◎史料だけでは歴史の真実は見えない(新井喜美夫)
一昨日、昨日の続きである。新井喜美夫氏の『転進 瀬島龍三の「遺言」』(講談社、二〇〇八)という本について書いている。
新井氏は、同書において、東急グループの総帥・五島慶太が、ウィリアム・ローガンらアメリカ人弁護人のアドバイスに従って、東京裁判の「裁判関係者」に対し、横山大観の富士の絵を贈ったと述べている。おそらく新井氏が、五島慶太の長男である五島昇から聞いた話であろう。こういうことは、たぶん、この本以外、どこにも紹介されていない。しかし、ありうることである。
太平洋戦争研究会編・平塚柾緒著『図説 東京裁判』(河出書房新社、二〇〇二)によると、日本人弁護団は、一九四七年(昭和二二)二月八日、アメリカ人弁護団を、千葉市川の鴨場の「鴨猟」に招待している。高松宮の斡旋だったという。
アメリカ人弁護団に対して、こうした「接待」がおこなわれていた以上、「裁判関係者」に対して「絵」が贈られるくらいのことは、十分にあっただろうと考える。なお、ウィリアム・ローガンのいう「裁判関係者」の範疇がハッキリしないが、検事やアメリカ人弁護人、場合によっては、判事をも含んでいたのかもしれない。
さて、新井喜美夫氏は、『転進 瀬島龍三の「遺言」』の「まえがき」で、次のように述べている。
歴史には、二つの側面がある。史料に基づく事実と、その時代を生きた人が知る真実と。歴史研究家や歴史学者と称する人々は、史料を重視し、文献に残るもののみを歴史的な事実としている。だが、私の知る限り、史料はときたま嘘をつく。当時と後世の価値基準の違いによって、真実とはほど遠い像がでっちあげられるケースも少なくないからだ。
もちろん、史料も重要だが、私は肉声の歴史も重視し、深い洞察力をもって読み取らなければ、真実は見えてこないと考えている。
この新井氏の考え方に、私は賛同する。しかし、瀬島龍三の「肉声」を通して、歴史の真実を追究しようとした本としては、本書は、期待外れに終わっている可能性がある。本書のありかたとしては、瀬島龍三を前面に出すことなく、むしろ、新井氏自身の「肉声」を通して、あるいは、新井氏がこれまで関わってきたさまざまな人物の「肉声」を通して、歴史の真実を垣間見せる、といった形がふさわしかったのではないか。
新井氏本人、あるいは氏の周辺にいた人物の「肉声」を通して、歴史の真実を垣間見せるというコンセプトの本としては、本書は、むしろ、成功しているのではないだろうか。「横山大観の富士の絵」の話などは、初めて聞く話で、参考になった。また、二七八ページ以下にある「ヒロポン」の話なども、初めて聞く話であった。本書が紹介している、瀬島龍三のさまざまな肉声や逸話にしても、よく読み込めば、意外な歴史の真実が見えてくるのかもしれない。