礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

柳田國男、内郷村でイチコや御師のことを聞き取る

2012-09-29 05:52:34 | 日記

◎柳田國男、内郷村でイチコや御師のことを聞き取る

 柳田國男は、雑誌『土俗と伝説』の第二号(一九一八年九月)に、「津久井の山村より」という文章を寄せている。冒頭に、「内郷村へ来てから、今日で三日になる」とあるので、一九一八年(大正七)八月一七日に書き、すぐに投稿したものと考えられる。
 とりあえず、その前半部分を引用してみよう。

○津久井の山村より 内郷村へ来てから、今日で三日になるが、まだいくらも御報告申すやうな事がない。此村で、オソウテンサマと云ふは、台所の一隅、高所に在る小さき神棚、他地方の荒神〈コウジン〉さまのやうである。此郡根小屋村〈ネゴヤムラ〉に住むイチコといふ者が、毎年暮に、人を近郷に廻らせて配布する絵札を、此に貼つて置く。鳥居の前に、仕丁〈シテイ〉が馬を曳く所で、御乗込ミとて、其馬の首が内に向ふ様に貼りつけるを、よいとして居る、此イチコは、頼まれて近村の祭に来り、神楽〈カグラ〉・湯立〈ユダチ〉を勤むる家筋である。口寄せもするか否かは確かで無いが、外法箱〈ゲホウバコ〉をかかへ、地獄のたよりをお聞きなされぬか、と言つて奨めてあるく住所不定の口寄せイチコとは、全く別の者である。根小屋のイチコは、同時に又「エビス大黒」の札をも配らせる。「エビス大黒」は二組は受けぬものだといひ、又仮令〈タトイ〉土でくのエビス大黒でも、既に在る家では此御札はことわつて受けぬ。此村では、以前は助郷〈スケゴウ〉の伝馬〈テンマ〉を出し、又駄賃づけの馬も、若干飼つて居たが、今でば、殆〈ホトンド〉牛ばかり飼ふやうになつて居る。それにも拘らず、昔の馬神信仰が、形ばかり残つて居るので、此他に又単に、飾馬だけを版絵にした、津島の絵札がある。今でも、毎年尾張の津島から、鬚〈ヒゲ〉の長い御師〈オシ〉が巡つて来て、此札を置いて行くのを、牛舎の戸に、又は牛馬なき家の入口にも、貼つて置く。此御師が贋物〈ニセモノ〉でない証拠は、今でも此社に参詣の村民が、御師の家を宿坊にして居ることである。此外に、武州御獄〔ママ〕・此国阿夫利山〈アフリヤマ〉からも札を配る。伊勢と富士とは、昔は来て、今は来なくなつた。伊勢の御師は、萬金丹売〈マンキンタンウリ〉となつて、今でも毎年来る。
 此外に、オヒジリと調つて、色々の物を背に負つた者が、今も高野〈コウヤ〉から来る。子供は、此をヤトウカと呼び、怖い者にして居る。婦女月水除(グワツスヰヨケ)の御札、其他不浄よけの守りなどといふものを配り、随分よく人を騙す〈ダマス〉もの、と評判せられて居る。【後略】

 ここでの柳田の関心は、イチコ・御師などの民間信仰である。おそらく調査開始と同時に、村民に対し、これらについての聞き取りを試みたのであろう。
 イチコというのは、イタコあるいは巫女〈ミコ〉とも呼ばれ、神に仕えて神託を告げる女子をいう。柳田は、雑誌『郷土研究』に、十二回にわたって「巫女考」〈フジョコウ〉という論文を連載している(一九一三年三月~一九一四年二月)。内郷村においても、やはり、このあたりのことが気になったのであろう。
 御師というのは、特定の寺社に所属して、参詣人の参拝・宿泊の案内をする者をいう。一般的には〈オシ〉と読むが、伊勢神宮の場合は〈オンシ〉と読むらしい。
 この村に、相模の大山阿夫利〈オオヤマアフリ〉神社や武蔵の御嶽山〈ミタケサン〉の御師が来るのは不思議でないが、尾張の津島神社から御師が来ているとか、村民が津島神社まで参詣に行っているというのは意外だった。

今日の名言 2012・9・29

◎時折、先生の夢を見ます

 歌人・福島泰樹さんの言葉。本日の東京新聞「追憶の風景」欄より。福島さんは、小学生の時の恩師・福田義男先生に、新著と手紙とを送った。「坂本小学校でお世話になりました六年二組の福島であります。幼童も六十六歳になりました。時折、先生の夢を見ます」。しかし、宛先不明で送り返されてきたという。福島さんが語る福田先生の思い出は、読者の胸を打つ。

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