◎高群逸枝『母系制の研究』厚生閣版の「跋」を読む
高群逸枝の『大日本女性史 母系制の研究』(厚生閣、一九四一年再版)を紹介している。本日は、「跋」を紹介する。かなり長いので、三回に分けて紹介する。
なお、「跋(ばつ)」というのは、いわゆる「あとがき」のことで、その本の著者が執筆するのが一般的である。
跋
私がはじめ婦人論三部作の計画を樹て知友間に援助と批判を乞うたのが昭和五年〔一九三〇〕一月一日であつた。それは十年の計画で、女性史は其中の一つであつた。東京朝日新聞の竹中繁子氏が、同紙の婦人欄で親切に紹介して下さつたことを覚えてゐる。然るにその直後遇々一婦人誌を編輯する事になつて、翌年五月迄は、直接この研究に手をつける訳にいかなかつた。同六月、万事を擲ち〈ナゲウチ〉、新居を世田ケ谷満中に定めると共に、客を謝し、愈々この一事に専念することゝなつて今日に及んだ。
実際に取掛つて見て驚いたのは、斯の〈コノ〉道の今更に容易ならぬことであつた。この現実に当面して私の困惑が如何に大きなものであつたかは、すでに前著人名辞書の跋文において記したことであるから爰〈ココ〉には再び繰返さないが、危く癈人たらんとして纔か〈ワズカ〉に免かれた経験も偽〈イツワリ〉ではない。十年はおろか、今では女性史一つを死ぬ迄に完成し得るかも危ぶまれないではない。女性史はそれ自身を単独に理解することは不可能で、謂はゞそれは全歴史と共に理解されるものであり、その史実はまた殆ど全歴史の大鉱脈中に没してゐるのであるから、これを探索し掘起し前後の脈絡をつけるといふことは容易な業〈ワザ〉ではない。然し、建国二千六百年の我国に、未だやゝ纏つた〈マトマッタ〉女性史の一つもないといふことは、いかにも寂しいことである。難事業の故を以て廃するならば何事も成るときはあるまい、大成を期することは後日に俟つとしても、草分〈クサワケ〉だけの仕事は是非良心的にやつて置きたいといふのが、私の志である。【以下、次回】
※昨日のクイズの解答(いくつかの読みがある場合があります)
中臣宮処氏本系帳 (なかとみのみやこしほんけいちょう )
南留別志 (なるべし )
日本霊異記 (にほんりょういき )
日本惣国風土記 (にほんそうこくふどき )
二所太神宮例文 (にしょだいじんぐうれいぶん )
丹生祝氏文 (にうはふりうじぶみ )
林康員文書 (はやしやすがずもんじょ )
日前国懸両大神宮書立 (ひのくまくにかかすりょうじんぐうかきたて)
朝皇胤紹運録 (ほんちょうこういんじょううんろく )
松尾社家系図 (まつおしゃかけいず )
倭姫命世記 (やまとひめのみことせいき )
良岑氏系図 (よしみねうじけいず )
令集解 (りょうのしゅうげ )
令義解 (りょうのぎげ )
類聚和名抄 (るいじゅわみょうしょう )
類聚符宣抄 (るいじゅうふせんしょう )
和気氏系図 (わけうじけいず )
別氏系図 (わけうじけいず )
和邇部氏系図 (わにべうじけいず )
倭訓栞 (わくんのしおり )