の柑橘からスイートオレンジが誕生し、それが中国南部まで伝わります。 15世紀の大航海時代、東洋にやってきたポルトガル人により、ヨーロッパへ伝えられました。 その後、地中海品種として「バレンシアオレンジ」が生まれたのです。
19世紀、地中海品種のオレンジが、新大陸アメリカへ渡りました。 カリフォルニアとフロリダに伝わったものから、突然変異で生まれたのが「バレンシアオレンジ」です。
ポルトガルとスペインを含むイベリア半島は三方をそれぞれ大西洋、ビスケー湾、地中海と海に囲まれていて、カリブ海やメキシコ湾から大西洋を渡って流れてくる暖流と閉ざされていて暖かい海である地中海のおかげで温暖な気候に恵まれているのです。
(記事投稿日:2024/10/16、#969)
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