◎大塚久雄から個人教授を受ける
川島武宜『ある法学者の軌跡』(1978)から、第Ⅳ部「戦時中のこと」の第八章「与瀬での生活の思い出」を紹介している。本日は、その二回目。
⑵ 与瀬での学問的雰囲気
そういう現境の中でわれわれは、言わば「同病相憐れむ」気持で慰めあいつつ、話題は自然に、日本の村落文化、伝統文化とか、他民族――特に西洋とか、中国とか――の文化との比較になるのでした。大体、私が、日本の農山漁村の風俗習慣を語る、大塚さんが、それに対して主としてマックス・ヴェーバーを引用しつつ比較史的分析をされる、飯塚さんは、主としてフランス・中国・蒙古との比較論を展開される、というふうに自然に役割が決まっていきました。マックス・ヴェーバーやマルクスの著作についての大塚さんの周到克明な且つ「読みの深い」理解に、私は圧倒され、数限りない教えを受けました。静かな山村で、その時ばかりは戦争を忘れて――などと当時言ったら、私はすぐ逮捕されたでしょうが――、心おきなく質問して、至れり尽せりの個人教授を受けた幸福は、終生忘れることができません。
大塚さんが戦後に書かれた『共同体の理論』という名著(昭和三七年、岩波書店)の基本構想は、そのころ既に形づくられていたようでしたし、「前期的資本」とか「局地的市場圏」などに関する大塚理論も、すでにはっきりとした形をとって私に説明されました。当時、私はマルクスの『ドイチェ・イデオロギー』(アドラツキー版)を読んで、そこから多くの「問題」を読みとり、私なりに種々の考えを立てていましたが、それらについて大塚さんから受けた数々の教示は、私にとってこの上ない貴重なものでした。当時大塚さんから私に提起された数々の問題は、その後の私の研究生活の中で常に私の前に現われ解決を迫ったのですが、その中でも特にマックス・ヴェーバーの“Appropriation”〔占有〕という構成概念ないし理論は、当時私がとり組んでいた「所有権法」の社会学的站礎にとって最も重要な問題提起でした。それ以来、私はそれにとり組み、もっとも初歩的な形では私の『所有権法の理論』の中でそれに対する私の基本的な答えを書いたのですが、それ以後も永く私の思考の中にあり、やっと最近になって、私の法社会学の理論の中に位置づけて私なりの解答を出すことができたしだいです(「共同体分析のための若干の問題提起――Max Weberの“Appropriation”の概念を中心として――」川島武宜・住谷一彦編『共同体の比較史的研究』昭和四八年、アジア経済研究所、一~二二頁)。
与瀬での疎開生活は一年足らずで私は東京へ引揚げました。短い期間でしたが、まことに密度の高い研究と討論ないし学習の時期で、その後の私の研究に、はかりしれない深い影響を与えたのです。もちろんそのころにも、その充実した日々を恵まれたことを幸せに思っていましたが、今になってみると、私の長い研究生活において最も恵まれた時期の一つであったとしみじみ感謝しているしだいです。〈187~189ページ〉【以下、次回】
川島武宜『ある法学者の軌跡』(1978)から、第Ⅳ部「戦時中のこと」の第八章「与瀬での生活の思い出」を紹介している。本日は、その二回目。
⑵ 与瀬での学問的雰囲気
そういう現境の中でわれわれは、言わば「同病相憐れむ」気持で慰めあいつつ、話題は自然に、日本の村落文化、伝統文化とか、他民族――特に西洋とか、中国とか――の文化との比較になるのでした。大体、私が、日本の農山漁村の風俗習慣を語る、大塚さんが、それに対して主としてマックス・ヴェーバーを引用しつつ比較史的分析をされる、飯塚さんは、主としてフランス・中国・蒙古との比較論を展開される、というふうに自然に役割が決まっていきました。マックス・ヴェーバーやマルクスの著作についての大塚さんの周到克明な且つ「読みの深い」理解に、私は圧倒され、数限りない教えを受けました。静かな山村で、その時ばかりは戦争を忘れて――などと当時言ったら、私はすぐ逮捕されたでしょうが――、心おきなく質問して、至れり尽せりの個人教授を受けた幸福は、終生忘れることができません。
大塚さんが戦後に書かれた『共同体の理論』という名著(昭和三七年、岩波書店)の基本構想は、そのころ既に形づくられていたようでしたし、「前期的資本」とか「局地的市場圏」などに関する大塚理論も、すでにはっきりとした形をとって私に説明されました。当時、私はマルクスの『ドイチェ・イデオロギー』(アドラツキー版)を読んで、そこから多くの「問題」を読みとり、私なりに種々の考えを立てていましたが、それらについて大塚さんから受けた数々の教示は、私にとってこの上ない貴重なものでした。当時大塚さんから私に提起された数々の問題は、その後の私の研究生活の中で常に私の前に現われ解決を迫ったのですが、その中でも特にマックス・ヴェーバーの“Appropriation”〔占有〕という構成概念ないし理論は、当時私がとり組んでいた「所有権法」の社会学的站礎にとって最も重要な問題提起でした。それ以来、私はそれにとり組み、もっとも初歩的な形では私の『所有権法の理論』の中でそれに対する私の基本的な答えを書いたのですが、それ以後も永く私の思考の中にあり、やっと最近になって、私の法社会学の理論の中に位置づけて私なりの解答を出すことができたしだいです(「共同体分析のための若干の問題提起――Max Weberの“Appropriation”の概念を中心として――」川島武宜・住谷一彦編『共同体の比較史的研究』昭和四八年、アジア経済研究所、一~二二頁)。
与瀬での疎開生活は一年足らずで私は東京へ引揚げました。短い期間でしたが、まことに密度の高い研究と討論ないし学習の時期で、その後の私の研究に、はかりしれない深い影響を与えたのです。もちろんそのころにも、その充実した日々を恵まれたことを幸せに思っていましたが、今になってみると、私の長い研究生活において最も恵まれた時期の一つであったとしみじみ感謝しているしだいです。〈187~189ページ〉【以下、次回】
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