礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

戦時だから文字も節減すべきだ(稲垣伊之助)

2015-11-20 03:09:27 | コラムと名言

◎戦時だから文字も節減すべきだ(稲垣伊之助)

『科学評論』の一九四一年(昭和一六)一一月号に掲載されていた稲垣伊之助の論文「国語国字問題最近の動き」を紹介している。本日は、その四回目(最後)。

  代用語のカンガエ
 人の生活には、衣食住の三方面が数えられるが、文化の進んだ人類の生活には、衣、食、住、文字の四つを数えるがよいと思う。
 今は戦時として、生活物資すべてが不自由で、欲するままに使えない時である。国民は衣食住の材料の不足勝ちなことは覚悟している。このような時に、生活材料の文字も不自由すべきだとゆうカンガエでみちびいて、漢字制限を強制するがよいと思う。
 例えば、「タスク」とゆう漢字は、
 助、援、輔、佐、扶、佑、祐、相、資
等の漢字がある。漢字通にしてみれば、「助く」の字を使うところ、「輔く」の字を用うるところそれぞれ区別したいであろうが、すべてを「助く」またカナガキで「たすく」とかいて、他の字は使わないようにする。この考を実行すれば、〝訂す、(正す)涜す、穢す(汚す)曵く、牽く、挽く、輓く(引く)〟等は( )の中の字一字で事足りる。他の漢字は使わないで節減できる。
 漢字のうちには、その事物にだけに用いて、他にまつたく使い場のないのがある。例えば、襤褸〈ボロ〉、枇杷〈ビワ〉、裲襠〈ウチカケ〉のごとき漢字は、そのもの以外には使わない漢字であるから、まずこのような漢字は思い切つてカナガキする。
 また、保姆〈ホボ〉の姆の字も他に使うことがないから、保母(母とゆう字を代用字として)とする。編輯は編集とする。「練・煉」は、練の字に合せ、〝煉成〟は〝練成〟の代用字とする。
 このような漢字の使い方はいかにも不都合だとゆう反対もあろうが、古来漢字の使い方の変遷のアトを調べると、必ずしも乱暴な使い方でないことがわかる。文部省の読本ですら、「注文」「註文」などと変つているのである。今戦時にあつて、生活の資料を極度に節減せねばなら時、この位の改変は当然の処置であるといつてよい。
  漢字制限の文学ト修養書
 松坂忠則氏創作、支那事変軍事小説「火の赤十字」(昭和十五年三月出版)は、財団法人カナモジカイ制定の漢字五百字案で書いた作品である。この小説は山本有三氏が、この書に序文して
「いま盛んに行われている戦争小説にくらべて見ると、まさるところはあるとも、決して劣る作品ではないと思います。ことに、これだけの内容のものを、五百字以内の漢字で書いたといふことは、この方面におけるレコードです。五百字でも、これだけのものが書けるのだとゆうことは、国民に大きな問題を投げかけたものとゆうべきでしよう」
と評されている。
 山本氏のことばが、もつともよくこの作品の内容と、国語問題における価値を証明されている。
 私は本年六月に「心の小読本」と題する宗教修養書を著作したが、これもカナモジカイの五百字漢字でかいた。五百字の範囲で書いたが、この本に使つた漢字は三四四字である。これだけの文字で、宗教味を帯びた心の問題を書き得たのであるから、思い切つて制限すれば、漢字はよほど節減することが出来ることの自信を得た。漢字を制限するのは不自由山だとゆう心持にならなかつた。文をわかり易くするとゆう効果が著しく、漢字制限の実行は、国語問題の解決に大きなハタララキをなすものであることを一層切実に知つたのである。
 国語国字問題はもはや議論の時でなく、この整理統一の必要を知つたものが、めいめい自分の考を文字文章の上に試みて見る時である。箪に試みるだけでなく、実行を続けて行くべきである。一人の実行は必ず周囲の人々に何等かの反響をよびおこすものである。それがこの問題解決の方法であり、国策にそうことになると信じる。(昭和十六、七、三〇日……八月興亜奉公日の旗印〝生活の正義の実現〟を思い浮べつつ)……
―本文は文部省国語調査会案発音式カナヅカイによる。―

*昨日、柏木隆法さんから、退院の朗報と同時に、五〇日にわたる入院中も執筆されていた(!)という「隆法窟日乗」が、すぐには読み切れないほど送られてきました。明日以降、逐次、紹介させていただく予定です。

*昨日のクイズの解答(「余白」さん、お答えいただき、ありがとうございました)
肇国(ちょうこく)
喫緊(きっきん)
翹望(ぎょうぼう)
掉尾(ちょうび)あるいは(とうび)
思惟(しい)、仏教語としては(しゆい)
芟除(せんじょ)あるいは(さんじょ)
曠古(こうこ)
卑陋(ひろう)

*このブログの人気記事 2015・11・20(6位にやや珍しいものが入っています)

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「事変以後」に登場した新熟語

2015-11-19 03:27:14 | コラムと名言

◎「事変以後」に登場した新熟語

『科学評論』の一九四一年(昭和一六)一一月号に掲載されていた稲垣伊之助の論文「国語国字問題最近の動き」を紹介している。本日は、その三回目。

  国定文字一千字
 財団法人カナモジカイの研究部長岡崎常太郎〈ツネタロウ〉氏(主査松坂忠則氏)が昭和十三年〔一九三八〕に発表した「漢字制限の基本的研究」は、調査資料の漢字の数において、その精密さにおいて、また調査事項の着眼において、実に優秀な研究書である。その中の一調査として……
 東京朝日、大阪毎日、読売、報知、時事の五大新聞紙上の漢字を、一年各月にわたり、(六十日分から)全部あつめ、その使用回数の調査をした。
 その総計字数     四四七、五七五字
 漢字の種類        三、五四二字
 一年仲に一回だけ使われた文字 四六七宇
 一年中に一千回以上使われた漢字 八三字
 最も多く使われた漢字から五百番目までの漢字を合せると
 全紙面印刷の…………七七・三%をしめている。
 同じく…………二千番目までの漢字を合せると、
 全紙面印刷の…………九一・七%をしめている。
 この調べによつてみれば、我々は多数の漢字を使つているようであるが、百字の内七十七字までは、わすか五百種の漢字をくりかえし使用していることがわかり、また百字の内九十二字は一千種の漢字を使つていることが明かとなつた。この統計調査から見ると、総字数(種類)三千五百四十二字の多数であつても、二千五百四十二字は、わすか八%強しか現れていないのである。故にその八%をカナガキにする、或はコトバをかえて書くならば、一千字で十分用が足りることが分つたのである。
 今、国民は頭の中に多数の漢字を貯蔵しているが、その内多数の漢字は死蔵に近いのである。一年に二三度位使う漢字を、学ぶために時と力をムダにしているのである。故にここに、国定文字とゆうものを明かに定めて、それだけをおぼえる、それだけを実用に使うとゆう限界を明かにすることは急務であると信じる。
 その国定文字は一千字位が穏当な案と思う。国民の国字問題に対する理解が進めば、五百字でも十分である。
 国定漢字一千字は
1、公式、おもてむき、印刷文字の制限で、個人のカキモノ、私的の通信などは当分ソクバクしない。
2、古典、経文〈キョウモン〉などには、一千字以外の従来使用のものを許す。
3、満洲、支那の地名人名は、その記し方を一定して外国なみにカナ書きにする。
4、人名は国定字でなければ、戸籍に受付けない。名字は当分そのままとして、次第に改めるようにみちびく。
等の使用規則をもうける。
(私はカナモジ国字を理想とするものであるが、今ただちに国家が権力で国民に実行させ得る実行案として、国定字一千字案を提唱する。これならば、実行がきわめて容易である。)
  聞いて分る国語
 漢字が無制限に使われる外〈ホカ〉に、漢字を組合せて無造作に一つの語を新〈アラタ〉につくることが、勝手に行われている。事変〔日支事変〕以後に使われかけた新しい熟語をあげても次のようなのがある。
 聖戦、自粛、興亜、完遂、猛爆、盲爆、防諜、精勤、物動、共栄圏、肇国、節電、職域
 これ等は、聞いて分りにくいコトバで、ラジオ放送などには不向きのコトバである。一つの新な思想概念が発生した時に、或は特別なカンガエを述べる時、ヨトバを工夫することなく、漢字を結びつけて、新しい勝手な熟語をつくる。これが日本語を混乱させると甚しい。
例 ○鉄道省の掲示―「多客につき……」
  ○新聞記者の勝手な新語―輪禍、暖冬、闘魂、熱技、派閥、冷化、急航
  ○或る仏教書の熟語―独朗、聖意、深義、和韻、洞見、識破、参窮
 私は、日本語を聞いただけで(漢字を見なくとも)分る国語にして、ラジオに放送してすぐ分り、よく分るようにせねばならぬと、つねに思つている。
 新聞記事を話の種にする時、ことばを言いかえなければ相手に通じないのようなのは困る。
○ドイツ軍がソ連の要塞を二十一センキヨした。………「センキヨ」と聞いても分らぬ。文字「占拠」を見て分るようなことでは、よい国語と言えない。
 われわれが毎日新聞雑誌で見る漢字のコトバには、次のような〝口から耳え〟伝えるに適しないコトバが多数ある。
 歪曲、喫緊、示唆、昂揚、依存、媚態、翹行望、希求、佳話、掉尾、機構、払拭、志向、衆庶、制覇、思惟、衝撃、芟除、曠古、招致、犀利、雅懐、卑陋、巨姿
 文は〝読むのをそばで聞いていて分る〟とゆうのをメヤスにおいて、書く人が〝聞いて分るコトバ〟を使うように心がけて書いてくれるとよい。その標準によつて、「これだけが日本語である」とゆう国定国語辞典がはやくできることがのぞましい。
 漢語のうちでも
①約束、説明、親切、勉強、経済
これは聞いてよく分り、国語のうちによくとけこんでいるから日本語として認めてだれも異存はあるまい。
② 絶体、関係、時局、矛盾、準備
この程度の漢語も日本語に内に入れてよいと思う。
③ 要諦、画期的、強化、昂揚、迷夢
漢字で見れば分る普通の熟語であるが、聞いて分りかねる点から、このようなことばを国語とするかは考えものである。
④ 進駐、妥結、空爆、電撃的、滞空
新につくつた熟語で、字引にはない。聞いて分らない。このような新語をつくらさぬためにも、国定の国語辞典が必要である。
 以上例を示した①②③④の漢語は、耳でよく分る程度のコトバの順位である。筆を持つ人々が、①②程度がコトバを使い、それをなるべくカナガキにして、③④程度の漢語は止むを得ぬ時に使う、(これはカナガキでは分りかねるから、山本有三氏の補助文字である漢字でかく)このようにすれば、自然に耳で分らぬ漢語がそのあとを絶つて、日本語は、聞いて分る国語にシダイに改まつて行くであろう。【以下、次回】

今日のクイズ 2015・11・19

◎次の言葉の読みを答えましょう。
肇国(   )
喫緊(   )
翹望(   )
掉尾(   )
思惟(   )
芟除(   )
曠古(   )
卑陋(   )

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カナ枢軸による日本の国字体制(新村出)

2015-11-18 06:37:23 | コラムと名言

◎カナ枢軸による日本の国字体制(新村出)

『科学評論』の一九四一年(昭和一六)一一月号に掲載されていた稲垣伊之助の論文「国語国字問題最近の動き」を紹介している。本日は、その二回目。

  翼賛会臨時中央会議に出たカナの問題
 昭和十五年(一九四〇)十二月十六日、十八日に開かれた大政翼賛会臨時中央会議に、山本有三氏は
《日本語の海外進出、カナが非常な立派な文字であること、漢字のむずかし過ぎる点(例えばカタカナで「アワテル」と書けば何でもないものを、漢字で書くと五通りもある)カナを主として漢字を補助字とする、いわカナ交り文でなく、漢字交り文とするようにしたい。》
と提案された。山本氏この案に対し、小此木左馬太氏が
《カナを国字として使用することは山本氏と同意見である。発音式カナヅカイを採用すること、漢字全廃は至難であるから、できるだけ制限して使用すること。文字はすべて左横書きとすること。》
と主張せられた。それに対し、翼賛会岸田〔國士〕文化部長は
「文化部としては国語問題を重大視し、その改善や淳化等各方面から解決したいと思ふ。山本氏の意見には私個人としては大賛成である。」
と述べ、委員会では決議とせずに、総会へ報告とすることになつた。
 山本氏のこの提案は、新聞に「カナの名称を改定」と大きくミダシをつけて報道されたので、カナの名称のことが主になつて、〝カナを主として漢字を補助字とする〟と言ふ山本氏の提案の主眼が逸してしまつたウラミはあるが、文豪山本氏の提案だけあつて、世人の注目をひいたことが大きいかつた。
 それに対し国語学界の権威新村出〈シンムラ・イズル〉博士は
「なるべくカナ本位すなはちカナ枢軸を以て日本の国字体制を組立てゝゆくようにしたい。漢字を補助字とし、カナを本字とし、国字として進むべきである…………日本で歴世にわたつて、文字といえば漢字が本格的のものであり、カナはカリのもの、間に合せものであるとゆうところの、内外本末を顛倒した錯覚を一掃し清算し去つて、テニヲハや送りカナばかりでなく、なるべく主要な国語の実辞はもちろん、漢語のうち差支〈サシツカエ〉のない虚辞また実辞はカナを本体とすることに定め…………カナ称呼の改定とその根本観念の是正に邁進してもらひたい」
とゆう意見を発表せられた。
 雑誌「古典研究」昭和十六年〔一九四一〕三月号には、山本氏の提案について、諸名士の意見をあつめてのせているが、
 カナを多くして漢字を少くする案についての回答中、賛成をのべた人々は、
《佐久間鼎博士、金澤庄三郎博士、九州帝大教授小島吉雄氏、文部省監修官倉野憲司氏、早大教授野々村戒三氏、東京高師教授玉井幸助氏、五高教授八波則吉氏、原随園文学博士、能勢朝次文学博士、京城帝大教授荻原渉男氏等多数であつた。》
 山本有三氏が、ああゆうヒノキ舞台で、天下晴れて国語問題を論じ、世間に大きな反響をよびおこしたことは、われわれ国語問題をつねに考えているものにとつて、大なる喜〈ヨロコビ〉であつた。大政翼賛会においても、この問題の重要性を記録にのこしたことになつた。
  満洲国がカタカナを採用
 日本における国字問題はまだ決定的位置をとり得ないおりから、満洲帝国がカタカナを採りあげて、満語表現の決定案をつくつて、近く公布することになつたのは、注目すべき動きである。
 満洲国では政府の指導精神を四千六百万の民衆に理解をあたえ、その支持を得なければならぬ。漢字とゆう宿命的な難文字で発表していたのでは、大衆にわからせることはどうしても出来ない。そこで康徳五年(昭和十三年〔一九三八〕)から漢字にかわる音表文字の研究に着手し、注音字母、ローマ字、カタカナの三つを比較研究した結果、ついにカタカナを優良とみとめたのである。
 満語をカタカナで表記する方法として、
1、カタカナのみを用い、平かな、新字、特殊符号は使わぬ。
2、すべて同じ大きさの文字を書き、日本の促音、拗音のように小文字を使わぬ。
3、漢字の一字音は四字以内で示す。
(その他、有気音、無気音、窄音、捲古音、舌歯音、撮口音韻母等をカタカナで表記する約束がきめられているが、ここには略)
 満洲帝国のカタカナ採用は、日満同文字とゆうことになつて、日満文化交流の上に大きな役割をするであらう。現在漢字によつて日満が接触していると、彼は「日本」を「イー
べン」(巻き舌であるから「リーベン」のようにきこえる)といつて、ニツポンと呼ばない。満人官吏は、日本と同じ事務用漢字を使つているが、打合(ダーホー)手続(シヨーシイ)と言つている。これなどは日満両国のコトバに混乱をおこして永久に禍〈ワザワイ〉をのこすことになる。日本もこの際カタカナによる日本語の大陸進出をはかるべきである。
 蒋〔介石〕政権制定の国音常用字数は、六、七八八字であるから満洲国でもこの位の字数を必要とする。それがわずか数十のカタカナで満語を書きしるすことになれば、満洲国民衆の智的水準は大いに向上することが明かである。
 これは満洲国だけのことでない。日本も同じ問題があることを合せ考うべきである。【以下、次回】

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国語国字問題が重要国策となった「導火線」

2015-11-17 08:29:51 | コラムと名言

◎国語国字問題が重要国策となった「導火線」

 昨日に続き、本日も、『科学評論』の一九四一年(昭和一六)一一月号に掲載されていた記事を紹介する。本日、紹介するのは、稲垣伊之助の論文「国語国字問題最近の動き」である。これは、かなり長い論文なので、何回かに分けて紹介する。稲垣伊之助は、カナモジカイの会員と思われるが、今のところ詳細は不明。

 国語国字問題最近の動き   稲垣伊之助
 複雑でむづかしいこと、世界第一である国語国字の、整理統一改善も、熱心な人々の主張運動がようやく世に認められ、その整理改善の動きが活潑になつたことは、喜ばしいことである。
 国語国字の整理改良の理由や必要は、もう説く必要はあるまい。いかにこれが動きつつあるかの実状を検討して、これを報告することが、学究徒を多くの読者とする本誌の記事として適切と信じる。
  重要国策となつた国語国字問題
 昭和十六年〔一九四一〕二月二十五日、定例閣議において、この問題について橋田〔邦彦〕文相より発言、種々意見の交換を行つた。従来しばしばこの問題が取上げられながら実行されないのにかんがみ、今後政府として、文部省が中心となり、各省が協力して整理改良を断行することを申合せ、この問題を重要国策として取上げた。
(二月二十五日新聞報道)
 文部省としては、昭和十五年(一九四〇)十一月国語課を設け、着々準備を進めているが、国語調査官を増員し、国語審議会の適切な運用と相まつて、ます常用漢字およびカナヅカイの整理に手を着けている。遅きにすぎたうらみはあるが、とにかく多年の懸案が国策として取上げられたことは、画期的事実で、国家永遠の発展のドダイを培う〈ツチカウ〉ための一大進歩として喜ばねばならない。
  陸軍の兵器用語簡易化
 昭和十五年二月二十九日、陸軍省は、陸普第一二九二号で、
 兵器名称及用語ノ簡易化ニ関スル規程を発布、陸軍一般に通牒を発した。その第二条に、
《兵器名称等ニ使用スベキ漢字ハ兵器取扱ノ一般化ヲ徹底,セシムル趣旨ニ基キ平易ニシテ尋常小学校ヲ卒業シタル者ガ之ヲ読ミ且書キ得ルヲ目途トシテ選択シ前号名称及用語選定ノ要旨ト相俟ツテ其ノ使用ヲ制限ス止ムヲ得ズ制限外ノ漢字ヲ使用スル場合ニ於テハ之ニ振仮名ヲ附スルカ又ハ仮名書トス》
 そして漢字は次のように定めた。
一級漢字=尋常小学四年修了程度をもととし、五六年程度の平易なものを加へたもの九五九字
 一般の兵に取扱わせる兵器はこの範囲による。
二級漢字=尋常小学修了程度の漢字及び特に用途ひろき漢字二七六字を加え
 相当の素養あるものの取扱う兵器に使用。
 兵器用語の改定せらた実例、下に書いたのが、新〈アラタ〉にきめられた兵器用語の例。
(螺子)    ねぢ
(駐螺、壓螺) 止ねぢ
(簪環)    びじよう
(鞐)     こはぜ
(廓剤鏡)   蟲めがね
(鑰)     かぎ
 この改定によつて、軍隊においては、兵の教育に非常に能率をあげたので、今、各種の操典等の漢字を平易化することに、調査を進めている。
 国語国字問題が重要国策になつたその導火線は、このようなところから起つていることは見やすい事実である。

*このブログの人気記事 2015・11・17(8・9位に珍しいものが入っています)

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国字問題の解決が急務となった1941年

2015-11-16 05:58:31 | コラムと名言

◎国字問題の解決が急務となった1941年

 本日は、松坂忠則〈マツサカ・タダノリ〉の「国字問題と国文学――表音カナヅカイによる」という論文を紹介してみよう。『科学評論』の一九四一年(昭和一六)一一月号に掲載されていたものである。
 松坂忠則(一九〇二~一九八六)は、カナモジカイに属するカナモジ論者で、戦後は国語審議会の委員にもなった国語学者である。

国 字 問 題 と 国 文 学
 表音カナヅカイによる
        松 坂 忠 則
 学問が尊重され、学者の意見に耳をかたむける人々の多くなることは、原則としてはもとより結構なことにちがいないのであるが、この風がさかんになるにつれて、しばしば大いなる禍〈ワザワイ〉を生ずることを警告したいと思う。それは時として専門外の学者を専門家だと思いちがいしてその門をたたく民衆が生じやすい点、およびこれを奇貨として、もしくは無意識のうちに、専門外のことがらに対して専門家ぶる学者を生じやすい点である、そのいちじるしい実例は、国字問題と国文学者との関係において見出される。
 一般社会の国字問題に対する関心が、今日のほど高まつたことはない。これは、いくつかの原因が、今日はからずも一時に作用したためである。その第一は、海外における日本語教育の大量な実施が必要になつてきたことである。文部省が二度にわたつて開催した国語対策審議会の決議においても、二度ながらに国字問題の解決の急務が唱えられている。第二は、国家意識が高まつて来た当然の結果として、文字に対する自主性が高まり、これまでの支那依存主義が許されなくなつたことである。大政翼賛会臨時協力会議における山本有三氏のカナ呼称改正論が、あれだけ大きな反響をよび起したのも、そのためである。第三は、国民教育の再出発にともなつて、国民精神、体育、科学、この三つの部面に対する大いなる要望が、結局、国字問題を解決しなければラチがあかないと、人々に気付かれるにいたつたことである。陸軍が率先して兵器用語の大改正をおこない、漢字は国民学校の四年生程度で習うものにし、カナヅカイは全部表音式に改めたのは、そのいちじるしい現れである。
 政府は、今年〔一九四一〕二月二十五日に、閣議において、国語国字問題解決を重要国策として取りあげることを申しあわせた。まことに時宜に適した処置である。私どもは十数年来この運動にたずさわつて来たのであるが、多くの人々は、しばしば我々に向つて「そんな運動は、社会が平穏無事になつた時にやるべきだ」と言われた。しかるに実情は、日本が、のるか、そるかのセトギワに立つに及んで、はじめて国字問題の解決が国策に取りあげられたのであつた。
 さて、このように進んで来るにつれて、人々は、いつたい国字問題はどのように解決すべきであるかを知ろうとした。ここに多くの国文学者たちが、古文書の虫食い穴を算える手をしばし休めて、やおら立ちあがつたのである。文学博士とゆう、あるいは大学教授とゆう肩書が、まず民衆の目をくらました。
 この「専門家」たちの意見は、かならずしも一致しているわけではなかつた。しかし、例外的な部分をのぞけば、一様に保守論の一点ばりである。文字は伝統に生きるものである。これを左右しようとするのは、門外漢の便宜論であるとゆうのである。私はますもつて、国字問題と国文学者との正当な関係がいかにあるべきかを考えてみたいと思う。
 国字問題が問題として取りあげている題目は、わが国字をして、国語を書きあらわす作用を最も完全にいとなましめるようにしなければならないとゆうことである。ここにゆう「国語を完全に書きあらわす」の意味は、まずもつて、国字が、国民共通のものである立場から、一人でも多くの者に、正しく読み書きされることを要求している。これに対して必要なことは、文字の習得に関する学習作業の実際、その結果であるところの国民各層の書取能力や、識字能力の実際、およびいかにすれば、この要求をよりよく満し得るかの具体案を研究することでなければならない。国文学とゆうものは、これに答える任務を持つているであろうか。全然、これは国文学のあずかり知らぬことなのである。また事実、国文学者たちは、一般国民が常識として考えつく以上には何も知つておりはしないのである。これについては、まずもつて多くの事実を集めなければならない。書取試験において、児童らがどんな答案を出したか。電報文にどんなカナヅカイが書かれたか。印刷物にどんな誤植がおこなわれたか、等々の事実をきわめなければならない。こうしたことは、国文学の営業科目の中にありはしない。
 国字問題の解決をさけぶ声の一つは、書字能率を、たかめることである。あらゆる事務、あらゆる産業は、文字を手がかり、足がかりとしておこなわれる。同一内容の事務をさばくのに、西洋で一時間で済むのを日本では五時間も六時間も費している。西洋に負けないまでに能率を高めるためには、タイプライタをはじめ、多くの、事務の科学兵器を採用しなければならない。また文字は、それらの科学兵器にあてはまるように改めなければならない。弓の矢を機関銃で発射することはできない。この問題に答えるのは、機械学であり電気学であり産業心理学であり能率学である。国文学は、この方面においては無能者である。
 国文学者が唱える保守論は、伝統を守らなければならぬとゆう一点につきる。過去に行われたことがらを、そのままに守るのが伝統であると信じているのであろう。漢字が支那から輸入された当時においては、我国ではこれを漢文として、すなわち外国語として用いたのであつた。しかしそれは本来、わが国に適合するはずのないものであつた。そののち、いくたの反省が加えられ、またそれが実行のうえにあらわれて今日にいたつているのが、わが国字の現状に外ならない。もしも、過去に行われているままを守るのが伝統であるならば、文字の無い国に漢字を取り入れたことも伝統破壊であり、また一たび取り入れたものをかれこれ改めることも伝統破壊であつたのである。が、かような伝統論が、いかに素朴な、有害なものであるかは多く説明するまでもない。われわれが尊重する「伝統」とは、生々発展してやまぬ国ぶりを発揮することである。
 たゞに漢字に対する問題ばかりではない。平安朝時代に用いられたカナヅカイを、未来永劫に用いさせようとするのが、多くの国分学者たちの説である。しかし、国語の本体は古文書の中にあるのではない。今日、毎日毎時あらゆる国民の口から更に語り交され、ラジオを聞くのにも電話をかけるのにも、物を考えるのにも常に用いているところのものこそ国語の本体なのである。歴史はこの中に生きている。これは神代以来の国民が総がかりで育てあげて来た文化財である。しかしながら、これは、国文学の対象とされているものではない。われわれは、いま国民服を制定すべく努力しているのであるが、国文学者は、いま国民服を要求している大人が、その幼時にどんな着物を著て〈キテ〉いたかを研究している人たちなのである。そして、その赤ん坊時代の着物の研究に便ならしめんがために、この大人に対して、昔のまゝの着物を著せておこうとするのである。それは、たしかに理由のある言いぶんである。しかし、国民がそうした申し出にしたがわなければならぬ理由は、一つもないことを、われわれは知らねばならない。

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