◎神戸事件の主人公・瀧善三郎と備前金川
今月一〇日のコラムで、岡山県の金川〈カナガワ〉駅のことに触れた。金川駅については思い出がある。『攘夷と憂国』(批評社、二〇一〇)を執筆していた二〇〇九年の七月某日、「瀧善三郎義烈碑」を訪ねるため、この駅で下車したことがあった。
その日の朝、岡山駅で三二〇円の切符を買い、JR津山線に乗りこんだ。単線のローカル線で、ディーゼル車が牽引していた。岡山駅から数駅ゆくと、あっという間に田舎の光景となる。さらにゆくと線路はかなりの急勾配となり、線路の両側に山が迫る区間が続く。いくつか無人駅に停車したあと、ようやく金川駅に着いた。
金川駅で年輩の駅員に、「七曲〈ナナマガリ〉神社」の位置を尋ねるが、聞いたことがないという。とりあえず駅前広場に出ると、観光地図があった。「瀧善三郎義烈碑」の大きな文字があるではないか。同碑は、七曲神社の境内にあると聞いてきたが、神社そのものは、地元でもあまり知られていないようだ。位置を確認して歩きはじめた。
数分歩くと、宇甘川〈ウカイガワ〉にかかる橋がある。橋をわたったあと、交差点を左折し、しばらく歩くと右側に立派な寺院が見え、その手前にちょっとした空地があった。その奥に石碑らしいものが見えるので近寄ってみると、これが目指す「瀧善三郎義烈碑」であった。七曲神社は、同碑の左側にある階段を登ったところあるらしい。ちなみに、隣接する寺院は、日蓮宗不受不施派の総本山・妙覚寺である。
碑の上部には、篆書〈テンショ〉で「義烈碑」の三文字がある。備前藩池田家一五代当主・池田宣政〈ノブマサ〉(一九〇四~八八)による篆額〈テンガク〉である。その下に本文がある。持ってきたコピーを見ながら、字句を確認する。この本文は、『攘夷と憂国』にも引用したが、次のような文章であった。
義 烈 碑
瀧善三郎正信君義烈碑 貴族院議員正四位侯爵 池田宣政篆額
瀧善三郎正信君ハ備前藩国老日置帯刀ノ家臣ニシテ禄百石ヲ食ム人ト為リ胆勇ニシテ気節アリ夙ニ武芸ニ精進シ特ニ砲術ニ長セリ偶慶応三年十二月我備前藩ハ摂津西宮ノ警備ヲ命セラレ同四年正月帯刀藩命ヲ奉シ兵ヲ率ヰテ任所ニ赴クヤ君ハ砲隊長トシテ前隊ニ在リ十一日神戸ニ達シ居留地附近ヲ通過ス時ニ外人数名我制止ヲ肯セスシテ隊列ヲ横断シ或ハ短銃ヲ擬シテ我ヲ威嚇ス隊士憤激鎗ヲ揮ヒテ之ヲ刺ス創浅クシテ遁逃セシカハ砲ヲ発ツテ追撃ス英国公使之ヲ目撃シ直ニ公使館守衛ノ英兵及米仏ノ水兵ヲ出動セシム我隊亦之ニ応ス帯刀事変ノ拡大ヲ憂ヒ全隊ニ令シテ山手ニ避ケシム公使等敵意アルモノトシ陸戦隊ヲシテ居留地ヲ警備セシメ或ハ要所ヲ扼シテ兵士ノ往来ヲ禁シ又港内ニ碇泊セル諸藩ノ洋式船舶ヲ抑留セリ時恰モ 皇政復古ニ際シ 朝廷大ニ慮ル処アリ折衝ノ結果漸ク神戸ノ戒厳ヲ撤セシメ発砲ノ下知者ニ切腹ヲ命スルコトニ決セリ是ニ於テ君ハ潔ク責ヲ負ヒ二月九日夜兵庫永福寺ニ於テ徴士参与外国事務掛伊藤俊介以下関係者及英仏普伊米蘭公使館員検証ノ下ニ従容トシテ自裁ス時ニ年三十二ナリ其悲壮ナル光景ハ列座外人ノ胆ヲ奪ヒ日本武士道ノ精華ヲ発揮セリ而シテ君ノ一死能ク維新最初ノ国際問題ヲ解決シ以テ 宸襟ヲ安ンシ奉ルヲ得タリ藩主池田茂政公特ニ嗣子成太郎ヲ本藩ノ士籍ニ列シ五百石ヲ給ス実ニ異数ノ恩遇ナリ頃日金川町長葛城最太郎氏有志ト胥謀リ碑ヲ君ノ郷里臥龍山下ニ建テテ義烈ヲ不朽ニ伝ヘント欲シ来リテ余ニ文ヲ求ム余不文ト雖君ノ英風ヲ欽慕スルノ念切ナリ乃欣然筆ヲ援キテ慨略ヲ記ス
皇紀二千六百年 侯爵池田家嘱託 従六位 蔵知 矩 撰文
昭和十五年十一月九日 李王職事務官 従六位薫六等 葛城末治 書冊
この碑は、慶応四年(一八六八)に神戸で起きたいわゆる「神戸事件」の責任をとって切腹した備前藩士・瀧善三郎(一八三七~六八)を記念して建てられたものである。神戸事件というのは、備前藩兵と外国兵の衝突事件をいう。詳しくは、『攘夷と憂国』第七章「神戸事件の本質」を参照されたい。
碑文の確認を終えたあと、階段を上って七曲神社に参拝。神社からは、隣の妙覚寺が見下ろせる。いったん階段を降り、さらに妙覚寺も参拝する。
日蓮宗不受不施派といえば、江戸時代には「禁教」とされ、切支丹〈キリシタン〉と同様の弾圧を受けた宗派である。その総本山である妙覚寺は、一見したところ、普通の寺院と変わらない。とはいえ、墓地の一番上までやってくると、さすがに張りつめた空気を感じさせる空間があった。信仰を守ろうとして死んだ僧侶・信者の供養塔が並んでいる一画である。
神戸事件の責任をとって死んだ瀧善三郎の碑のすぐ近くに、不受不施派の信仰を守って死んだ人々の供養塔がある。その暗合に驚きながら、妙覚寺をあとにする。持参した地図によれば、妙覚寺のすぐ先に、御津町〈ミツチョウ〉郷土歴史資料館があるようなので、行ってみたが、折悪しく休館日であった。ちなみに、当時の御津は、すでに御津郡御津町ではなく、岡山市北区御津となっていたはずである(二〇〇五年、岡山市に編入)。地図には「御津町郷土歴史資料館」とあったが、実際の看板にどう書かれていたかは記憶していない。
取って返して、岡山県立岡山御津高校方面に向かう。根本克夫氏の『検証神戸事件』(創芸出版、一九九〇)によれば、瀧善三郎の生家は、「県立金川高校の正門辺り」にあったという。岡山御津高校(旧称・金川高校)の敷地は、宇甘川が旭川〈アサヒガワ〉に合流する場所に位置している。その正門あたりをぶらついてみたが、ごく普通の民家が建ちならんでいるだけで、往時を偲ばせるようなものは何もなかった。
今日の名言 2012・9・18
◎自殺の最大の理由は「孤立」ですよ
秋田県山本郡藤里町の住職・袴田俊英さんの言葉。本日の東京新聞「社説」より。袴田さんら町民有志は、10年以上前に、「心といのちを考える会」を立ち上げ、自殺予防の活動をおこなってきた。秋田県は、自殺率(人口十万人あたりの自殺者数)の高い県として知られる。