礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

千葉県M市の警察署による女性歌手不当逮捕事件(1952)

2019-12-12 01:56:39 | コラムと名言

◎千葉県M市の警察署による女性歌手不当逮捕事件(1952)

 たまたま、海野普吉・森川金寿著『人権の法律相談』(日本評論新社、一九五三年一〇月)という本を開いた。人権保護という視点から重大な意味を持つと思われる事件が、たくさん紹介されている。半世紀以上も前に出た本だけに、あまり聞いたことのない事件が多い。しかし、事件の構造、あるいは事件が生み出される土壌は、当時も今も、あまり変わっていないという印象を抱いた。
 本日は、一九五二年(昭和二八)六月に起きた、千葉県M警察署による女性歌手に対する不当逮捕事件について論評している部分を紹介してみよう。

 ある女歌手のはなし(逮捕勾留と人権じゅうりん) 昭和二七年六月、自由人権協会に一女歌手が次のような訴えをしてきた。昭和二七年五月のある日、午後二時過ぎ、戸をたたく者があるので、職業柄まだ寝巻のまま戸をあけると、私服の男が一人いて「〇〇警察からきたが裁判官の令状がある、詐欺罪として逮捕する」「貴様は〇〇先生(告訴人)を狂人だといいやがったな」というような口ぶりであったので、てっきり暴力団だと思って、警察手帳を見せてくれといったところ、手帳だけ見せて、「俺は警察でははしりじゃないぞ、中なんか見せられない」といって、いきなり手錠をかけてしまった。手錠をかけないで貰いたい、着替えをさして貰いたいといってもきき入れず、しようがないので門柱にしがみついていると、無理やりに両手で手錠をひっぱるので抗しきれず、とうとう表にひっぱり出されて、泣き泣き二丁位ある地下鉄まで、大勢人のみている中を犬のようにひっぱってゆかれた。途中交番があったので、「助けて下さい」と交番の中には入ったら若い巡査がいたが、逮捕状なら仕方がないとのことであった。遂に地下鉄までひきずられていったが、再三寝巻を着替えさせてくれと頼んだ結果再び家まで手錠のまま帰って、やっと着替えて千葉県某市の警察へ連れてゆかれ留匿された。翌日警察で調べられた後、検察官のところへ行ったら「あなたは青天白日だのにこれは警察が悪い。しかし警察を相手にすると不利になるから告訴など考えない方がよかろう」といわれて即時釈放されたが、余りにくやしいので、ということであった。暴行の際の診断書もあったが、右腕関節捻挫、右前腕打撲皮下溢血、左前腕及び手背及び膝部打撲皮下溢血、左前胸部打撲症、全治二週間という相当の傷害である。
 筆者は、この訴えをきいて直ちに現地に行き、警察・検察庁・裁判所に行って、前後の事情を調査した。逮捕の理由は六万円ばかりの借金を返さないので詐欺だという告訴によるものであった。普通「民事くずれ」の事件といって、民事では長くかかるから刑事告訴でいじめて早く取り立てようという気配の濃厚な告訴である。しかも相手は人気商売で、多少名も売れた女歌手である。もちろん住所もはっきりしている。筆者はこれらのことが判明して全く愕然とした。検察官の話では逮捕状の請求は警察からなされたもので、自分の手は通じなかったとのことであったが(警察で逮捕状の請求をする場合、同地区では、一応検察庁を通じることとなっている)、さすがに検察官は、彼女のいった通り、即時釈放したのである。警察官の行為の憎むべきはいうまでもないが、筆者がとくに奇怪に思ったのは裁判官の処置である。事件は詐欺か借金か判然としないものである。しかも人気商売の女歌手であることも逮捕状請求書には明記されており、住所ももちろんはっきりしているのに令状を出しているのである。さらに逮捕状の有効期間は原則として七日であるのに、その逮捕状は一ヵ月の有効期間となっているのできいてみると、裁判官の話では警察が何かの取締りのために忙しいというのでそうしたとのことであった。このような薄弱な根拠で簡単に令状が出されるとすれば、憲法で保障した令状主義というものは、一片の形式にしかすぎないことになる。

 若干、注釈する。最初のほうの「午後二時過ぎ」というのは、原文のまま。「商売柄」、その時間まで寝ていた(もしくは寝巻でいた)のであろう。
 逮捕された女性の住所は明らかでないが、最寄り駅が「地下鉄」であることから、都内であることは間違いない。なお当時の地下鉄は、東京都内では、現在でいう東京メトロ銀座線のみであった(浅草―渋谷間)。
「千葉県某市の警察」とはどこか。同書の「はしがき」には、「千葉県M市警察職員による女歌手逮捕に際しての暴行陵虐事件」とあるので、おそらく松戸市の松戸警察署であろう。当時の千葉県には、Mのカシラ文字を持つ市は、松戸市と茂原市しかなかった。茂原市では、やや遠すぎるように思う。ちなみに、茂原市が発足したのは、一九五二年(昭和二八)四月である。
 この「多少名も売れた女歌手」が誰であるかは、まだ調べていない。お心当たりがある方があれば、ご教示を乞う。

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