◎吉本隆明は「戦後最大の思想家」か?
吉本隆明の思想をめぐって、くどくどと述べてきたが、本日は、結論的なことを述べたいと思う。
八月七日のコラムでも触れたが、吉本隆明は、世界貿易センタービルで起きたテロにかかわって、「人間の『存在の倫理』」という概念を提示した。この概念を意識しながら吉本は、テロリストたちが、旅客機の乗客を降ろさないままビルに突っ込んだことを激しく非難した(『超「戦争」論』の上巻(アスキー・コミュニケーションズ、二〇〇二)。
吉本のいうこの「人間の『存在の倫理』」について、多羽田敏夫氏は、その論文「〈普遍倫理〉を求めて――吉本隆明「人間の『存在の倫理』」論註」の最後のほうで、次のようにまとめた。
「人間の『存在の倫理』」とは、すでに見てきたように、オウム‐サリン事件によって、市民社会の善悪の倫理観を解体した果てに、吉本が見出した新たな倫理であることは、もはや明らかだろう。それは、文字通りの「存在」そのものに根拠をおいた倫理にほかならない。もっといえば、それは一切の価値を排除した倫理観なのである。ここで、吉本が、地下鉄サリン事件の二年前に、「〈欠乏〉を根拠とする倫理」の替わりに、「〈非価値〉的なもの」を主体にした倫理が求められるといった発言を想起したい。つまり、「人間の『存在の倫理』」とは、まさしく「〈非価値〉的なもの」を根拠にした倫理なのだ。
ここで、多羽田氏のいう「一切の価値を排除した倫理観」の意味、あるいは「『〈非価値〉的なもの』を根拠にした倫理」の意味が、私にはよく理解できない。それは、「宗教」とどう違うのだろうか。
しかし、今、問題にしたいのは、そのことではない。
吉本隆明が、オウム‐サリン事件に衝撃を受けたことはよくわかる。吉本が、その事件を契機に、「市民社会の善悪の倫理観を解体」した上で、「一切の価値を排除した倫理観」、あるいは「『〈非価値〉的なもの』を根拠にした倫理」といったものを構想しようとしたことも、そのこと自体は理解できなくもない。
しかし不思議なのは、その若き日に、第二次世界大戦を体験した吉本が、その思想的活動の出発点において、「戦争」という罪悪、あるいは「戦争」における罪責という問題に対して、本格的に取り組んだ形跡がないことである。その晩年において、オウム‐サリン事件に衝撃を受け、これを思想的に受けとめようとした吉本が、なぜ、その若き日に、戦争という大きなテーマと格闘しようとしなかったのだろうか。
吉本が、その思想的活動の出発点において、「戦争」という「市民社会の善悪の倫理観」を超えた問題を、意識しなかった(意識できなかった)とは言わない。しかし彼は、結局のところ、この問題を、「関係の絶対性」という論理で、安易に処理してしまったのである。この論理は、「自由な選択にかけられた人間の意志」を無視し、相対化しようとする論理であり、戦争責任を解除し、思想責任を解除しようとする性格を持っていたと思う(このことは、すでに、七月二七日のコラムで指摘した)。
多羽田敏夫氏が、その論文で鋭く指摘したように、吉本の「関係の絶対性」という概念は、親鸞のいう「業縁」と深く結びついている(八月二日のコラム参照)。ということであれば、「戦争」という事態の中で、多くの人々が、予期せぬ死を迎え、予期せぬ不幸に直面したという問題についても、吉本は、「業縁」という論理で処理できたし、事実、そうしていたのだと思う。
ここで、昨日も引用した吉本の言葉を、再度、引用してみる。
自分たちが成し遂げようとしている目的とは全然関係がないということが最初からわかっている非戦闘員――一般の人たちをそのまま道連れにしたってことと、戦争状態になって戦闘が行われた結果、非戦闘員である一般の人たちをたまたま巻き添えにして殺しちゃったってこととは、まるで違うことなんです
まず注意しなければならないことは、吉本が世界貿易センタービル事件を中心としたテロを「戦争」に擬していることである。
吉本は、この事件における「非戦闘員」を、貿易センタービルにいた人々と航空機の乗客とに分け、テロリストが後者を道連れにしたことを激しく非難した。しかし、さしあたって注目すべきは、そのような「区別」ではない。「戦争」において非戦闘員がそれに巻き込まれて死ぬことは、基本的にはやむをえない、と吉本が考えていることなのである。
おそらく吉本は、先の大戦で、多くの非戦闘員が戦争に巻き込まれて死んだことについても、「やむをえなかった」と考えていたはずである。
ある意味で、吉本隆明という人は、正直な人だと思う。先ほど、引用した短い言葉によって、自分が思想家として、「戦争」というものをどう捉えているかを、問わず語りに語っている。「戦争」に対するそうした彼の捉え方が、「マチウ書試論」の発表から半世紀ものあいだ、基本的に変化してこなかったことも、ハッキリと示してしまったのである。
ここからは推測になるが、吉本は、オウム‐サリン事件もまた、一種の「戦争」として意識していたのではないだろうか。だとすれば、オウム‐サリン事件による被害者も、「戦争」に巻き込まれて死んだ「非戦闘員」であり、その犠牲は「やむをえなかった」ということになる。
しかし、さすがの吉本も、そこまでは言わなかった。言うまでもなく、オウム‐サリン事件に関する吉本の一連の発言に対して、宗教学者をはじめとする市民主義的知識人やマスコミ等から、激しい批判を投げつけられたからである。吉本が、「一切の価値を排除した倫理観」とか、「『〈非価値〉的なもの』を根拠にした倫理」といったことを言いはじめるのは、それからである。これは吉本が、親鸞的なラディカリズムの立場から、「市民社会のこの狭小な善悪観」に後退していったものと捉える。吉本は、オウム‐サリン事件以前においては、親鸞のラディカリズムを捉えきれておらず、オウム‐サリン事件以降においても、親鸞のラディカリズムを貫けなかった。その意味において彼は、終始、徹底しない親鸞主義者だったと言えるだろう。
いずれにせよ、オウム‐サリン事件以降における吉本の一連の発言は、吉本の思想というものを理解する上でも、また吉本の思想家としての資質を判断する上でも、非常に重要なものだと思う。
なお、誤解のないように言っておくが、吉本隆明を「戦後最大の思想家」などと持ち上げる論調には私は賛同しない。「戦争」という罪悪、あるいは「戦争」における罪責という問題に、あえて取り組もうとしなかった思想家であり、そのことによって、戦後の論壇において、一定の地歩を占め、その影響力を保持しつづけたイデオローグのひとりだったというのが、とりあえず今、この思想家に対して私が抱いているイメージである。