礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

ヒットラーの惨死を予言していた上野広小路の手相師

2017-05-22 05:26:15 | コラムと名言

◎ヒットラーの惨死を予言していた上野広小路の手相師

 昨日に続いて、『実話雑誌』の一九四八年(昭和二三)新春号(第三巻第一号)を紹介する。本日、紹介するのは、「心霊座談会」という記事である。これは、心霊研究の専門家五名および実話雑誌社の畠山晴行が参加した「心霊座談会」の記録である。表紙に「続心霊座談会」、目次に、「益々佳境に入る」とあるので、前号に続く記事なのであろう。
 
心霊座談会 専門家が語る 霊魂の秘密

 出 席 者 (発声順)
心霊研究家   岡沢 浄吉
僧 侶     羽田 芳流
観相研究家   松永 対岳
霊術研究家   藤村 瑞久
幽霊研究家   道島 真三
  本社側   畠山 晴行

 幽霊子を救ふ
藤村 手相と言へば、戦争中、空襲が激化しない頃、上野の広小路に、堂々とヒツトラーの手相を示して商売してゐた男がゐたが……
畠山 ゐましたね。例の運命線の先が、×印でとまつてゐる、不慮の死、惨死〈ザンシ〉の相を示してゐる、あれでせう?
藤村 さうです。白つぱくれて、これはなんだときゝますとね、へゝゝと笑つてゐて答へない。惨死の相ではないかときゝますと、旦那知つてるんなら聞く必要がないでせう――つて言ふんです。こんなもの出して置いて大丈夫か――つて言ひますと、なアに、軍や政府は思ひあがつてゐて、手相なんて迷信だと思つてますから――つて笑つてたが……
岡沢 関東大震災の時には、二月〈フタツキ〉前に大体わかつたので、僕達は被害を蒙らなかつた。今度はまア、わかるといふよりも、僕は戦争前から山にこもりつきりだつたから……
羽田 今のお住居〈オスマイ〉は?
岡沢 先月迄は高尾でしたが、来月あたりから、関西の方へ行きます。
畠山 此処にお集りの方は、ほとんど住所不定だから困ります。二度と再び、同じ顔ぶれを揃へやうたつて、めつたに出来ないことですから、まア今日は、心ゆく迄語つていたゞくことにします。御承知の如く雑誌も頁がないので、皆様のお話を一度に載せることは出来ませんから、五回にでも六回にでも連載するつもりです。どうぞ充分に、永年御研究又は御体験の秘話を御公開願ひますが、藤村さんは、戦災の方は……
藤村 一ぺんだけ、経験といふよりも見ました。茨城県の山中にゐたんで、日立の空襲に親戚の家へ行き合してゐて……。岡沢さんもその方〈ホウ〉は運の強い方〈カタ〉で、〔関東〕大震災の時も市内から中野へ引越して助かつたやうですが、私もあの時は、仙台の師匠から、東京市の略図に焼ける部分へ赤インキで印をつけ「九月一日までにこれ以外の場所へ立退け」と言つて来たので、神田から大森に越して、何一品〈ナニヒトシナ〉失はずにすみましたが、今度も、御覧の通り栄養失調で髪の毛が少々白くなつたゞけで……
畠山 今度の戦争では、幸不幸、実にいろんな心霊現象があったやうですね。
羽田 有名なのが、北京の広安門で負傷した桜井〔徳太郎〕中佐〔当時は少佐〕の身代り不動。
畠山 あゝ、あの福岡の……
羽田 さうです。中佐が非常に信仰してゐた家代々伝はる不動尊で、千百余年前、弘法大師が支那から帰つた記念にきざみ、福岡の東長寺に納めたものなんですね。廚子〈ズシ〉に納つて十年以上も開けたことがなく、当時門田といふ福岡の民家に安置されてゐたが、中佐の広安門での負傷事件があつた日の同時刻に廚子の中で非常に大きな音がした。開けて見ると不動明王の右足の甲が二つに割れ、左足の股の処が少し欠けてゐたんです。これは桜井中佐の広安門での負傷と同じ個所で、中佐も、斯うした尊い不動様を私有にして置くのは勿体ないといふので、福岡から石家荘〈セッカソウ〉に移し、高野山千手院の住職宮本さんが建てたお寺へお祀りしました。
藤村 宮本といふ名で思ひ出しました。これは同じ宮本でも、今のお話の千手院の宮本さんとは別人なのですが、父の幽霊に生命を救はれたといふ話がある。昭和三年〔一九二八〕のことですが、伊豆の長岡の宮本さんといふ人が大阪に旅行して郊外電車に乗つてゐた。宮本氏の日的地は、電車を降りてから又乗合自動車に乗らなければならない不便な場所で、ある駅に停車した時、駅名板で次が下車駅であるのを知つた宮本氏は、荷物をまとめて置くために起ち上つた。
 恰度〈チョウド〉その時、一人の老人が、車内に這入つて〈ハイッテ〉来て、宮本氏の向ひ側に腰かけた。宮本氏は、その老人の顔を見るとはつとした。大正十年〔一九二一〕に死んだ父親そつくりなんです。あまりよく似てるんで、宮本氏は荷物をまとめながらも老人の方ばかり見てゐた。荷物をまとめ終つてからも、まだ見てゐた。見れば見る程似てゐる。
 半白〈ハンパク〉の顎鬚から太い眉、始終伏目勝ちに、なにか考へ事でもしてゐるやうな格構までがそつくりそのまゝだつたさうです。もうそろそろ下車駅だが――と思つて、窓の方を振向かうとした時、前の老人もひよいと横を向いた。ところが宮本氏は、思はず、
『あツ!』
 と叫んでしまつたさうです。その老人の左の耳たぼに黒子〈ホクロ〉があつたんですね。その黒子までが、宮本氏の父親そっくりなんです。しかも、黒子に長い毛が一本生えてゐる。それも父親同様だ。たゞ違つてゐるのは、いくらか痩せ形だつたさうですが、それも死ぬ前の父にくらべると殆んど変りなく、父親の死を宮本氏自身が見てゐなかつたなら、恐らく、「お父さん」て、呼びかけてしまつだらう――つて話してましたが……。
 とに角,そんな工合なもんですから、宮本氏も、いつか下車駅を忘れて、老人の顔に見とれてゐた。その中に電車は下車駅に停る。どやどやと客が乗り込んで来たんで始めて宮本氏が気付いて起ち上つた時にはもう遅い。電車はがたんとゆれて発車してしまひ、たうとう降りはぐつてしまつたんです。仕方がなく、そのまゝ元の座席に腰をおとして、ひよいと前の席を見た宮本氏は、又、
『あツ!』
 と叫んでしまつた。今しがた迄ゐた、父親に似た老人の姿がないのです。車内を見廻したが何処にもゐない。宮本氏が目をはなしたのは、ほんの四十秒。しかも席を立つたゞけで、歩き出してはゐない。つまり、立つて坐る迄の間に、老人の姿は車内から消えてしまつたので、宮本氏はあまりの不思談に、隣席に坐つてゐた客へ、
『この前の席にゐた老人は、何処へ行きました?』
 ときいて見た。するとその客は、けゞん気〈ケゲンゲ〉な顔で、
『老人? どんな方です。前の席には、さつきから何れも坐つてゐませんでしたよ』
 といふ。他の客にもきいて見たが、その客も「そんな人は全然見かけなかつた」との話なので、宮本氏はいよいよ不思議に思つたが次の駅で下車して上り線にのり換へ、目的地の駅迄引返して来て、始めて納得がいつたのです。
 といふのは、その駅では大変な騒ぎが始つてゐた。その前の電車――つまり宮本氏の乗つてゐた電車から降りた客を乗せた乗合自動車が、駅から四五町行つた地点で、荷馬車を避けやうとして崖から顛落し、二名の死者と三名の重傷者を出したんです。駅へ運ばれて来た死傷者の顔を見ると、どれも宮本氏と同じ電車に乗つてゐた見覚えある人ばかりだつたさうで、そこで宮本氏も始めて、父の霊が幽霊となつて宮本氏の気をひき、わざと電車を乗り越させ、宮本氏の危急を救つたものといふことを感じたさうですが……。
道島 さうした実例は、よく耳にしますね。山の麓〈フモト〉を通つてゐると、何者とも知れず耳元で、
『駆け出せ、早く通れ』
 と叫ぶ声をきゝ、その通りにすると、その通り過ぎた後に山崩れが起つて危く生命を救はれたなんて。【以下、次回】

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