礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

一方では日本語として、一方では漢語として

2024-11-12 05:53:47 | コラムと名言
◎一方では日本語として、一方では漢語として

 山中襄太『国語語源辞典』(校倉書房、1976)から、「序論」を紹介している。本日は、その六回目。第21項から第23項までを紹介する。下線は、引用者による。

21.中国古語との類似
 東西の頹似というのではなくて,東洋内での類似だが,漢字漢語(中国古語)と日本語との類似だけを取りあげてみよう。漢字渡来以後,漢字音(漢音,呉音)から日本語化したと考えられているものに,ゼニ(銭sen>zeni),カミ(簡kam>kami),フミ(文 fum>fumi),フデ(筆hit>hude)などがある。こういう文化用品的な語は,いかにも通説のとおり,漢字が日本語化したものと思われる。しかし,ごくふつうの日常生活的な語,自然物の名などで,漢字音とはなはだ似た語がたくさんある。そういう種類に属すると思われる類似例を,以下に200ほどあげてみよう。
22.漢字漢語の日本語化のルート
 およそ漢字漢語が日本語化するルートには,次のようなものが考えられる。
 ⑴まず学者がひんぱんに使う漢字が,その弟子から弟子へ,その弟子たちの接する人たちの間に,いつとはなしに浸透してゆく。
 ⑵寺小屋ができるようになってからは,その師匠がしばしば口にするような漢字漢語が 庶民の中へ浸透して日常語化する。たとえば義理,人情,孝行,忠義,交際,挨拶,先 祖,子孫,親類,縁者など。
 ⑶漢方医や生薬業者が日常口にするような病名や漢方薬の名が日常語化する。たとえば 中風,中気,卒中,霍乱(カクラン),頭痛,陣痛,腎虚(ジンキョ),人参,忍冬,杏仁 (アンニン),当薬,大黄,牛黄(ゴオウ),葛根湯など。
 ⑷僧侶の説教にさかんにでてくるような漢訳仏典の用語,たとえば阿弥陀,観音,菩薩, 地獄,極楽,念仏,題目,信心,往生などといったような語が,聞きなれ,言いなれて,庶民の間に浸透して日常語化する,などであろう。
23.ふしぎな別のルート
 こういうような日常語化のル一トの考えられるような語は,ふしぎでも何でもないのだが,そういうようなルートの考えられそうにもない語がたくさんあるのは,そもそもどういうことなのか。どう説明したらいいのか。上記のようなルート以外に,思いもよらぬルートが別にあったと考えなければならぬようである。そういう種類の語は,たとえば,きつ(狐)~邱首(kyushu>kusu>kitu,礼記),くち(鷹)~鶻(ko>kuti),くま(熊)~玄獏(genmo>kemma>kuma,周書王会),しか(鹿)~騶虞(sugu>sika,詩経召南),すき(鋤)~茲基(siki>suki,孟子公孫丑),たか(鷹)~題肩(taiken>taka,詩経注疏),□■(集韻),わし(鷲)~王雎(wangsho>wasi,詩経関雎毛伝)など。これら動物の名は漢語からきたものか,漢語と偶然似ているのか,あるいはこれらの日本語と漢語とは,もと同源の語であったのが,一方では日本語として残り,一方では漢語として漢字化されて残ったものなのか。その辺のことはいまにわかにどちらともいえない,後日の研究に待たねばならぬ問題であろう。上記の例は二字の漢語の例が多いが,一字の漢字の字音そのものが,日本語とよく似ているのが,はなはだ多い。これらは偶然の類似だといってしまえばそれまでで,問題にはならない。しかし,偶然ばかりではなさそうだということになると,それらは同源の分化か,あるいはどちらか一方から他方へ伝わったものかの,二つの中の一つということになろう。いまかりに,中国の古語としての漢字音がもとで,それから日本語化したと考える人があるならば,わたしはそれを,こう考える方が妥当ではなかろうかと思う。それはすなわち漢字以前にさかのぼってというか,あるいは漢字の媒介を経ないで,目に見る漢字というものをはなれて,口にしゃべり耳に聞く,いわゆるspoken languageとしての中国古語が日本語化したと考えるのがよかろうと思われることである。それは,そういう中国古語を口にしゃべる人たちが日本へだんだんと渡ってきて,そういうコトバ(漢字ではない,漢語である)をしゃべっていた。それがいつのまにか自然に日本語になったと考える方が自然ではなかろうか。次にあげるような200余の,日本語と漢字音との類似例は,そういう見方をすればうなずけるのではなかろうか。〈19~21ページ〉

  日本語と中国古語(漢字音)との類似例(50音順) 【略】 〈21~24ページ〉

【以下、次回】

 □と■は、ワードでは出せなかった。□は偏が帝で旁が鳥という字、■は偏が肩で旁が鳥という字である。
 山中襄太は、第23項の中で、興味深いことを述べている。特に、下線を引いた二箇所。どちらも、実に柔軟な発想であり、かつ、どちらも、説得力のある考え方だと思った。

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